紅白の梅のつぼみがほころぶ朝。福岡・太宰府天満宮の御本殿の両脇から子どもたちが入っていき、御祈願を受けていた。「敷地内にある幼稚園の、2カ月に一度の誕生祭なんです。親御さんも一緒に、参列していただいています」と、第40代宮司の西高辻信宏氏が話してくれた。
学問の神様・菅原道真公が祀られている太宰府天満宮では、日本国内・外から参拝者を迎える神社の営みのかたわら、新しい取り組みがいくつも動いている。
2006年から続けている「太宰府天満宮アートプログラム」には、これまでに日比野克彦氏やホンマタカシ氏らが参加。案内所兼売店には、中川政七商店とタッグを組んだお土産物が並ぶ。毎日執り行われる朝拝神事は、定期的にインスタライブで配信。また、西高辻氏はまちづくりやアートの切り口で、ビジネスカンファレンスにもよく招かれている。
「宮司を受け継ぐのは駅伝のよう。その時代時代で、地域の方々や社会とどう関係を築くのか、任される期間を全力で走り抜けたいです」と西高辻氏。変わらないために変えていく、伝統を未来につなげる取り組みの根底に、どのような思いがあるのだろうか。
目を引く取り組みを重ねる太宰府天満宮
学者、政治家、文人として多彩な才能を発揮した菅原道真公を祀る「天満宮」は、全国に約1万2,000社あるという。中でも太宰府天満宮は、道真公の墓所の上に社殿が建てられていることから、代々子孫が宮司を務め、総本宮として崇敬を集めてきた。
その歴史は1120年。学問・至誠・厄除けの神様として変わらず親しまれてきた。同時に近年は、神社の活動としてはなかなか思いつきそうにない、外部のステークホルダーを巻き込んださまざまな企画も数多く進んでいる。
たとえば参道を抜けると最初に出合う案内所は、マリメッコやイル ビゾンテなどの店舗デザインで知られる設計事務所のimaが手がけ、お土産物は中川政七商店との共同開発のものも取り扱っている。案内所に流れる音楽は、宮司と親交があり太宰府天満宮を頻繁に訪れているサカナクションの山口一郎氏が、境内の環境音も用いて手がけている。
現代アートを軸とする活動も特徴的だ。気鋭のアーティストを招いて太宰府での創作を支援する「太宰府天満宮アートプログラム」や、地域の市民が参加できるアートワークショップなどを開催している。
また、2022年から3年がかりで本殿を改修するが、その間に設置する仮殿もただの“仮”とは考えていない。この期間にあえて足を運んでもらえるような、唯一無二の仮殿にするという。
聞けば聞くほど、“歴史ある神社”の重厚なイメージとは離れる。これらの活動を率いるのが、2019年より宮司を務める西高辻信宏氏だ。地域の柱のような存在である太宰府天満宮の宮司、つまり会社でいうトップの視点は、産業界からも参考にしたいとの声が大きく、ICC(Industry Co-Creation)やGLOBIS知見録などへの登壇も数多い。
西高辻氏「実は、母方の祖父が起業家なんですね。子どものときからその考えに触れてきたこともあって、10代のころはビジネスを含めていろいろなことに興味があり、神職を継ぐかどうか揺れ動いていました。ただ、父が大病したときに、やはり天神さまの下で育った自分の原点はこの神社なのだと実感し、神職の道を進もうと思ったんです」
父親である39代宮司は対話の中で「祭祀が最も大切なことだけれど、それ以外にも地域の方々とともにさまざまな活動ができる」と話した。それを聞き、自分は神職を狭く捉えていたと西高辻氏は実感したという。もっと神職を広く捉え、祖父の生き方も心に留めながら、自分の発想で新しいことにも取り組めるとわかった。
西高辻氏「振り返ると、学者肌だった38代宮司の祖父、そして広報に積極的だった父も、私とはタイプが違います。宮司も個性が出るんですね。そう考えると、自分だからできることがまだある、と。そこからは、まず自分で学び経験して、地域にある魅力や人の輪をつなぎ、地域に還元しようと意識しています」
文化は生活の中で接してこそ根づく
西高辻氏が力を入れている活動のひとつは、若い世代へ、神社の存在を含めて日本の文化をより良い形で受け継いでいくことだ。
近年、太宰府天満宮は海外からの来訪も含め、年間1,000万人もの参拝者を迎えてきた。直近では海外からの来訪は縮小しているが、一方で近隣からの家族連れや若い世代が特に増えているという。遠出が難しくなったことや、太宰府天満宮から2㎞ほどの距離にある竈門(かまど)神社がマンガ『鬼滅の刃』とゆかりが深いと言われ、ファンが多く訪れていることなどが背景にある。実際、取材日の平日の朝も、高校生らしき男子グループが楽しげに境内を歩いていた。
