“緑茶のある風景”と聞いてどんなシチュエーションを思い浮かべるだろうか。寒い冬にこたつでお茶を飲むといった団らんの風景や、和食や和菓子のお店で出される一杯のお茶、オフィス作業の傍にペットボトルが置かれた風景を思う人は多いだろう。しかし、お茶に対してそういった「親しみやすい」イメージを持っている反面、実際に急須を使って茶葉からお茶を淹れている人は、とくに若い世代だと少ないかもしれない。
「お〜いお茶」をはじめ緑茶飲料市場のトップシェアを誇る伊藤園が運営する、文化をインスパイアするお茶メディア『CHAGOCORO』は、多くの人がお茶に抱いているイメージを刷新し、さらにはお茶離れが進む若年層にお茶を淹れる楽しさを伝え、カルチャーとして浸透させることを目指し、コンテンツを発信しているウェブメディアだ。
CHAGOCOROには、キャンプ場やお花見の席など、様々なシーンでお茶を楽しむ様子を写した、スタイリッシュなビジュアル記事や、緑茶のカフェ、お茶農家など産業に携わる人々へのインタビューなど、多様なコンテンツが並ぶ。そしてメディアとしての発信に限らず、ECサイトとしての機能やオリジナルプロダクトの製作、イベントなど様々な取り組みを行っている。
CHAGOCOROの立ち上げから携わっている角野賢一氏に、様々な取り組みの裏側にある思いを伺った。
お茶の価値は“健康性”だけではない
今でこそ日本のお茶業界と深く関わっている角野氏だが、伊藤園入社当初は「お茶に対する情熱は今ほどではなかった」と語る。そんな彼が、本気でお茶と向き合うきっかけとなったのは、5年間のアメリカ・シリコンバレーへの赴任経験だった。
角野氏「僕が渡米して行ったのは、現地に『お〜いお茶』を広める営業活動です。現地のスタートアップ企業が集まる場に氷とバケツ、そしてお〜いお茶を持って行き、配る。そこでルートを作って各企業の担当者とつながり、導入の交渉をしていました」
地道な営業活動の結果、シリコンバレーを拠点にするIT企業のほとんどのオフィスに「お〜いお茶」が採用された。彼は、シリコンバレーに「お〜いお茶」旋風を巻き起こしたのだ。角野氏は海外進出の大きな架け橋となった一方で“アメリカでのお茶の魅力”の伝わりにくさも感じたという。
角野氏「アメリカではグリーンティー=ヘルシーという文脈で語られ、愛飲している人も『健康的な飲み物』という理由でお茶を手に取ってくれています。もちろんそれも重要な要素ですが『健康性だけがお茶の価値ではないはず』という疑問を抱くようになりました。健康性だけを謳うなら、お茶以外の食材にも当てはまる。とくに日本人は、健康面だけでお茶を飲んでいるとは思えませんでした。“お茶でなければならない理由”が、あるはずだと考えるようになりましたね」
とくに、シリコンバレーには、AppleやGoogleなど世界を牽引する企業が軒を連ねている。そこで働く人々は、自社のプロダクトに誇りを持ち「なぜAppleでなければならないのか」など、自らに問い続けていた、と角野氏は振り返る。
「彼らとの交流を通して、僕自身も『伊藤園とは』『お茶とは』という本質について考えるきっかけになりましたね。当時はハリウッドなどの別の地域にも、お~いお茶を広めるという展開も考えましたが、僕自身は別の地域にも販売の機会を広げるマーケティングよりも、お茶そのものの価値を考えたいという方向にモチベーションが高まっていました」
“お茶の魅力の本質”を見極めたいという想いが湧き上がる中、海外での任期終了を控え、帰国直前の彼が行ったのが「茶ッカソン」だった。茶ッカソンとは、お茶を淹れ合いながら、参加者同士がアイディアを競うアイデアソンイベント。シリコンバレーでの初開催以降、東京、鎌倉、シアトル、ニューヨークなど、日米の各都市で開催された。
角野氏「イベントを通してさまざまな人に出会い、仲間も増えました。個人的にもお茶を学びたくて、茶道教室に通い始めたり、岡倉天心の『茶の本』を読んだりしていくうちに、お茶によってもたらされるベネフィットが見えてきたんです」
仲間とともに言語化したお茶の価値は「おいしさ」「すこやかさ(健康性)」「たのしさ」「すがすがしさ」の4つ。お茶の「おいしさ」や「健康性」は、多くの人が認識しているが「たのしさ」と「すがすがしさ」は、一体何を示すのだろうか。
角野氏「『たのしさ』は、お茶を中心に生まれるコミュニケーションを意味します。急須でお茶を淹れ、一緒にいる人に振る舞いながら、会話を楽しみます。4つ目の『すがすがしさ』は“自分と対話する時間”ですね。たとえば、休日の朝に自分のために一杯のお茶を淹れて、外の景色を見ながら飲む。僕もよくやるのですが、内省する大切な時間になっています」
