「闇の自己啓発」「異常論文」「最悪の予感」……一見すると“異常”な印象を受けるこれらの文字列は、ある出版社から刊行された書籍や雑誌のタイトルである。
発売直後から売れ行き好調、SNSも大きく沸かせたこれらを手掛けるのは、早川書房。1945年8月という、日本史における転換点となった月に創設された同社は、日本にSFやミステリーを根付かせた立役者だ。もともとは海外文学がメインだったが、2000年代以降は国内フィクション、そしてここ数年は国内ノンフィクションにも本格進出し、コンセプチュアルな作品を世に送り出し続けている。
出版不況が叫ばれて久しい現代において、早川書房はなぜ話題作を連発できるのか? この謎を解き明かすため、編集統括部長の塩澤快浩と、ノンフィクション部門の責任者を務める一ノ瀬翔太をたずねた。両氏は「書籍」という媒体を通して、読者にいかなる体験を届けようとしているのか。かの大作家にちなんで名付けられた、本社ビル1階の名物喫茶店「クリスティ」にて、“異常”作品の裏に込められた思いを聞いた。
専門性の高いジャンルだからこそ、著者や読者の“顔”が見えて仕掛けやすい
──早川書房といえば、もともと海外文学や国内のSF・ミステリーを中心に出版している印象でしたが、最近は国内ノンフィクションの話題作も目立ちますよね。
塩澤:いまでも刊行物の7、8割は翻訳書で、残り2、3割の和書もフィクションがメインです。そもそも、専門の部門を置いて国内フィクションを本格的に出すようになったのも2008年頃で、まだ10年ちょっとしか経っていない。国内ノンフィクションを積極的に出すようになったのは本当にここ数年のことで、一ノ瀬の手によるところが大きいです。
一ノ瀬:そうですね……私の「やりたい」という一心だけです。
塩澤:しかも彼はノンフィクション部門の責任者で、いわゆる管理職なんですよ。それにもかかわらず、本もたくさん作っているという。早川書房の伝統ですね(笑)。でも、これだけ活躍しているけど、まだ編集歴が長いわけではないよね? 編集部に来てから、いま何年目だっけ?
一ノ瀬:5年目ですね。新卒入社後の2年は校閲部にいて、その後編集部に移ってきました。かねてより科学系の、いわゆるポピュラーサイエンスと呼ばれるようなジャンルが好きでして。神経学者のオリバー・サックスや進化生物学者のリチャード・ドーキンスなどをよく読んでいました。
ですから、もともとノンフィクションをやりたいと思っていたんですよね。早川書房はフィクション担当とノンフィクション担当が明確に分かれているわけではなく、両方作っている編集者も珍しくないですが、私は今のところノンフィクションだけです。
──早川書房のメイン領域である、フィクションに関心はなかったのでしょうか?
一ノ瀬:好きは好きでしたが、そこまで熱心に読んでいたわけではありませんでした。ただ、SF・ミステリー好きの読者がしっかりついている早川書房でノンフィクションを作るからこそ、読者層に広がりが出てくる面白さは感じますね。
塩澤:もともとポピュラーサイエンス系の書籍も出してはいたのですが、その読者層とSF・ミステリーの読者層はそこまでかぶっていませんでした。しかし、ここ数年で国内ノンフィクションに力を入れるようになったことで、フィクションとノンフィクションのジャンル間につながりが生まれてきた感覚があります。
SF・ミステリーは、時折注目されるときがあるとはいえ、やはり専門性が高くてニッチなジャンルです。だからこそ、読者も著者もお互いに顔が見えやすくて、一気に盛り上がることがある。それゆえ、ノンフィクションを届ける際にも、面白いことを仕掛けやすいのではないでしょうか。
──SF・ミステリーファンにとどまらず、早川書房のノンフィクションは読者層を大きく広げていますよね。たとえば、一ノ瀬さんが担当されたマイケル・サンデル『実力も運のうち──能力主義は正義か?』。これは政治哲学や社会評論のジャンルの本で、現代の実績至上主義の競争社会に対して、批判的な議論を展開しているものだと思います。でも、SNSなどを見ていると、いわばその競争社会のど真ん中にいるビジネスパーソンやテック起業家の方々にも結構読まれていることがわかり、驚きました。