「若い人の来訪が増えているのは、神社にも地域にとってもありがたい」と西高辻氏。それだけ、太宰府の自然や文化的資産に好感を抱く人が広がっている実感があるという。どのようなきっかけからでも、若いうちに接点を持てれば「将来につながっていく」という考えがある。
西高辻氏「若いうちに日本の文化に触れていたら、その先の経験の中で『もっと知りたい』と思う機会もあるでしょう。そこから、次の時代へと文化が継承されていきます。また、いつか“祈りの場”としての神社を求めるときがあるかもしれない。そのときに思い出してもらって、支えになれたらと考えています」
若いうちに、との考えが特に発揮されているのが、冒頭で紹介した幼稚園の例だろう。太宰府天満宮附属の太宰府天満宮幼稚園では、誕生祭に合わせてケーキではなく季節の和菓子が子どもたちに届けられる。福岡の老舗和菓子店・鈴懸の協力を得て取り組んでいる「和菓子学習」の一環だ。同社社長が、「子どもたちに日本文化に触れる機会を」との考えに賛同し、実現した。
桃の節句や端午の節句、秋は紅葉と、その和菓子には日本の季節感が織り込まれる。鈴懸のスタッフが来園し、成り立ちやつくり方を話すと、子どもたちは熱心に聞き入るという。また、福岡・八女市の名産品である八女茶を通して日本茶に親しむ取り組みでは、実物の茶葉に触れたり、日本茶の淹れ方や飲み方を学んだ上で、園から各家庭へ急須がプレゼントされたりしている。
西高辻氏「文化を残しましょうと口でどれだけ言っても、やはり生活と結びついていないと記憶に残りません。子どもが日本茶に興味を持てば、家庭でも日本茶を淹れたりするなど、親もまた知らないことを知り、学んでいきます。生活の中で何度も体験して初めて、日本文化が残っていくのだと思います。
そんな“記憶の種”を、たくさん蒔いていきたいんです。それが発芽するかどうかはわかりませんが、種があれば、芽が出る可能性がある。そういうものを増やしたいと思っています」
若い世代への働きかけが、縦の時間軸を見据えた取り組みだとしたら、地域に根ざした神社としてずっと向き合っている「まちづくり」は、いわば横の広がりを生む取り組みだ。地域の人とのつながりを広げながら、外部の人の関与も促している。
神社が創建されて以来、各地から大勢の参拝者を迎えてきたため「地域とともにあることは、歴代の宮司が当然のように意識してきたこと」と西高辻氏は話す。
受け継がれてきたその思いは、たとえば神社周辺の環境整備からも見て取れる。明治には駅を、昭和30年代には駐車場を、それぞれ神社から離れた場所に誘致しようと代々の宮司が提案。神社を訪れる人が、電車や車を降りて参道を歩いてから参拝する動線にしたことで、神社周辺の経済発展につながった。
さらにこの10年ほどで、太宰府の雰囲気はずいぶん変わってきたという。2011年、参道にスターバックスを開業する際には、地場の協力者とともに「太宰府になじむ店舗デザインを」と調整。隈研吾氏による、杉材をふんだんに使った店舗がオープンした。その後も、太宰府名物である梅ヶ枝餅を販売する昔ながらの店とともに、パン屋やファストフード店ができたり、古民家を改装した宿泊施設が開業したりしている。
西高辻氏「古民家は維持が大変なので、持て余してしまい、解体して駐車場にするオーナーさんが多かったんです。そこで、西日本鉄道さんと連携してまちづくりの事業会社の立ち上げにかかわり、建物を借り受け、リノベーションして活用しています。
地元出身の人が、Uターンして事業を開く例も増えていますね。パリで修業した方のビストロや、キャンドルを扱うお店ができたりもしています。ここで事業をしたいという方の相談に乗りながら、面として広がりのあるまちづくりを意識しています」
神道がアーティストを触発し、その熱が伝播する
現代アートを切り口にした活動も、地域の人を巻き込んでいくことに大きく寄与している。もともと、太宰府天満宮と文化芸術とのかかわりは深い。道真公は学問だけでなく文化の神様としても知られ、その昔から天満宮には和歌や書画、絵巻などが多く奉納されてきた。現在、境内には約11,000点の文化財を収蔵する「宝物殿」がある。
2005年に開館した九州国立博物館は、太宰府天満宮が敷地の3分の1を寄付した土地に建てられた。今では、境内からエスカレーターと動く歩道で直接行けるトンネルがつくられている。明治のころ、当時の宮司が文化施設の誘致を計画したが時代の混乱の中で立ち消え、4代にわたり歴代の宮司が受け継いできた悲願だったという。
