ダイエットのための食事管理やパーソナライズされたランニング、筋トレメニューの提案などをしてくれる「ヘルスケアアプリ」。
スマホにひとつくらいダウンロードされている方も多いだろうが、使い続けられている方は少ないのではないだろうか。すばらしい機能や使いやすいUXを実装していても、実際に食事を見直し、ハードな運動をするのは、やはりユーザーの仕事。ストイックに健康に目を向け、行動に移すのは、相変わらずハードルが高いからだ。
「だから私たちは徹底的にハードルを低くしました。“ゆるく長く続けられる”健康習慣化アプリ『SUNTORY+(サントリープラス)』をつくったのです」とサントリー食品インターナショナル株式会社・イノベーション開発部の赤間康弘氏は言う。
実際、2020年7月に立ち上げられたヘルスケアアプリ『サントリープラス』は健康意識が高くない層に刺さり大好評を得た。ヘルスケアアプリの継続率は、利用開始から1か月半で約15%程度が一般的と言われる中で、同アプリの継続率は6ヶ月以上が経過しても実に約50%以上となっている。
「ゆるく長く続けられること」に振り切った設計思想とUI/UXのつくりこみ、“自販機”をトリガーとしたビジネスモデルの絶妙さ、さらにはチームのワークスタイルにまで迫った。
ゆるい健康行動を楽しむと、健康飲料が飲める。
超高齢化が進むなか、医療や介護にたよらずになるべく自立的に生きる“健康寿命”のニーズは高まるばかりだ。
企業にとって、それは「経営課題」でもある。生活習慣病などの従業員が増えれば、医療費の企業負担が増えるからだ。すでに健康保健組合の実に78%が赤字というのが現状だ。日本経済に打撃を与えるという意味で、大きな社会課題ともいえる。
赤間氏「そうした深刻な社会課題を解消する“健康経営”をサポートするのが、『サントリープラス』の役割なんです」
一見、ヘルスケアアプリと遠い存在にも思えるサントリーだが、実は『特茶』『黒烏龍茶』『胡麻麦茶』などのヒット商品を多く持つ健康飲料のトップランナーだ。オフィスや工場の自販機などを通じて、すでに健康経営に寄与してきたともいえる。
さらに、ヘルスケア領域の深化を図るため、健康飲料、自販機に加えられたのが『サントリープラス』だった。プロダクトだけではなくサービス化へと踏み込むため、ヘルスケアサービスアプリを企画、開発したというわけだ。
機能は「従業員の健康行動を習慣化するヘルスケアアプリ」で、それ自体は目新しくない。しかし競合アプリと大きく違うのは、徹底して「ハードルが低い」ことだろう。
まずは『アプリが提案する健康タスク』のハードルを低くした。
通常、こうしたヘルスケアアプリは「効果的な筋トレメニュー」や「身体データに即したウォーキング距離」「カロリー計算された食事メニュー」といったタスクが提案されがちだ。健康意識の高い従業員にはお手の物だし、効果も高いタスクはありがたいだろう。
しかし健康意識の低い人にとってはいかにも高いハードルに映る。ようは挫折しやすく、サービスの離脱ポイントになるわけだ。
赤間氏「そこでストイックで挫折してしまいやすい健康タスクは排除。誰しもムリなく普段のくらしの中でごくごくカンタンにできるタスクだけを提案することに振り切ったのです」
たとえば『朝起きて水を一杯飲む』『肩甲骨を寄せて広げる』『積極的に階段を使う』といった具合だ。ハードルの低さたるや、超がつくほどだが、すべてのタスクは筑波大学発の研究成果活用企業THFが監修。「体脂肪」「血圧」「コレステロール」「血糖」の4領域で、すべてのタスクが科学的根拠に基づいて設計されている。
同じくイノベーション開発部の白石文香氏は「ちょっとしたところですが、『できなかったことを責めない』文言やデザインを意識して作りました」と言う。
白石氏「たとえばアプリ内のカレンダーは、タスクを消化した日は太陽のイラストがのぼる気持ちいいデザインになっています。ただタスクを1つもクリアしなかった日も、真っ暗にするなどネガティブなものにはせず、オレンジ色で明るく仕上げました。『もっとやれ!』『がんばれ!』などと急かすことなく、『ついついさぼっちゃいますよね』と健康意識が高くない人にちゃんと寄り添って肯定する。そんな世界観をデザインの細部にも入れ込みました」
また達成タスクが一定数を超えるとランクアップ。トリビアめいた雑学コラムが読めたり、アプリ内でコレクションできるバッジがもらえる仕組みも実装した。楽しさと達成感がモチベーションを高めていく。
「健康フェス」と名付けたイベント機能も開発中。「犬派・猫派」「夏派・冬派」など好みによる2択でアプリ利用者をチーム分け。期間限定で「チームのタスクの達成回数を競って勝ったチームはもちろん、負けたチームの方にも飲料クーポンをプレゼントする」といったオンラインイベントを実施予定だ。ゲーミフィケーションによって、楽しく参加できる仕組みも取り入れる。
赤間氏「これは私が以前いたゲームメーカーでの経験を活かしました。オンラインゲームで好みでチーム分けして競い合うと盛り上がるんです。単純ですが、継続率を高めることにつながる」
とはいえ、アプリを使い続けるハードルを最も低くしたのは『自販機とのたくみな連携』だろう。
『サントリープラス』は1週間に3日間タスクを実施するとくじが引け、抽選で職場に設置された自販機で交換できるポイントや飲料クーポンがもらえる仕組みになっている。健康タスクを実施することでポイントやクーポンがもらえることが、アプリを使うことで得られるインセンティブとなる。飲料メーカーならではの強みを活かした設計になっているわけだ。
自販機の力は、「お得感」だけではない。
