表参道の交差点を少し入ったところにある、レンガ造りのビル。半地下に続く階段の先に、色彩と活気にあふれた空間がある。『青山フラワーマーケット』南青山本店だ。
空間いっぱいの“旬の花”、白やブルーのブーケが清涼感をたたえて出迎える。店内では、少しずつニュアンスの違うピンクの花々に心が華やぐ。咲き誇るひまわりに、思わず手が伸びる。
1989年に事業を開始した青山フラワーマーケットは現在、国内に117、海外に2店舗を構える。運営するパーク・コーポレーションはほかにも、植物を身近に感じられるカフェや、フラワースクール、植物を取り込んだ空間デザインなど複数の事業を展開している。
創業社長の井上英明氏は、「これまでずっと『花のある生活を届けたい』と取り組んできた」と話す。
モノを売るのではなく体験を売る、“コト消費”が注目されるずっと以前から、なぜパーク・コーポレーションは「体験の提供」を追求し、実現できているのだろうか。その思想と現在に至る過程を、井上氏と、青山フラワーマーケットのブランドクリエイターを務める江原久司氏に尋ねた。
花を売るより「花のある生活を提案する」
青山フラワーマーケットは、二面的な魅力がある店だ。種類や色ごとにまとめられた花は、多彩な色や質感を印象付けながら、全体としてどこか落ち着きも感じさせる。南青山本店のような路面店でも、コンパクトな駅ナカの店舗でも、野性味と洗練が共存する「同店ならでは」の印象がある。
独特の雰囲気を生む理由のひとつが、顧客と花を隔てない空間づくりだ。花は暑さに弱いため、通常の花屋では冷蔵庫に収められていることが多い。ところが、同店にはそれが存在しない。
同社の花はそもそも仕入れから販売までの回転が速く、店舗に長く置かれることがない。花の色味や質感を目の前にすると、「ほしい」気持ちが高まる。「生活のなかで楽しめるように」と、店内の各所に置かれたカジュアルなブーケも手にとりやすい。顧客と花を近づけたいという、事業の根幹にある考えが顧客への価値を生み、またビジネスを支えているのだ。
隔てられずに置かれた花は、五感を刺激する。
井上氏「うちの店に来てお客様が何をなさるかというと、圧倒的に多くの方が、花の香りを嗅がれるんです。その気持ちはよくわかります。特にバラなんて、色やたたずまいも魅力的だけど、一番は香りを確かめたくなりますよね。
僕が花屋の事業を始めたころは、花に触れるお店はまずありませんでした。うちの店だと花の香りを嗅ぎ、手に取れる、そんなところにとても好感を持っていただいて、お客様が増えていきました」
青山フラワーマーケットのコンセプトは、「Living With Flowers Every Day」。花を売ること以上に、花がある生活を届けたいという思いが込められている。象徴的な商品が、『ライフスタイルブーケ』だ。さりげない、しかし素人には真似できない組み合わせの小さな花束はいずれも数百円で、日常的に購入することができる。
ほかにも、顧客の生活に寄り添う意識が随所に現れている。花には必ず切花用の鮮度保持剤を添え、豊富な花瓶類やオリジナル花ばさみまで扱うなど、購入してからの楽しみが続くよう配慮されている。「売ることが仕事」「売れたら終わり」という発想は、ここにはない。
「あの花、すごくよかったから、また持ってきて!」
モノを売った先の「体験」に井上氏が着目していたのは、創業時からだ。大学卒業後、ニューヨークの会計事務所に会計士として就職したが、いざ働き始めるとまったく肌に合わなかった。
井上氏「会計に間違いがないかを確認する仕事には、クリエイティブな要素が入る余地がないなと感じたんです。もちろん極めて重要な業務ですが、向いていない自分がするには『人生の無駄遣いだ』と思うようになりました。
じゃあ、何をするか。当時の僕は、セントラル・パークで過ごす時間がとてもハッピーでした。園内でサイクリングをしたり、芝生でくつろいでワインを飲んだりしていると、誰かの演奏が聞こえてくる。こういう時間が、人生にもっとあるべきだと思ったんです。
自分で事業を立ち上げるなら、世の中にそんな魅力ある時間を届けたい。そう考えて、社名を『パーク・コーポレーション』にしました」
