「モノ消費からコト消費へ」と言われて数年が経つ。しかし、「コト」とは具体的に何を指すのか。迷わず答えられる人は決して多くはないはずだ。
2015年に経済産業省は、コト消費における「コト」を「個々の製品やサービスに切り分けられることなく、一連の体験として時間経過の中に溶け込み、1つの情動的価値を提供する」製品やサービスだと定義した。
この定義は、顧客を惹きつける「コト」を提供するには、製品やサービスを中心とした体験を通し、どう彼らの心を動かすかが鍵になることを示唆する。
2019年10月25日に開催された、最先端のCX(顧客体験)を学び、体感できるカンファレンス「CXDIVE 2019 AKI」では、「体験でイノベーションを生み出す」をテーマに、心を動かす体験を作るためのヒントが語られた。
登壇者は、玉樹真一郎氏(わかる事務所 代表 元・任天堂Wiiディレクター/プランナー)、青栁智士氏(LUCY ALTER DESIGN 代表取締役兼クリエイティブディレクター)、安藤剛氏(THE GUILD 共同創業者 UX.UI Designer/ YAMAP CXO)。モデレーターを務めたのは、小山和之(weaving代表取締役/インクワイア編集者)だ。
異なる領域で体験のデザインに携わってきた3人。その議論から、分野を問わず、顧客の心を掴むためのヒントを探りたい。
自らの信じる「豊かさ」や「楽しさ」を伝える
セッションは、3人が関わるプロダクトと体験づくりの原点を共有するところからスタートした。
THE GUILDの共同創業者でUI/UXデザイナーの安藤氏は、CXOとして関わる日本最大の登山・アウトドアプラットフォーム「YAMAP」を紹介する。YAMAPは、電波の届かない山のなかでも現在地を把握できる地図機能や、歩いたルートや撮影した写真を記録してユーザー同士でシェアするコミュニティ機能などを備えている。安藤氏が届けたいのは「自然のなかで自分と向き合う」体験だ。
安藤氏「都会で便利なインフラや刺激的な情報に囲まれていると、自分が何を感じているのか、何を求めているのかを見失いやすいように思います。けれど、山に登って自然に身を置くと、余計なノイズがないためか、感覚が研ぎ澄まされ、自分自身の感情や欲求とまっすぐ向き合える。これをより多くの人にも味わってほしいと思いました。
そのためには、登山に対して抱かれる危ないイメージを払拭していく必要がある。YAMAPでは、オフラインでも利用できる『登山地図機能』や、友人や家族が登山者の位置情報を確認できる『みまもり機能』など、テクノロジーを駆使してリスクの軽減を試みてきました。また、『コミュニティ機能』では他の人がどのようなルートを歩いたかを確認したり、登る予定の山のコンディションについて聞いたりと、初心者でもより安全に登山を楽しむための情報が集められるようになっています」
LUCY ALTER DESIGN代表取締役兼クリエイティブディレクターの青栁氏は、ハンドドリップで淹れる日本茶ブランド「green brewing」に携わってきた。
同ブランドは、全国各地で生産された個性豊かな茶葉や、落としても割れない急須をプロデュース。東京・三軒茶屋の日本茶カフェ「東京茶寮」や、銀座と大阪の阪急うめだ本店の「煎茶堂東京」など実店舗も展開している。
青栁氏「茶葉が開く様子をじっくり見て、湯気の匂いを嗅ぎ、出来上がったお茶を飲む。その一連のプロセスは、心を穏やかにしてくれる。そうしたリラックスできる体験を目指してきました。
しかし、過去の僕がそうであったように、リラックスするためにコーヒーを淹れる人は一定数いても、お茶を茶葉から淹れて飲んでいる人は少ないでしょう。その原因の一つは、茶葉の種類や正しい淹れ方、必要な道具などがわからないから。
『そもそもお茶ってよくわからない』というハードルをなくすために、なるべくシンプルな形へ、お茶を淹れて飲む体験をアップデートできないかと考え、プロダクトや実店舗を設計してきました」
安藤氏、青栁氏ともに共通するのは、自らの信じる豊かな体験を顧客と共有しようと試みている点だ。同様に、玉樹氏がディレクターとして任天堂のゲーム機「Wii」の開発に携わった際も「ゲームの楽しさをいかに共有するか」が出発点になったそうだ。