お茶の香りや繊細な味、色を五感で味わう静かな朝。その瞬間は、何人たりとも踏み込めない、自分と向き合う大切な時間になるはずだ。
お茶のカルチャーを“横”に広げるメディアへ
そして、さまざまな角度でお茶を研究する角野氏の元に会社からの「コミュニティメディアを作ってほしい」という打診があり、2020年7月にCHAGOCOROは産声をあげた。しかし「当初は今とは異なる内容のサイトだった」と、角野氏は振り返る。
角野氏「オープン1年目は、自社商品を紹介する記事や、自社のPRが並んでいました。ただ、やっていくにつれて自分たちが発信したい情報とのズレが生じ、次第に違和感が大きくなっていったんです。そんなタイミングで、フードカルチャー誌『RiCE』の編集長・稲田浩さんに出会いました」
食とカルチャーを愛する若いメディアである『RiCE』編集部とともにサイトのリニューアルを行い、内容の充実を図った。
角野氏「リニューアルを経た今のCHAGOCOROのコンセプトは“PAUSE & INSPIRE”。お茶を淹れているときの気持ちのように、立ち止まって『五感を研ぎ澄ませる』イメージです。また、CHAGOCORO編集部チームの基本理念は『お茶を淹れるかっこいい人を増やす』です。この言葉ができてからチームワークがとてもよくなり、コンテンツのレベルも上がってきたと思います。
そこにある理念には、お茶業界の課題を解決に導くキーがあるはずだ、と角野氏は話す。
角野氏「お茶業界には、主にふたつの課題があります。ひとつは、お茶のイメージが固定化されて若い人の興味が向かないこと。現代のお茶はいい意味でも悪い意味でも“親しみやすい飲み物”になっています。そのため、急須で淹れるお茶は多くの若者にとってコタツで飲んだり、飲食店で出てくる飲み物という位置づけで、“かっこよさ”を感じるものではないんですよね。しかし、同じ飲み物でも、コーヒーはカルチャーとして若い人に広く受け入れられていて、“かっこよさ”を感じる嗜好品になっている。この差は大きいですね」
親近感と親しみやすさゆえ、逆に若年層がお茶に向き合う機会が少ないという。その解決策として彼らがフォーカスしたのが、“お茶を淹れる”という行為そのものだった。
角野氏「『バリスタ』というワードをInstagramで検索すると、コーヒーを淹れている人のかっこいい写真がたくさん出てきます。でもお茶で検索してもあまり見かけません。つまり、お茶には長い歴史のなかで縦に紡いできた“文化”がありますが、コーヒーは自由な“カルチャー”として耕され、横に広がっています。今の日本人の生活の中で、お茶にどのような価値を見出してもらえるか。考えると、お茶を淹れるかっこいい人が増えれば、お茶を淹れて飲むというライフスタイルがカルチャーとして浸透し、横に広がっていくはず。そんな仮定のもとCHAGOCOROのひとつの方向として、お茶とともに過ごす多様なシーンを提案しています」
「文化」と「カルチャー」の語義は同様だが、日本の歴史をふまえた縦に積み重ねられた“文化”と、耕すという言葉を起源にもち「横」への広がりをイメージさせる“Culture”として、それぞれのニュアンスをキーに、角野氏は語ってくれた。
たとえば、CHAGOCOROの連載企画「PAUSE & INSPIRE」は、キャンプや家の中、お茶のイメージに合うクールな雰囲気のある街角でのスナップなど、さまざまなシチュエーションでお茶を楽しむビジュアルコンテンツになっている。写真をひと目見れば“カルチャー”としての自由な楽しみやかっこよさが伝わるはずだ。
お茶業界の横のつながりを強くする
角野氏が語る二つ目の課題は「業界全体のつながりの希薄さ」。お茶の産地は日本各地に点在しているが、横のつながりが弱い、と角野氏。しかし、シュリンクしているお茶業界を変えるには、業界の結束を強める必要があるため、彼らはCHAGOCOROを軸にしたコミュニティ作りに尽力している。
角野氏「サイトでは、茶農家や茶問屋、日本茶のカフェ店主など、さまざまなお茶関係者に取材しています。もともとはつながりがなかったとしても、CHAGOCOROの取材を受けると彼らに共通点ができ、僕らが主催するイベントに出れば接点が生まれる。昨年10月1日に開いた『日本茶の日』というオンラインイベントでは、取材を通して仲間となったたくさんのCHAGOCOROファミリーに出ていただきました」