自然と目に入る、タッチポイントとしての意義。
『サントリープラス』には導入条件がある。アプリ連携で決済できるグリーンプラスという機能が搭載された自販機が、オフィスや工場に設置してあることだ。
職場の自販機は、たいていロビーや休憩場所など「目に入りやすい場所」にあるものだ。つまりふとした瞬間に自然と目に入る。だから「あ、『サントリープラス』やろうかなと」とごく自然なリマインド機能が働くのだという。
白石氏「リアルなタッチポイントとして、健康飲料と自販機が“目に入る”のは強い。実際にユーザーインタビューでも『自販機をみるとアプリを思い出して開く』という声がとても多いんです」
アプリから自販機に送客するだけではなく、自販機がアプリに送客する。そうしたサイクルが生まれているわけだ。
さらに健康啓発ポスター配布や健康セミナー実施など、アプリ以外の接点も積極的に提供している。『アプリを思い出してもらうリアルなタッチポイント』はできるだけ多くつくっているそうだ。
あらゆる角度で「ハードルが低い」設計を施した『サントリープラス』。こうして使い続けるようになると、タスクそのものの効果のみならず、コツコツと健康に留意する“習慣”がつくことこそに意味があるという。
赤間氏「こうした行動変容を“スモールチェンジ”と呼び、重視しています。健康飲料のユーザーインタビューをとるとわかるのですが、『特茶』などを定期的に飲み続ける方は、特茶をトリガーにして『ちょっとずつ食事や運動にまで気を使うようになりはじめる』方が多い。わずかな健康習慣でもつづけることで、健康に対する意識がブーストされます。そんな健康ブースターのような効果を、『サントリープラス』の設計にも入れ込みました」
感心させられたのは、この自販機連携が、企業の『サントリープラス』導入ハードルまでも低くしたことだ。
こうしたヘルスケアアプリは導入するために一人あたり月額で数百円程のコストがかかるのが相場だ。しかし『サントリープラス』は無料である。
なぜか? 先に述べたようにアプリ連携で決済できる自販機の設置が、導入条件だから。つまりマネタイズポイントをアプリではなく、自販機飲料の販売にズラしてあるためだ。
赤間氏「自販機設置による売上・利益を原資として、アプリやポイントインセンティブも含めたサービスを無償で提供させていだいています。自販機がなければその設置だけをさせてもらうわけです」
医療費の負担額を減らしたいと考えている企業や健保に「新たな健康施策を……」と提案しても、コスト面で敬遠されがちだ。このハードルを自販機によってかるがると飛び越えたわけだ。
そもそもサントリーの自販機は、現在、日本に約40万台も設置されているが、オフィスや工場といった企業向けの場所ばかりではない。膨大な潜在顧客がすでにいるのは圧倒的な強みとなっている。
本社から物理的に離れた共創が、もたらしたもの。
サントリーがここまで画期的なビジネスモデル・サービスを立ち上げられたのは、今回のチームが取り入れたチャレンジングなワークスタイルも寄与している。
赤間氏と白石氏を含むイノベーション開発部の『サントリープラス』チームは4名。もともとサントリー本社に席があったが、立ち上げ準備を機に都内のシェアオフィスにプロジェクトルームを借りたという。
ここにパートナー企業としてグッドパッチのメンバーもジョインしてもらい、ブレストを繰り返し、プロトタイプの作成まで膝を向き合ってつくりあげた。SlackやNotionなどのコミュニケーションツールも、コロナ禍でもチーム内で蜜な連携が出来るよう最大限に活用した。
白石氏「これまでならば、本社の会議室にパートナー企業の担当者にきてもらって、こちらの要望を伝え、後日、提案してもらって…という流れ。そうではなくフラットな仲間として意見を言い合い、事業的視点に引っ張られ過ぎず常に顧客目線でサービス開発できるよう、プロジェクトルームを外につくってすすめました」
だからグッドパッチのプログラマーやデザイナーと、一緒に画面を見ながら高速でPDCAを回していけた。
赤間氏「彼らとサービスのビジョン、ミッション、バリューから話し合い、それをアプリで使うデザインや文言のトーン&マナーに落とし込めました。『サントリープラス』のブランドに対してのイメージ、具体的には、『できなかったことを責めない』などネガティブな部分を排したことや、『楽しく続けられる』という部分を、営業部隊からカスタマーサクセスチームにまで共有できたことはブランディングに役立ちました。利用される方の『使いやすさ』や『楽しさ』につながっている自信もあります」
本社から離れた雑音の入らない場所で、自由度高く試行錯誤できたことも大きかったに違いない。大きな組織がイノベーションを起こすのは難しいとされるが、物理的に小さな組織をつくるのはオープンイノベーションの教科書どおりの正解だ。「やってみなはれ!」とお膳立てして裁量を任せた上長の存在も成功要因だろう。
現在、『サントリープラス』の採用企業は約150社を超え、全拠点・全社員で導入している企業もある。多彩な会社で運用されながら集まった声やデータは、さらにサービスをブラッシュアップさせる。
赤間氏「利用されている方々にさらに楽しさと健康を低いハードルで提供していくつもりです」
同時にプロジェクトで得たプロトタイプ思考の新たなワークスタイルはまた、サントリー本体にも少しずつ伝わり、少しずつ会社全体をブラッシュアップさせていくに違いない。
“スモールチェンジ”は思いのほか、効果が高いのだ。
執筆/箱田高樹、撮影/西村満、編集/BAKERU(サカヨリトモヒコ)