「119番にかけたら、まず私たちのサービスが案内される。そんな未来を目指しています」
民間事業でありながら、行政とも協働して「社会に欠かせないインフラ」となっていく。理想像をそう語ってくれたのは、ファストドクター代表取締役の一人であり、DXチームを率いる水野敬志氏だ。
医療領域のスタートアップである『ファストドクター』は、夜間・休日に電話やLINEで相談でき、必要時には自宅に医師が来て診察してくれる救急往診プラットフォーム。現在、1日あたり1,000件を超える相談に対応、うち300件ほど往診している。積み重ねてきた実績が評価された結果、自治体や医師会との連携も増えてきた。
患者側、医師やスタッフ側の両方に対する、デジタルの仕組みづくりも特徴的だ。医療体制と同様にIT投資も重視するファストドクターは、医療の体験をどのように変え、社会にどんな価値を生み出しているのだろうか。
「オープンアクセス」の往診プラットフォーム
夜中、自分や家族が急に体調を崩したが、救急車を呼ぶほどかどうかがわからない。あるいは休日に自宅でケガをしてしまい、すぐに治療を受けたい。そんなとき、電話やLINEですぐに専門家に相談でき、適切なアドバイスや処置を受けられたら——。そうした緊急時の受け皿になりつつあるのが、ファストドクターだ。
2016年、関東と関西を中心に設立された同サービスは、この春に名古屋と福岡へもエリアを拡大。平日・土曜の夜間、日曜・祝日は終日、誰でも利用できる。連絡すると、コールセンターの看護師が問診し、内勤の医師が「往診が必要」と判断した場合は待機する医師が患者の自宅へ向かう。
例えばフランスでは「SOS Médecin」などの民間の救急往診体制が整っており、海外旅行のガイドブックでもまずはそこに連絡するよう記されているという。日本では「救急安心センター事業(#7119)」の電話相談があるものの、往診の体制は整備されていない。
まだ発展途上の領域で、先駆者であるファストドクターでは受付件数が年々増加し、2019年度には4万1,112件の相談を受け付けた。受付件数のうち約3割が往診、1割は救急車が必要なケースだが、6割は朝を待って病院の受診を勧めるような軽度の状態だという。
その診療業務には、数多くの診療外業務が伴う。24時間のコールセンター運営や、医療機器の運搬、往診資材の在庫管理。医師の人材管理や、保険請求業務など……。これらを効率化すべく、受付から会計まで一気通貫で管理できるシステムを開発。テクノロジーを活用してスケーラブルな成長に耐えられる基盤を築いている。
ファストドクターを創業したのは、もう一人の代表取締役で医師の菊池亮氏。背景には、救急病院で夜間当直を担当していた際に抱いた、強い課題感がある。
救急車で搬送される患者の約半数が、実は「軽症」と診断されている。だが、頼る場所のない患者がひっきりなしに搬送されるため、医師らは次々と診察しなくてはならない。医師や救急隊の負担は尋常ではなく、患者にとっても長く待たされる疲れや数分の診察に不満が募っていく。何よりの問題は、こうした事態のために、一刻を争う重症者の救急搬送や処置に支障が出ることだ。
水野氏「関わっている全員が『おかしい』と感じている状態だったといいます。もちろん国も救急車の適正利用などをずっと呼びかけていますが、状況はほとんど改善していません。
そもそもなぜ、みなが救急車を呼ぶのかというと、自分や家族が重症だからではなく『病院が開いてないから』『他に手段がないから』です。ならば、やるべきは救急搬送の“代替手段”を提示すること。そこで菊池が着目したのが、救急往診サービスでした」
往診は医療行為を伴うため、救急車を提供する消防庁では踏み込みづらい。救急病院では医師の待機や移動手段、採算性など単独展開には課題が多い。そこを横断的に展開して規模を確保し、オペレーションコストを下げる方法をファストドクターでは模索した。