一ノ瀬:そうですね。それこそ日本経済新聞の読者の方々にも多く届いた感触があります。サンデル教授のインタビューを最初に掲載してもらって、ものすごく反響があったんです。そうした能力主義社会を勝ち抜いてきたような人たちに読んでもらえているのは、とても良いことだと思っていますね。
塩澤:けっこう実用書と言いますか、身近な問題を扱った本として読まれている印象を受けますね。同じサンデルさんのベストセラーでも、2011年に出た『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』のときは、ものすごい売れ方はしていたけれど、教養書として読まれている側面がもう少し強かった記憶があります。
──別の出版社の本ではありますが、どちらも「労働の尊厳」という身近な問題が重要なテーマになっている点において、2020年に刊行されて話題を呼んだデヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』とセットで読める本だなとも思いました。
一ノ瀬:私もその2冊は通ずるものが大きいと思います。『実力も運のうち』はとりわけエッセンシャルワーカーの、『ブルシット・ジョブ』はホワイトカラーの労働の尊厳を問うている。どちらも社会問題を扱っているのですが、成功や出世など、読者個々人の人生と密接に関わった内容になっている。そうした要素があるからこそ、読まれているのではないでしょうか。
──他方、最近の早川書房が出しているノンフィクションは、一般的なノンフィクションとは一線を画しているものも少なくないですよね。『闇の自己啓発』や『SFプロトタイピング──SFからイノベーションを生み出す新戦略』をはじめ、社会における一般的なものの見方とは違う、いわば「オルタナティブ」を提示している印象を受けます。
一ノ瀬:それで言うと、いまの時代は、虚構と現実の境界がどんどん溶けてきているような気がするんです。たとえば、陰謀論が引き金になって、アメリカの国会議事堂が襲撃されてしまう。もっと身近なところでいえば、SNS上の人格が現実と乖離してある種フィクション化し、SNS上の“評判獲得ゲーム”が現実にも影響を及ぼす。『闇自己』や『SFプロトタイピング』、因果推論……つまりある種の物語を通じて現実を理解するという人間の認知の特性から冤罪のメカニズムを解明した『冤罪と人類──道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』などは、そうした時代状況に応える問題意識で作りました。とりわけ『SFプロトタイピング』は、フィクションの力をビジネスの領域で良い方向に使って、イノベーションを起こそうという内容ですし、現実に対するオルタナティブとしての虚構、ということがひとつの問題系としてあるのかなと。
──なるほど。これまでフィクションという「虚構」をメインに本を作ってきた早川書房が、ノンフィクションという「現実」に取り組んでいるのも、そうして虚構と現実の距離が近くなっていることを踏まえると、必然的なことなのかもしれません。
「やりたい」先行で動けるが、売れるかどうかはシビアに見られる
──発売翌日に重版が決まり、Amazon「現代思想」カテゴリでベストセラー1位も獲得した『闇自己』(※参考)なんかは、かなりエッジの立ったコンセプトの本ですよね。でも、ただ尖っているだけではなく、「何とか生き抜いていこう」という姿勢に胸を打たれる要素もあるのが面白かったです。実際、SNS上でもそうした反応をよく見かけました。
一ノ瀬:そうですね。実はそうした切実さがある本だと思います。
──ただ、元となったnoteの連載は読んでいましたが、まさか本になるとは思いませんでした。
一ノ瀬:私もnoteの連載を読んで、めちゃくちゃ面白いなと思っていまして。著者の一人である木澤佐登志さんが、Twitterで「書籍化の相談お待ちしております」とつぶやいていたのを見て、すぐにDMでお声がけしたんです。後から聞いたら、木澤さんは冗談のつもりだったらしいのですが(笑)。正直、どうやって本にするかはあまり見えていなかったのですが、「やりたいな」という思いが先行しました。作っていく中で、なんとか本の形になっていった感覚でしたね。
──企画会議で反対意見などはなかったのですか?