最初に着手したのは、月額制のイベント企画運営の事業だ。帰国すると、大学時代をともに過ごした仲間たちが、一様につまらなさそうな顔で働いていた。それを見て「おいおい、人生の無駄遣いだろう」と思ったことがきっかけだった。
並行して、柱となる別の事業を探していたところ、1990年に控えていた花博(国際花と緑の博覧会)の記事に目が留まる。さっそく花の市場に行ってみると、青山で1,000円ほどもするバラが100円や150円で扱われていた。
井上氏「これなら1,000円よりもっと安く値づけできる。『安ければ、毎日買うのに』と思いました。ひとまずまとめて仕入れ、その足で議員会館を訪ねました。友人の父親が代議士をしていたので、買ってもらったんです。
すると翌週、『つぼみもよく咲くし、保ちがいい。また来てよ』と好評で。そこからほかの方にも広がり、しばらく完全無店舗の花屋をするうちに、贈答用の予約注文も入るようになりました。扱う品数がどんどん増え、一時期は自分の部屋が花の在庫であふれていましたね」
ただ、当時はまだ「花を商売道具にしか見ていなかった」とも語る。自らが“花の力”に心から魅了されたのは、花の都・パリを見ておかねばと渡仏した際に泊まった、小さな宿でのこと。
井上氏「華やかな市場を見てから部屋に戻ると、とても寂しい感じがしましてね。もう一度部屋を出て、コンランショップで一輪挿しを買い、マルシェでアプリコット色の花を買って帰った。それを部屋で生けた瞬間、空気が一変したんです。
これが花のすばらしさなんだと、初めて顧客の立場になれた瞬間でした。そこから、花のある時間や空間の本当の価値を突き詰め、お客様に提案していこうと思うようになりました。
考えてみれば、僕は佐賀の田舎の出身で、都会に比べてモノは豊富になかった。でも、美術展に連れていってもらったり、書道をしたり、豊かな体験をたくさんしてきました。だから今でも、いい時間やいい空間に身を置きたいし、その価値を周りの人にも知ってほしいと思って事業をしているんです」
顧客の細かな様子から、体験の質を引き上げる
生花販売を始めて4年後、1993年に青山フラワーマーケット1号店となる南青山本店をオープン。以降、花を通じたライフスタイルの提案で多くの顧客をつかみ、店舗数を増やしていった。
青山フラワーマーケットのブランドクリエイターを務める江原久司氏は、2001年、15店舗ほどのころに入社している。当時も、花は冠婚葬祭や記念日などに購入するものとして扱われ、普段の自宅用に勧める店はほとんどなかった。
江原氏「街で初めて目にした青山フラワーマーケットは、従来の花屋とまったく違っていました。肩肘張らない雰囲気に多くの方が惹きつけられていた。日々の生活のなかで花を楽しんでほしいという明確な思想が、すごく印象的でした」
では、そうした思想がどのように現場に落とし込まれているのか。井上氏は、「“花屋の都合”でお客様のことを考えないように」と繰り返し話すという。顧客と対面で向き合うのではなく、むしろ横に立ち、同じほうを向くことを大事にしている。
たとえば、アレンジメントなどを入れる配送用の箱を大きめにつくってある。花を入れるにはやや大きくても、配送する間に花が開くことを考えると、そのほうが顧客が取り出しやすいからだ。
だが、初めから「顧客が花を出すとき」に思いを寄せられていたわけではない。箱の改良はしていたが、店内で扱いやすい強度にするなど、花屋視点の取り組みに留まっていた。
井上氏「僕らは花を箱に入れるだけで、受け取って箱から出したことはなかった。そこに顧客の視点が欠けていたことを、僕の母親が亡くなったとき、自分自身が各店舗から花を受け取って知りました。
顧客の視点で、『出すときにどうなんだ』という点に意識を向けられるかどうかで、体験の質が大きく違ってきます。
お客様には、店に入ったときからわくわくしてほしいし、ご自宅で生けた花には長持ちしてほしい。1,000円の花を買われたら、それは枯れるまでの一連の体験に払っていらっしゃるわけです。そのすべての質を担保できるように、僕らはあらゆる点に意識を向けるべきだと思っています」
花屋の視点ではなく、顧客の視点でよりよい体験を目指す。その取り組みは現場でも常に意識され、細かな点が改善されている。たとえば、花を買った方が包装から少し飛び出ているのを気にしていたことから、5cmだけ大きい袋を用意。逆もしかりで、小ぶりな花束が袋の中で揺れて気にならないよう、小さめの袋も用意している。