仕組みづくりのキーワードのひとつは、オープンアクセス。救急車を呼ぶ人の6割が高齢者であることを踏まえても、事前登録などをせず、すぐに誰でも簡単に使えることが重要だった。
水野氏「往診は本来、町の開業医さんに期待される役割でした。国の考え方もそうですし、我々が実施した患者さんへのアンケートでも、町の医院に時間外往診を希望する声は多いんです。でも、開業医さんの高齢化も進むなか、これから劇的に改善するのは厳しいでしょう。
オープンアクセスの時間外往診があれば、かかりつけ医がいない人の選択肢が増え、軽症者でひっ迫する救急車や救急病院の負荷も減らすことができる。対応エリアの開業医さんや救急病院には、1件1件アポイントをとって仕組みを説明し、『先生方の大切な患者様の夜間を任せていただけませんか』と協力をお願いしています」
「判断する医者」から「移動する救急病院」への進化
パートナーとして契約するスタッフは医師900名、看護師70名、医療従事者120名。教育体制にも力を入れており、医師の品質を5段階でスコアリングし、提供する医療の質を担保する。
例えば関東エリアでは現在、医師とドライバーのペアが約40チーム、各所にスタンバイしている。別途、特殊な検査機材などを携えた看護師のチームが連動することもあり、救急病院へ搬送せずとも、在宅でさまざまな検査・治療・薬の処方ができる。
もちろん、最初から今のような検査や治療をしていたわけではない。当初はとにかく駆けつけ、搬送が必要と判断したら救急車を呼ぶスタンスだった。ところが、往診を挟んで救急車に乗ることになった患者から「最初から119番を呼べば良かった」と不満の声が上がり始める。救急病院の負荷も思ったほど下がらず、現場でできる処置をもっと増やす必要があると気づいた。
水野氏「そこで、コンセプトを『移動する救急病院』に切り替えました。持ち運べる設備を充実させ、往診範囲を少しずつ広げていったんです。
また、一度往診した患者さんへのフォローアップも重視しました。救急処置の内容を記した紹介状を書き、かかりつけ医がいればその先生へ、いなくても後日行く病院へ引き継げるよう連携しています」
時間外救急は一時的な“点”の治療になりやすいが、患者からすると、今日も明日も自分の体にまつわることはついて回る。その“線”の連続性を捉え、「空いているところを埋めよう」とサービスを充実させてきたことが、患者への価値の向上につながっている。
患者との関係を診察時だけで終わらせない姿勢は、フォローアップ以外にも反映されている。例えば、ECなどでは当たり前の「利用者レビュー」の仕組みを整備している。
水野氏「患者さんからのフィードバックを1件1件いただくことは、医療の世界では極めてまれです。でも、たとえば『検査の説明がよくわからなかった』など、実際にサービスを体験した方の率直な感想や評価を知ることは、診察の質を高めるうえでとても大切です。
時には厳しい意見を頂戴することもありますが、そうした指摘に対応していくことが全体の底上げになる。改善のサイクルを当たり前に回していくことが、私たちの大きな強みになっています」
ファストドクターに登録する900名の医師のほとんどは、普段は医療環境が充実した大学病院などに勤務している。だからこそ、医療的に決して“やりやすい”とは言えない環境で、五感を研ぎ澄ませて患者に向き合う体験を「医者としての原点に立ち戻る」機会と捉える医師が少なくないそうだ。1件1件のフィードバックは、水野氏らが当初思っていた以上に、ファストドクターに対する医師のエンゲージメントにつながっていた。
水野氏「また、医師が家庭内に入ることで、病院では知り得ないさまざまなことがわかります。家庭内の情報量って実はすさまじく多くて、児童虐待の予兆や、介護認定が必要なのに家族の反対で進んでいない状況など、家庭福祉の問題が見えてくることもあるんです。
医療を享受する“人”の後ろで複雑に絡み合う課題に、一人ひとりの医師が気づいていく意味でも、往診救急が広まることには大きな意味があると考えています」