一ノ瀬:満場一致でしたよ(笑)。
塩澤:「一ノ瀬が面白いと言っているならいいか」という反応でしたね。特に若手編集者が出す、こういう尖った企画は、正直言って内容のジャッジが難しいんです。でも、ヒット作がいくつか出てきていた一ノ瀬が推すなら、良いものなのではないかと。
一ノ瀬:内容をものすごく厳密にジャッジされている印象は受けませんが、「売れるものを作れるか」をシビアに見られている感覚はあります。逆に、売れるとプロモーションなどを中心に、いろいろとできることが増えます。『闇自己』も、初速が非常に良かったおかげで、SF作家の樋口恭介さんに書評をお願いすることなどができました。
──プロモーションも編集者の裁量に任されているのですね。
一ノ瀬:そうですね。作るのも、広めるのも、「編集者がやりたいなら両方やれ」という雰囲気があります。早川書房はnoteも積極的に活用しているのですが、「個々の編集者が使いたいときに勝手に使う」仕組みになっていますね。
公私入り乱れたSNS活用が、話題作を生み出す
──塩澤さんが手がけられた『SFマガジン 2021年6月号異常論文特集』も、発売前からSNS上で異様な盛り上がりを見せていましたよね。SF作家の樋口恭介さんと塩澤さんのTwitter上でのやり取りが発端となり、塩澤さんが樋口さんに任せる形で企画が動いていくプロセスを、とても面白いなと感じながら見ていました。
塩澤:樋口さん、ノリが良くて勢い重視で動いているように見えるかもしれませんが、批評的能力は言わずもがな、校正もとても厳密で、誤字脱字も一切ない方なんですよ。ですから、実は編集者としての能力がとても高いのではないかと思っていたところに、彼が「やりたい」と言ってくれたので、お任せしました。
企画から作家への依頼まで、本当に樋口さんが勝手にやりました(笑)。何の相談もなく、全部動いて、「こうなりました」って。冷静に考えると、ありえないですよね。でもばっちりハマったものができた。
一ノ瀬:Twitterが社内チャットみたいに使われていて、さすがに驚きました。
塩澤:本当はよくないんでしょうね……なんというか、僕はあまり「仕事」として捉えていないんですよ。
──塩澤さんも一ノ瀬さんも、Twitterの使い方が、とても自然だなと感じていました。いまはSNSを活用している編集者も増えたと思うのですが、お二人は良い意味で「活用するぞ!」という感覚が伝わってこない。宣伝ばかりがあふれるいまのSNSで、宣伝っぽい要素が薄いからこそ、ついつい見てしまうんです。
一ノ瀬:完全に公私が混ざっちゃっていますよね。宣伝なのか何なのか、よくわからない。戦略的にやっているわけではまったくないんです。ストレートに、企画会議のときに書いていたような内容を、そのままSNSに書いている感覚ですね。
たとえば、マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化──視覚革命が文明を生んだ』は、「この人たちが褒めていて、ただの目の本じゃないんだ」という内容を企画書に書いていて、そのままTwitterにも「すごそうな目の本が爆誕した」と書き込んだら話題になりました。他にも、リチャード・プレストン『ホット・ゾーン』は、とにかく第一章の書きぶりがすさまじくて、第一章を試しにnoteで先行公開したんです。そうしたらSNSで話題になって、売れ行きも好調でした。
ですから、なにか特別なことをしている感覚はなくて、本の一番の売りをそのまま出しているだけですね。「この本のここいいよね、わかるでしょ?」という感覚です。
誰かの意志をすくい上げ、オーラが宿る「もの」にする
──仕事と私生活を特別に切り分けずに、SNSを使っているのですね。読者としての自分と編集者としての自分を、分けていないとも取れるかもしれません。そうなると、編集者ならではの役割はどこにあると、お二人はお考えですか?
一ノ瀬:何ですかね……。当たり前なのですが、本を作ると、本屋さんに他の本と一緒に並ぶんですよ。『闇自己』はnoteの連載、『SFプロトタイピング』はYouTubeのオンラインイベントが元になっているわけですが、本屋に並ぶと、届く対象が大きく変わります。『闇自己』なんて、ビジネス書の棚に置かれていたりしますからね(笑)。
書店の文脈に乗ることで、インターネットでは絶対に読まないであろう人にも届く。こうした良いものに形を与えて流通させる──それが編集者の役割ですかね。当たり前のことしか言っていない気がしますが。
──世の中に埋もれている良質な情報を、より幅広い人々に届けるのが編集者だと。
一ノ瀬:そうですね。ものとして形が与えられるのは、何だかんだ大きいと思います。書店に積んであったらいや応なしに目を引きますし、「話題になっているのかな?」と気になってしまいます。紙の材質や本の厚み、手に取ったときの重さから得られる情報量も実は多いのではないかと。あるVTuberの方が、『闇自己』を「オーラがある」と言ってくれたのが、個人的にはとても嬉しくて。
やはりオーラが宿るのは、ものならではの特性なのではないかなと思うんです。ですから、私は自分の仕事を、ものづくりのように捉えていますね。SNSでバズるのも嬉しいですが、一番楽しいのは、なんだかんだ装丁が仕上がったときだったりもします。
──塩澤さんは、編集者の役割についてどのように考えていますか?
