東京中央区、築地4丁目の交差点から数歩も歩けば、仏教の象徴でもある菩提樹の形をした独創的な屋根を持つ「築地本願寺」が見えてくる。
最高の立地と400年を超える歴史を誇る、浄土真宗の超有名寺。しかし、世の中の寺離れ、宗教離れから参拝者は年々減少、2015年頃は赤字運営にも陥っていた。
そんな築地本願寺の参拝者を倍増させ、V字回復させたのが安永雄玄宗務長だ。
メガバンクの行員を経た後、コンサル会社を経営していた元ビジネスパーソン。矢継ぎ早の改革を断行してきた氏は「築地本願寺を誰でも気軽に訪れ、頼ることが出来る『開かれた』存在にしたい。そう考えたんですよ」と明言する。
どういうことなのか?
菩提樹の屋根の下で、お話を伺った。
寺とつながりづらくなった時代
日本に寺がいくつあるか、ご存知だろうか?
文化庁の「宗教年鑑」(令和3年)よると、日本には仏教系だけでも7万6572の寺がある。実はコンビニエンスストア(約5万7000店舗)よりも多いのだ。
「しかし、その多くは危機に瀕しています。築地本願寺もそうだった。今や都市での生活にはお寺との接点が生まれづらいですからね」と築地本願寺の宗務長、安永氏は言う。
寺には、そもそも江戸時代にキリスト教を排斥する目的で生まれた檀家制度があった。各家は必ず檀家としてどこかの寺に属さなければならない決まりのことだ。そのため寺は地域コミュニティの中心になり、法要や葬式など家の行事は、所属する寺に頼む風習が根付いた。明治に入ると、制度自体は廃止されたが、葬儀などを寺に頼む檀家の慣習は残っていたわけだ。
ところが戦後、日本人の価値観は変わり、地縁や血縁に対する意識が希薄になった。生まれ故郷から離れて暮らす人も増え、家族形態も多様化している。核家族や子どもを持たない夫婦が増えたのはもちろん、今は単身世帯も増え続けている。家にも地域にも縛られない個人が、家や地域と密接につながることで成り立ってきた寺と疎遠になるのは当然だ。
安永氏「とくに築地本願寺のような都心部こそ、寺離れは深刻です。地方から出てきた方やおひとりさまも多いですからね」
築地本願寺は、仏教系の宗教法人で最も門徒と呼ばれる信者が多い浄土真宗本願寺派の寺だ。しかし、首都圏に絞ると、浄土宗本願寺派の門徒は人口の3%程しかいないという。
安永氏「そして首都圏の64%の人が『どの宗派にも属していない』、宗教的な浮動層なんですよ」
だからこそ、築地本願寺は赤字経営にも陥るような苦境を迎えていた。
そして招聘されたのが安永氏だった。安永氏は大学卒業後、メガバンクに在籍、ロンドン勤務なども経た後、ヘッドハンティング会社に転職。さらにコンサル会社を経営していた2012年に、企業でいう社外取締役的な存在の常務委員として、築地本願寺が属する「浄土真宗本願寺派」にかかわるようになり、2015年築地本願寺の代表役員宗務長として抜擢された。
安永氏「ビジネス畑で積んできた経験を、築地本願寺の伝道布教とリブランディングに活かすのが私のミッションでした。リーチしようと考えたターゲットは、先ほど言った64%の浮動層。実は彼らこそ、満たされないニーズを持つ、いわば“潜在顧客”だったからです」
「知る」「来る」「頼る」の3ステップ。
寺に興味を持っていいように見える浮動層こそ、潜在的対象である――。
そう確信した理由はデータにあった。
先にあげたように首都圏は64%もの人がどの宗派にも属していない、無宗教が目立つ国。
ところが統計数理研究所の「国民性の研究 第13次全国調査(2013年)によると、その一方で70%の人が「宗教心は大切なものである」と考えている。しかもこの調査がスタートした1983年当時も80%が「大切」と答え、ほぼ横ばいのままだった。