これらに加えて、西高辻氏が発案した前述の「太宰府天満宮アートプログラム」や、その作品を束ねた屋外の“境内美術館”やWebサイト、アーティストによる市民参加型ワークショップなど、活動は多岐にわたる。背景にあるのは、西高辻氏が子どものころから培ってきた文化芸術への関心、そして現代アートへの関心だ。
西高辻氏「九州国立博物館ができたのは、私が神職の資格を取り、24歳で太宰府に戻ってきた年でした。ただ、私たちの『満を持して博物館が開館する』という思いに比べて、地域の方々は博物館との距離があると感じたんです」
そんな中、水戸芸術館で開催された日比野克彦氏の展覧会にて、市民を交えたアートワークショップが行われたことを知り、太宰府でもできないかと検討した。翌2006年がサッカーのドイツW杯開催年であり、太宰府が歴史的にアジアとの交流拠点だったことから、日比野氏を交えて「アジア代表日本」というプログラムを実施。西高辻氏が事務局長を務め、参加型ワークショップとして日本を応援する作品を制作した。
西高辻氏「地域の方々を中心に。3カ月で、計1万人の方に参加いただきました。
同世代の神社の職員らと、駆けずり回って運営する中で、アートの力を実感しました。いろんな人がつながってくれて、地域の方々との距離も縮まり、アートに触れたことがなかった職員もその力をしっかりと体感してくれたのがわかりました。これが、今につながる当宮での現代アートの活動の原点になっています」
このワークショップと並行して同年に開始したのが、一組のアーティストにフォーカスした「太宰府天満宮アートプログラム」だ。初回の日比野氏を皮切りに、国内外のアーティストを招いて、神道や太宰府天満宮、あるいは太宰府をテーマに作品を制作してもらう。
西高辻氏「『開放性』と『固有性』をテーマに、これまでに10人の方とプログラムを実施しました。太宰府は、古くから東アジアとの交流の拠点として多くの人が行き交い、文化が流入してきた開放的な場所です。同時に1100年以上にわたって地域の方々の信仰に支えらて、ここにしかない固有の場所にもなっています。これらの要素を、2つのテーマにそれぞれ込めています」
たとえば2011年の、イギリス人アーティストのライアン・ガンダー氏の作品群は、数回におよぶ太宰府の取材を通して生まれた。もともと人間の思考や精神を作品化するという作風の彼の作品は、インスタレーションや彫刻、また園児たちとのワークショップでつくられたタイムカプセルなど、多岐にわたった。
この企画は、現代アートを通して地域の市民と関係性を深めるだけでなく、太宰府という土地柄や神道そのものがアーティストに与えるインスピレーションの可能性も模索している。ガンダー氏は、太宰府天満宮の大樹である樟(くすのき)の葉が揺れる音に着想し、後には神道を“風”に見立てたインスタレーションを発表した。
西高辻氏「このプログラムを通しても、多くの方とのつながりを築けています。常々、神社を『異なる要素が混ざり合い、人が交わって文化が生まれる場所にしたい』と思っているのですが、現代アートを通して近づけている実感があります。
神社は歴史的に見ても、人が交わって文化を生み出す役割があったのだろうと思います。その役割を、現代で発揮するならどんなことができるかを、常に考えています」
内発的な動機を、歴史の中に位置づける
数々の企画の運営には、職員が創意工夫をしながらあたっている。その過程で地元のデザイナーやクリエイターなど外部パートナーと組むことも多く、協業を通して知見や気づきが職員に蓄積されている。
展覧会の設営や、新しいお守りの企画、あるいはWebサイトのリニューアルなど、外部のプロの力を借りて「自分たちでつくる」ものは数多い。西高辻氏は、こうした制作について「完全に外部委託はせず、必ず一緒に進めてもらうようにしている」と話す。
西高辻氏「もちろん初回はプロの方に頼る部分が大きいですが、回を重ねると自分たちなりに主導できるようになります。クリエイターの方々や、アート企画ならアーティストとちゃんと会話をして、提案できるようにもなる。
たとえばフラワーアーティストのニコライ・バーグマンさんは、2年に1度くらい太宰府を訪れて創作をしてくれるのですが、職員が先んじて『ニコライが好きそうな花材をそろえておこう』と考えて動けるようになりました。ディスカッションして作品をつくれるほどになり、頼もしいです」