玉樹氏「任天堂Wiiの開発が始まった頃の課題は、市場がゲームが大好きな層と全く興味のない層に二極化していたこと。
そこで、みんなでお茶の間で遊べるゲーム機ってどんなものだろう、ゲームを嫌っているお母さんでも触れるものってどういうものだろうというものを突き詰めていきました。最終的にはみんなでゲームを楽しんでもらえる状態を目指しますが、まずは好きになってもらうまでのハードルを徹底的に取り除こうと考えました。『ゲーム機が片付けられない』とか『設定が面倒くさい』とか、手前にあるハードルから一つずつ取り除いていったんです」
Wiiの販売台数は全世界で1億台を超え、それまでゲームに興味のなかった層からも広く愛された。玉樹氏は「いかにゲーム自体を面白くするかだけではなく、その手前の体験に着目する大切さ」を痛感したと振り返った。
作り手を「最も身近な顧客」と捉える
扱う製品やサービスは違えど、「この体験を届けたい」という意思を持ち、その価値を感じるまでの障壁をなくすことが、体験づくりの核となる。ここでモデレーターの小山が、体験を設計する際の考え方について問いを投げかける。
小山「『届けたい』あるいは『作りたい』をベースにするのはプロダクトアウト、顧客の障壁をなくしていくのはマーケットインの考え方に近いように思います。体験をデザインする上で、どちらをより意識しているのでしょうか?」
青栁氏「常に両方の考え方を行き来してきました。たとえば、独自開発した透明な急須は、プロダクトアウトとマーケットイン両方の視点から生まれています。お茶に慣れ親しんでいない人にとって、急須は茶渋で汚れやすい、割れやすい、食器棚に入らないなど、体験を損ねるポイントが多いんです。
これは、私自身がお茶を始めた時に感じた課題でもあります。そのような、顧客がつまずくであろう点を一つずつ挙げつつ、私たちが提供したい『茶葉が開く様子を見て楽しむ体験』や『湯気の香りを楽しむ体験』を両立させるデザインとは何かを突き詰めていきました。
両方を考え抜いた先に完成したのが、割れにくく、食洗機でも洗えて、茶葉の開く様子が見える透明の急須です。どちらか一方の視点に偏っていたら、生まれていなかったプロダクトだと思います」
「過去の自分も抱えていた課題を解消しようとした」という青栁氏の回答を受け、玉樹氏は作り手である自分も顧客の一人として捉える重要性を指摘する。
玉樹氏「最も身近な顧客として自分がいて、『楽しいと思えるまでに何がハードルになったか』を考えながら、製品やサービスを設計していく。マーケットインかプロダクトアウトかではなく、顧客のなかには作り手である自分も含まれていると考え、体験を組み立てていくことが重要なのかもしれません」
毎週山に登りYAMAPを利用する安藤氏は、まさに自身が作り手であり顧客でもある。しかし、自らの考えを過信しすぎないよう、登山の際は必ず他の登山者にヒアリングを行うという。
安藤氏「『なぜ山が好きなのか』と聞いてみると、同じ山好きでも、何を求めているのか、何に困っているのか、自分との共通点や違いが見えてくる。それらをひっくるめてユーザーの声として捉え、どのような体験を届けるのかを考えています」
顧客と「体験の余白」の関係は、時間軸とともに変化する
安藤氏のように顧客の声を聞くなかで、彼らのニーズと自らが届けたい体験との間に、大きな乖離は生まれないのだろうか。
YAMAPの例であれば、安藤氏のように内省を求めて山に向かう人もいれば、友人同士でレジャーとして登山を楽しむ人もいるだろう。体験を設計する際、どれだけ顧客が自由に意思決定できる余白を用意しているのか。
安藤氏「たしかに山の楽しみ方は人それぞれです。ヒアリングをするなかで、そもそも山ではスマートフォンの電源を切る人も多いと知りました。電波が入らない環境で通知やメールに追われず、穏やかに時間を過ごしたいからです。
そのため、YAMAPでは幅広い楽しみ方ができるプロダクト設計になっています。現在地やルートを確認する、帰宅後に写真を見て登山を振り返る、コミュニティ内の登山仲間で交流するなど、様々な利用方法を想定しています」