往診を支えるDXチームと、3つのシステム
拡大の背景には、横断的な地域医療のモデルだけでなく、冒頭で紹介したようなテクノロジーを活用した独自のオペレーションの貢献も大きい。
それを支えるのは、水野氏を中心とするDXチームが開発した3つのシステムだ。ひとつ目は、マッチングのシステム。患者の訴える症状と医師の専門性、位置情報、さらには性別なども考慮して、最適な医師を自動でアサインする仕組みがつくられている。
2つ目が、顧客体験の質を左右する患者側のシステムだ。相談から往診、決済まで、「患者の取り違えを防ぐこと」と「いざというときに誰でも使えるシンプルな仕組み」の両立が求められた。
水野氏らはまず、電話1本での相談を軸に開発を行った。アプリを入れて登録して……と要求されても、いざというときや体調不良のときは複雑なことはできないからだ。
水野氏「ただし、電話だけだと情報の伝達に問題があります。例えば40度の熱があって朦朧としている患者さんに、『24時頃に◯◯先生が伺います。受付番号は**です』と伝えたところで、覚えておくのは難しいですよね。受付内容や状況をいつでも確認できる方法として作ったのが、SMS(ショートメッセージ)でスマホにリンクをお送りする仕組みです。
リンクを開くと、医師の『今向かっています』といった状況や到着の見込み時間が一目でわかります。料金も表示され、クレジット決済もそのページから可能です。
スマホを持たない方には口頭でメモの確認などを念入りにし、決済は後日コンビニ支払いに。条件のなかで工夫しながら、患者さんができるだけ良い体験を受けられるよう、試行錯誤しています」
3つ目は、医師側を支えるシステムだ。救急往診における医師は、実は一人四役を担っている。保険証などを登録する医療事務、診察をする診療医、検査などを行う看護師、薬を処方する薬剤師——やるべき仕事は多岐に渡る。
医師のリソースが鍵となるサービスのなかで、そうした業務が円滑に運ぶことに、相当のITリソースを割いている。
水野氏「スマホの撮影で保険証の文字を読み込めるようにしたり、移動の車中でも音声認識を使ってカルテを作成できたり、あらゆるシーンで作業効率を高めています。医師ができるだけ働きやすい環境を整えることが、この事業を続けるのにとても大切だと考えています」
そのための工夫は、デジタルの活用に留まらない。医師が迷わないように、あまり扱わない検査キットに手順を書いた貼り紙をすることも。「気づいたことは何でもやる」という水野氏の言葉に、仕組みを支えるチームの気概が見える。
医療の質の標準化にも、仕組みが寄与する部分が大きい。DXチームでは、書かれたカルテに対する分析・フィードバックができる看護師チームの編成をしたこともある。
水野氏「現場の診療を担うのは、一人ひとりの医師です。けれど、そのオペレーションをより良くして、事業全体を健全に続けるには、医療というより改善のプロ、経営を見える化するプロが必要なんです。例えば先生方の離職率も、私たちのKPIのひとつです。
DXチームは、医師や患者が『ここにストレスがある』と示してくれる場所を、ITをはじめあらゆる要素で解決していきます。高度なスキルが求められるわけではなく、むしろ重要なのは、自分たちの知見や世の中にあるツールを総動員して、ファストドクターの仕組みのなかに丁寧に組み合わせていくこと。そして、一つながりの体験として、よりスムーズなものにしていくことだと思っています」
「積み重ね」で得た業界からの信頼
サービス開始から間もなく5年。ファストドクターは患者・医師の信頼を積み上げ、着実に規模を拡大してきた。
利用の増加にあわせて、提供できる医療の範囲も広がった。例えば上腕の骨折なら、レントゲン撮影から整形外科医によるギプスの固定までできる。栄養失調の高齢者には、別途出動している看護師が現場に合流し、2時間かけて点滴を投与することもある。