塩澤:僕は本当に自分から企画を立てられない人でして。空っぽで、何もないんですよ。ですから、この前の『異常論文特集』もそうですが、何か「やりたい」と言っている人がいたら、とりあえず絡んでみて、それに乗っかる。本当に人見知りで、自分から積極的に働きかけることができないんです。
でも、経験上、こっちから無理に頼むより、「やりたい」と言っている方にやってもらうほうがうまくいく気がします。こういうのはタイミングが一番大事なので、何がどうなるかわからない状態でも、とりあえず乗っかっていますね。
──強い動機を持った人の意志を実現するのが、編集者の役割だと。
塩澤:そう思います。僕がしているのは、その人がやりたいことを最もうまく表現するには、どんな構成がいいのかを考えることだけです。本当は、編集者もちゃんと企画しなきゃいけないと思うのですが……。強いて言えば、何か花開きそうな人や企画をパッと取り上げる能力だけは、もしかしたらあるのかもしれません。
インターネットの普及で格段に増えた、読者との接点
──読者の反応は、どのように見ていますか?
一ノ瀬:基本はTwitterで見ています。タイトルや著者名で、めちゃくちゃエゴサーチしていますね。
刊行前から本の情報を出すことが多いので、まだ「読者」未満の、興味を持ってくれた人の反応を見ながら、本作りに活かすこともあります。Twitterは何度もつぶやけるので、色々と角度を変えてつぶやくと、それだけでリアクションが変わるのも興味深いです。
あとは、書店にも週に3、4回は行きますね。どんな本が置かれているのか、巷の本がどのような作りになっているのかは、日頃からチェックしています。
塩澤:僕もTwitterです。というか、もうそれだけです。Twitterで反応を見ながら、実際の中身が「読者の期待のちょっと上」くらいに位置するように調整することを意識していますね。中身が期待に届かないのはもちろん、中身が良くても、期待が低すぎるとダメだと思っていまして。期待を盛り上げつつ、そのちょっと上を狙うために、Twitter上の反応はかなり気にしています。
──塩澤さんは、出版業界が活況だった90年代から本を作り続けてきたと思うのですが、読者の反応を見るうえで、やはりインターネットやSNSの普及は大きな変化を及ぼしましたか?
塩澤:はい。たくさん反応が見られるようになったのは嬉しいですね。いまだと信じられないかもしれませんが、インターネットが普及する前は、一般の人の反応はほぼわからなかったんですよ。特に僕は、入社から10年近く『SFマガジン』だけを作っていて、毎月そこまで売れ行きが変わるわけでもなく、反応もお便りぐらいでしか見られない。そういう意味ではあまり張り合いがなくて、だからこそ勝手に単行本を作り出した側面もあります。
それに比べたら、下手したら発売日になった瞬間に電子書籍で読んでTwitterに感想をつぶやけて、それを手軽に見に行けるいまは、良い時代になりましたよね。出版業界にはインターネットの登場をネガティブに論じる人もいますが、僕はわりとポジティブに捉えています。
インターネットが普及しても、紙の本の役割は、基本的には変わっていないと思います。一ノ瀬は「オーラ」と言いましたが、本という形を取ることで、読者に何らかの期待を持ってもらいやすくなることには変わりない。膨大にある情報の中から、選んで、構成して、本の形にして並べる。編集者のすべきことは変わっていないのではないでしょうか。
とりわけ最近は、電子書籍化したり、海外に版権を売ったり、オーディオ版を作ったりと、一つコンテンツを作ってしまえばさまざまな形で読者に届けることができる。本の刊行部数は下がってきていても、販路は開拓の余地がまだまだ残されているので、中身をがちっと作ることがより一層大切になっているのだと考えています。
──編集という営みの本質は変わっていないと。その上で、今後やっていきたいことを教えていただけますか?
一ノ瀬:これまで通り“異常”な作品を一作ずつ作っていきつつ、ノンフィクションのシーンのようなものを、もっと可視化していきたいと思っています。SF業界を見ていると、賞や年間ベストといったシーンがしっかりあって羨ましいなと感じます。ですから、入門的な叢書だったり、シーン全体を見渡せるようなものを作れると面白いのではないでしょうか。
塩澤:僕は一ノ瀬みたいな若い人たちが何をやっていくのかなと、見るのが楽しいんです。ですから今後は、書き手と編集者の組み合わせを考えたり、組織を作ったり、“人間関係を編集”することを楽しんでいきたいですね。
執筆/小池真幸 編集/大矢幸世 撮影/須古恵