どうあるべきか、の方向性から話し合い、一緒に考えて企画を進めていく。職員はアートのプロではないし、Webサイトの企画などにしても、制作の経験が多いわけではない。だからこそ、多様なプロと組んで企画を進めてもらうことは、オールラウンドのディレクターを育成しているようなものだ。そうした部分を含め、太宰府天満宮には全国の神社から修行に来る神職子弟も多く、現在20人ほどが学んでいる。
西高辻氏「内発的なものを、とても大事にしています。歴代の宮司が、この地に博物館を誘致したいと願い続けて実現したのも、内発的な強さあってこそです。
その上で、では自分が取り組みたいことは『歴史の中でどのような意味合いを持つか』という視点も持ってもらいたいと思っています。その視点があれば、活動を対外的に発信したり内部で共有したりする際に、より深く理解してもらえるでしょう。
自分たちの取り組みが、100年後、200年後に天満宮の文化となり、訪れた人や広く社会に伝わっていく可能性がある。歴史の中に、過去と未来の間に今我々は生きているのだという考えを、いつも共有するようにしています」
変わらないために、変えてゆく
今と未来につながるまちづくり、地域活性化の活動は、地域の人や訪れる人、各領域で働く人などとの間にさまざまな濃度の関係性を築いている。
西高辻氏「いろいろな活動をしていますが、あくまでここは‟祈りの場”であることが大前提です。祈りがどうやって伝わってきたかというと、本当に真摯な毎日の積み重ねにほかなりません。
たとえば私たちは毎日境内を清め、朝と夕に天神さまにお食事をお供えしています。それが1100年以上続いて今があり、これからも続けていく意志がある。それが、場所の強さを生み出しています。昔もこの先もここにいるという、移動しないことの強さもありますね。だから、地域の人の生活とずっとともにあることができるのだと思います」
幅広い活動を束ねられるのも、西高辻氏が言う「場所の強さ」があってこそだろう。祈りの場としての揺るぎない強さがあるから、どのような活動も、帰結する先がぶれない。すべての活動を“入り口”として捉え、価値観や経験が異なるさまざまな人が、何らかのきっかけで神社に触れたり、日本の文化や歴史に触れたりしてもらえたらという思いがある。
西高辻氏「日本には西洋と違って、信仰を意識している人は多くないかもしれません。でも、自然を敬ったり、お祭りを通して収穫に感謝したり、普段の食事に『いただきます』と手を合わせたりと、天の恵みに祈りを捧げる気持ちは誰の中にもありますよね。
神道には『ハレ』と『ケ』の考え方があり、あわただしい毎日の中でも区切りをつけることを大事にしています。ハレの最たるものが祭祀ですが、わずかな時間に神社に立ち寄って祈ることも、日常の区切りになります。そうした場所に意識的に自分の身を置くことが、現代を生きる人にも大事なのではないかと思います」
1000年単位の歴史の中で、次は何をしようか、西高辻氏の頭の中にはアイデアがいくつも控えている。2019年、英語版のWebサイトをリニューアル。日本固有の文化や信仰を背景を含めて伝えるため、日本語を訳すのではなく英語ライターにゼロからの執筆を依頼し、翌年さらに4か国5種類の言語に訳した。情勢が落ち着いたら、再び海外からの参拝者を迎えられればと考えている。
また、時間の使い方に注目し、職員とともにお清めの儀式を受けられる朝、あるいは夜の神社の雰囲気も体験してほしいという。夜の回遊のために、照明を全面的に見直す。ほかにも、歴史と今とを結びつけながら、太宰府の歴史にもっと興味を持ってもらう取り組みも構想中だ。
西高辻氏「よく『変わらないために変わり続ける』とお話しするのですが、ずっと継承してきたことを維持するために、変えることが必要だと思っています。
ご年配の方が『昔と変わらないね』と言ってくださるのは、むしろ『変わらなく見える』よう、建物にも梅にも地道に手を入れているからです。新しい建物がどんどんできては消え、均質化してしまう地方都市も多い中、昔からの記憶を思い出させて拠り所になるような場所は少なくなっているのではないでしょうか。
『変わらない』と思っていただける場所であり続けることの重要性は、以前より増していると思います。そこで天満宮が果たせることは、まだまだあります」
それぞれの時代で人々や社会との関係を築いていくことには、先代も苦労してきた、と西高辻氏。「その思いを継いで、私が駅伝の走者を任される期間を精一杯考えて走り抜けたい」と語る言葉から、今を見つめながら、今の太宰府天満宮とかかわる人の未来も良きものであるようにという願いが感じ取れた。相手の生活や、記憶にどう残るかを思うことから、たしかな関係性が生まれるのではないだろうか。
執筆/高島知子 編集/葛原信太郎 撮影/勝村祐紀