水野氏「実績がものを言う医療の世界で、少しずつ地域の医療機関との連携が深まっていると感じています。
各エリアの開業医さんとの関係も地道に築いてきていますし、急患で手いっぱいの救急病院から『うちでは診られないけど、ファストドクターなら対応してくれるかもしれない』と直接指名されることも増えてきました」
今年2月には、自治体との連携が相次いで発表された。内容はどれも、「新型コロナウイルス感染症患者」へのケア。コロナ禍への対応は、社会におけるファストドクターの位置付けを変えていった。昨年の春の時点では物資も不十分で「ただ発熱して困っている方に寄り添うことしかできなかった」というが、8月1日から公費適用の訪問PCR検査を開始した。新型コロナを疑う症状がある患者に限り、医師の判断でPCR検査、または抗原検査を実施している。
水野氏「年明けには、たとえば酸素飽和度が90%を切るような救急搬送が必要な事態でも、病院側の受け入れ態勢が整わずに自宅待機をせざるを得ないケースも相次ぎました。そこで、一晩かけて在宅で酸素吸入をし続けられる体制も整えました。
朝になれば、病床にも空きが出てくる。現場と本部が一体となって、できる限りのことを模索しました」
そうした取り組みと、これまで多種多様な症例を診てきた実績が合わさり、自治体との連携につながっている。東京都の医療支援事業の一部を受託する形で、東京都医師会・地区の医師会や保健所と協力するほか、大阪府とは救急往診の支援に加え、自宅療養者の緊急相談窓口を担っている。
水野氏「医師会さんからも『一緒に』と言っていただくことで、より地域の医療機関と密な連携ができるようになっています。救急往診をただの“点”で終わらせず、患者さんにとってより価値のある医療体験にしていく、大きな転機だと感じます」
救急時の選択肢を広げ、社会的なインフラに
これまでのファストドクターは患者の認知も医師の認知も、口コミによって徐々に広がった側面が強かった。特に患者側はWebが中心で、ネットを使わない人の認知がまだ低い。自治体や医師会の後押しは、今までのアプローチでは届かない層に認知を広げられる機会でもある。「私たちというより、『救急往診』という選択肢があることをもっと広げていかなければ」と水野氏。119番に頼る事態が変わっていかなければ、救急現場の課題は改善しないからだ。
また、医師やスタッフ側に対しては、エンゲージメントの強化を重視している。決して楽ではない夜間や休日診療を担うパートナーが、どれだけ充実感を持って働けるか。システムを磨くほか、例えば初回の勤務時に「予定より少し早めに退勤してもらって、ほっとしてもらう」など、細やかな心理的フォローも大切にしているという。
水野氏「患者さんからのフィードバックも、医師に何の責任もないクレームは見せないようフィルタリングし、ポジティブな反応は積極的に共有しています。そうした積み重ねが、関わる一人ひとりの医師のモチベーションをより内発的なものへと変えて、質の高い往診体験を生み出していくと思います」
さらに、ヘルスケアデータやIoTを扱う企業との連携も視野に入れる。患者の情報を事前にモニタリングできれば、遠隔診療や訪問看護での選択肢を増やすこともできるだろう。
そうした構想を前に、「まだまだできていないことばかり」と話す水野氏。患者側、医師側それぞれで細かな改善を重ねる先に描くのは、冒頭で紹介したフランスのように「119番でファストドクターが案内される」ようになる未来だ。
水野氏「新しいインフラを目指しながら、従来の医療体制では大変だったところや、関わる人々のストレスを一つひとつ解消していく。個々の患者さんの状況はすべて違うため、考えるべきことは無数にあります。相手の気持ちになり切るのはとても難しいと、日々実感しています。
そのなかで、どれだけ前向きにいられるか。一つひとつをポジティブに変えていこうとする姿勢が、これからも必要なのかなと思っています」
執筆/佐々木将史 編集/高島知子 撮影/植村透忠