また、渋谷にあるJINNAN HOUSEでは「Ocha ニューウェイヴフェス2021」を開催。これまでサイトに登場した人々がリアルな場に集結し、お茶を振る舞った。オンラインやリアルな場所を共有できたことで、これまで交流がなかった業界の人々の間に交流が生まれている、と角野氏。お茶業界のコミュニティづくりは順調なようだ。
角野氏「お茶のリーディングカンパニーとして伊藤園が業界に貢献できるのは、CHAGOCOROを通じて人と人をつなぐこと。僕らはあくまで旗振り役に徹しています」
メディアとしての側面に加え、サイトのもう一つの柱となるのが、ECサイトとしての機能だ。茶葉の他、CHAGOCOROのオリジナルプロダクトも製造し販売している。
“お茶を淹れるカッコいい人を増やす”というCHAGOCOROの理念はオンラインストアにも息づいている。扱う茶葉は、伊藤園のものに限らず、これまでの記事で登場した様々な茶葉ブランドのものも広く含む。それによって、ユーザーと全国のお茶の産地はもちろんのこと、生産農家同士の横のつながりも生み出している。
そして、同社のオリジナル商品のなかで大きな話題を呼んだのが「Ocha SURU?Glass Kyu-su」というガラス製の急須。
「これは、一緒にCHAGOCOROを運営している当社の水野恵輔という者がこだわって作った耐熱ガラス製の急須です。グラスが入れ子式になっていて収納しやすく、茶殻の処理も簡単なのが特長ですね。デザイン性だけでなく機能性の高さも高く評価していただきました」
スタイリッシュな見た目で思わず手に取り、使いたくなる「Ocha SURU?Glass Kyu-su」。見た目だけでなく、ガラスメーカーと、新潟県燕市の金網・線材商品製造業UNIFLAMEの協力を得て、機能面にもこだわり抜いて開発された。入れ子式のため、未使用時はミニマルに収納でき、ガラスの素材のため茶葉がお湯の中で広がる様子を楽しむこともできる。CHAGOCOROの「お茶を淹れる楽しさやかっこよさを若年層に伝えたい」というテーマに合致したプロダクトといえるだろう。記事として公開されている製作の裏側[1][2]を読むとより楽しめる。
ビギナーにとっては、お茶の世界に足を踏み入れるきっかけにもなりそうだ。
茶道で学んだ「自ら感じ、知ること」
角野氏がお茶と向き合う時間は、仕事中だけではない。プライベートでは茶道教室に通い、その知見を深めているそう。とくに印象に残っているのは「水の音」に関する学びだ。
角野氏「お稽古中、先生が『お湯はトロトロトロというやわらかい音をたてて茶碗に当たり、冷たい水は少し高くて硬い音がする』という話をしてくれました。何気ない会話でしたが、それ以来お湯を茶碗に注ぐときの音と、水道で水を出すときの音に耳をすまして、水の音を楽しんでいます。茶道を通して、自分の視点が増えているのを実感しますね」
茶道から多くの気づきを得ている角野氏は「自ら感じ、深く知る」という、お茶特有の文脈を意識するようになったという。
角野氏「お茶はコーヒーやお酒のように大人への通過儀礼になりにくく、味や香りも繊細なので一見するとそのスタイルやおもしろさが伝わりにくい。それをカバーするのが、お茶が持つ文化や文脈です。そうした情報を伝えることでお茶本来の価値が伝われば、カルチャーとして広がる可能性も高くなるはず。お茶業界をつなぐという目標は前に進んでいますが、やっぱりお茶の魅力に気づいていない人にも、価値を伝えていきたいですね」
CHAGOCOROは、今後もコンテンツの充実やガラス急須に続くプロダクトの制作などに取り組む予定だ。そして角野氏は「お茶業界はもちろん、自分が所属する伊藤園も盛り上げたい」と展望を語る。
角野氏「僕らの活動を見て『一緒にやりたい』という後輩が、社内外にも増えてくれたら本当にうれしい。これからも、CHAGOCOROを通して『おもしろそう』『かっこいい』と感じられるものを作りたい……というか、作らないといけないですよね」
取材中も「たくさんイベントを開きたい」「ウェブの記事を雑誌にして配布したら楽しそう」など、角野氏のアイディアは尽きなかった。これからCHAGOCOROがどのように進化していくのか、目が離せない。
中国から日本にお茶の種子が渡ってきたといわれているのは、奈良・平安時代のこと。それから長い年月と変遷を経て、お茶は私たちの生活に根付いてきた。そうして“縦”に紡がれてきた文化をCHAGOCOROは“横”へと広げていく。「お茶を淹れる」という行為が、より豊かな時間を過ごすためのカルチャーとして根付くのもそう遠くない未来かもしれない。
執筆/真島加代 撮影/オカザキタカオ 編集/サカヨリトモヒコ(BAKERU)