江原氏「些細な例でいうと、ブーケを束ねる輪ゴムもお客様の反応を踏まえて変えました。花屋の視点では、輪ゴムは外す前提ですが、そのまま花瓶に挿す方が多いようだったので、目立たない白いものにしています。
店頭では各自が業務や接客をしながら、お客様の細かな様子に気づけるように、といつも話しています」
今、顧客の反応をもとにした施策から一歩進めて、青山フラワーマーケットのアプリ上で顧客の意見を積極的に聞けるよう準備している。カフェ事業で来店客に直接アンケートをとっており、それに基づく改善が奏功したためだ。「顧客の声をデータで押さえるのはやはり大事」と井上氏。
「社長は一番下」の組織構造の真意
パーク・コーポレーションの事業には、創業社長である井上氏の思想が色濃く反映されている。顧客視点を重視する方向性は明快で、ブレがない。
だが事業が拡大し、スタッフが増えるなかで、その思想を浸透させるのは容易なことではない。行動を規定するのは簡単だが、店頭で心の伴わないマニュアル的な対応をしていたら、花と出合う魅力も半減してしまう。
そこで同社では、井上氏の直接的な発信で思想の浸透を図り、「現場が上」と定める徹底した現場への権限移譲によってその思想を実現している。
たとえば、店舗アルバイトスタッフの研修には井上氏が必ず参加して話す。花が好きで同社を志す人がほとんどなので、「トップが熱をもって花とお客様について語る姿に、感銘を受けるスタッフも多い」と江原氏。
また、井上氏自ら執筆した「社長ブログ」も大きな存在だ。1998年から2005年まで、自分の考えを書き留めた136冊ものノートから起こした34本の記事は体系化されており、同社が大事にしている考え方とその理由が端的にまとめられている。企業の考えが丁寧に言語化された場は、みながいつでも立ち戻れる基盤になっている。
さらに、顧客体験の質を高める点で注目したいのが、同ブログにも記された「逆ピラミッド」の組織構造だ。事業を行う際の最上位は顧客。その次が接客する現場スタッフ、次に現場のリーダー、そして現場を支える本社スタッフ。社長は「一番下」とある。
そのため、各店舗には思い切った権限移譲がなされている。たとえば商品の仕入れも現場が8割ほどを担っており、各店の客層に応じて発注を行う。そこに江原氏ら本社チームが、季節に合わせた共通商品やイベント時のディスプレイ資材などを供給し、サポートをしていく。
江原氏「現場で働くみなが、いちばんお客様に近く、その気持ちやニーズに詳しい。だから各店に個性が表れますし、心からの接客にもつながります。『うちの店のお客様にはこれが喜ばれそう』と思うものを仕入れることで、美しさや魅力をちゃんと自分の言葉で表現できるようになっていきます。
ただ、権限移譲で自由度を持たせることと、ブランドとして全体のクオリティを高めていくことは、ときに相反します。このバランスをどう取るかは、一生の課題だなと思っています」
同社の長年の躍進に対し、メディアなどから成長戦略を尋ねられることも少なくないが、井上氏は「そもそも『戦略』という言葉を使ったことがない」と語る。自分がほしいものは、ほかの誰かもほしいはず。そんな思いでここまで進んできたという。
たとえば2011年にスタートしたカフェ事業も、井上氏がイタリアでパンジーの花農家を訪れたとき、あまりに美しく「ここでお茶したいな」と強く思ったことが起点になっている。
井上氏「僕は、自分が好きなものを売ってきただけなんです。何でもない日にも『部屋にバラが一輪あったらいいな』とか、普段の食事でも『テーブルにちょっとしたブーケがあれば華やぐな』とか。
そうやって常に自分自身をフィルターに考えてきたことが、今の事業に結びついています。だからこそ現場のみなにも、自分の直感や感覚を大事にしてほしい。それを信じることが、お客様の豊かな生活につながっていくと思っています」
「現場が上」の組織構造を描いても、そこで一人ひとりが個性や感性を発揮できなければ、豊かな顧客体験は生まれない。その質を最大限に高めるための裁量と、ブランドとして、企業として利かせるべき求心力を常に模索する姿勢が、青山フラワーマーケットの魅力の背景にある。
執筆/高島知子 編集/佐々木将史 撮影/伊藤圭