利用方法に幅を持たせている安藤氏に対し、青栁氏は「あえて自由度を抑えることもある」と語った。
青栁氏「お茶のレシピは、これまで自由度が高すぎました。『茶さじ二、三杯』と書いてあっても、茶さじを持っている人は少ないし、どのくらいの量かイメージもつきづらい。そこで、説明書きはあえて細かく記載し、顧客にそれに準じてもらうようにしています」
初歩的な部分では行動をあえて制限する。青栁氏の意見から、玉樹氏が着目したのは「余白と時間軸」の関係だ。
玉樹氏「余白は顧客との関係の変化によって、ダイナミックに変化していくのかもしれませんね。お茶であれば、最初の何度目かは説明書に沿って丁寧に、しばらくすると顧客が少しオリジナルな要素を加えて、最終的には顧客自身が独自の楽しさを見つけるようになる。このように、体験とは時間をかけて顧客と一緒に完成させていくものなのかもしれません」
作り手自身の「感情の浮き沈み」を丁寧に見つめること
顧客と作り手が一緒になって体験を完成させる。玉樹氏の言葉に青栁氏も大きく頷く。ちょうど顧客から、新たなお茶の楽しみ方を教わったばかりだという。
青栁氏「先日、急須を買ってくれる人のなかに山登りが好きな人が多いと気づいたんです。話を聞いてみると、山登りでコーヒーの代わりに、お茶を楽しむ人がいると知りました。めちゃくちゃお洒落ですよね。自分たちが意図しないところで、お客様がお茶を淹れて飲む体験を広げてくれる。玉樹さんのおっしゃる通り、その積み重ねによって体験が完成されていくのかもしれません」
顧客と共に製品やサービスの楽しさを発見し、体験の幅を広げていく。玉樹氏や青栁氏の描くような顧客との関係を紡ぐには、何が必要なのだろうか。安藤氏は、作り手自身が心から「好き」と思える領域に携わることが重要なのではと提案する。
安藤氏「自分の好きな領域であれば、顧客が製品やサービスのどこに楽しさを見出すのか想像しやすいと思います。
何より、作る側が楽しめているかは製品やサービス、体験の質に如実に現れる。顧客と作り手、双方が製品やサービスを通して良い体験ができていることが、これから体験をデザインする上で欠かせないでしょう」
とはいえ会場には心から「好き」と思える領域以外で体験のデザインに携わる人もいるだろう。そのなかでも「作り手が楽しむ」状態を作るために何ができるのか。玉樹氏がヒントを共有してくれた。
玉樹氏「『楽しむ』とは、自らの感情の動きを大切にできている状態だと思います。
例えば、お茶について『興味はあるがよくわからない』と思っている人が東京茶寮の店舗に足を運ぶ。お茶を淹れたとき、『お茶の香りって落ち着くな』とか『茶葉の違いで味が変わって面白いな』など、ポジティブな気持ちを体験する。その心のアップダウンを想定するには、作り手自身が製品やサービスに触れたとき、どのように感情が動いたのかを観察する必要があります。
感情の上り下りを無視して、感情が右肩上がりのようなカスタマージャーニマップを描いても本当に楽しい体験は提供できません。作り手、そして顧客の感情がどのように変化するのか。その感情の浮き沈みのなかに、製品やプロダクトを位置づけ、物語を作ること。そこに心を動かす体験のヒントがあるのではないでしょうか」
セッションの半ば「体験価値とは何か」という玉樹氏の問いに、青栁氏はこう答えている。
青栁氏「精神的なものを充足させるものだと考えています。機能性を求めるだけならペットボトル以上に便利なものはないですよね。でも、お茶をリラックスするための製品だと捉えた場合、ペットボトルでは不十分で、お茶を淹れる行為も含めたプロセスの方が大切です。そのプロセスを重視することで、体験価値が変わってくるのだと思います」
ただ便利な製品やサービスを生み出すには、顧客課題の解決だけでも十分かもしれない。しかし、心が動く体験を届けるには、それだけでは不十分だ。
製品やサービスを通して自らの感情の起伏を丁寧に見つめること。その軌道を顧客が辿れるよう導いていくこと。
作り手の内省と、顧客と体験を共有する姿勢が、心が動く体験を作る上では不可欠である――気鋭の事業家たちの議論からは、そんなヒントが垣間見えた。
ライター / 向晴香 編集 / イノウマサヒロ 写真 / 佐坂 和也