安永氏「確かに、お寺や仏教が身近な存在じゃなくなった。ただ、だからといって宗教のような心の拠り所となるような教えや場所、あるいはコミュニティの必要がなくなったわけじゃない。むしろ渇望しているのでないかと仮定したのです。そしてそれは新型コロナウイルス感染症の拡大もあって大きくなっていると思います。事実、全日本仏教会が実施した調査によりますと、ほぼ3人に1人の方が仏教・お寺に求めることに『不安な人たちに寄り添う』ことを挙げています」
自らの経験も、仮定の後押しになった。安永氏はヘッドハンティング会社にいた47歳の頃、「人生の後半をどう生きるか…」と悩み、むさぼるように自己啓発系の本や勉強を求めた時期があったという。その一環で、西本願寺の通信講座で仏教が学べることを知って受講。50歳で仏門に入り僧侶になる「得度」という儀式を経て、ビジネスの一線で働きながら浄土真宗の僧侶にもなっていたからだ。
安永氏「当時はいつもゲームのように会社の業績目標の達成ばかり追う日々。『本当に人の役に立っているのか』『世の中のためになっているのか』と悩んでいたんです。しかし、仏教・浄土真宗のみ教えを学ぶ過程で、その迷いはすっと消えていました」
寺や仏教との接点が減ったからこそ、心の平穏を得られず迷っている人が多いのかもしれない。パワースポット巡りや占いなどのスピリチュアル系のコンテンツが都市部でこそ支持されるのも、そのためかもしれない。
いずれにしても、都市部の宗教的浮動層にリーチするため、安永氏は動き始めた。リブランディングの手法は安永氏のコンセプトによって『知る』『来る』『頼る』の3ステップに分けられた。
ファーストステップは『知る』。
まずは築地本願寺の存在を、あらためて広く認知してもらう必要があった。
そこでウェブサイトをリニューアル。見やすくわかりやすいオープンな雰囲気をデザインに落とし込んだ。Twitter、InstagramなどのSNSも開設。noteやYouTubeもはじめた。
おもしろいのはYouTubeだ。「布教使」という浄土真宗の教えを伝え、布教する講師が「南無阿弥陀仏ってどんな意味?」「悩みながら生きていく生き方」といった、フックのある法話を動画で流している。
寺に遠ざかっていた人でも、法事でふと僧侶の法話を聞くと、「いい話をしてくれる」「思いのほか心に響くな」と感じたりするものだ。裏を返せば、仏教や寺にはそうした魅力的なコンテンツがあるにも関わらず、接触頻度が極めて低くなったため、宝の持ち腐れになっているわけだ。
安永氏「だからとにかくオープンにする狙いがあった。『開かれたお寺』をテーマに、お寺が持つ有意義なコンテンツと価値を発信していこうと考えたのです。すると、認知の機会が増える。私たちの世界でいう“ご縁”が生まれる」
物理的に閉じていた寺を、開く施策も打った。
冒頭に「築地四丁目の交差点から少し歩けば寺が見える……」と書いたが、実は2015年頃までは、鬱蒼としげった木々のせいで、相当近くに入り込まなければ本堂の姿は拝めなかった。
間引きされないままの木々は、ある種保守的ともいえるこの寺の体質を体現、木を切るにも各種申請や事務処理を経なければならなかったからだ。いかにも面倒な作業だ。しかし、閉ざされた寺の雰囲気は、閉ざされたマインドとつながっていたわけだ。
安永氏「けれどマインドを変えるには面倒でも環境を変えるのが一番です。木々の整備を行い、印象的な本堂が交差点付近からも見えるようにして、物理的にもオープンな雰囲気にしました。大通りからでも印象的な本堂がすぐ目に入り、『これが築地本願寺か』『おもしろい建物だな』と興味をもってもらう機会を増やしています。もちろん歴史や伝統を守っていくことも大切ですが、それだけでは時代の変化に適応できず取り残されてしまいます。境内の整備は非常に大きな変革でしたが、変わることを恐れない姿勢で境内の整備に取り組みました。仏教では柔軟な心も大切と説いていますから」
オープンにした敷地内には、続くセカンドステップ『来る』を象徴する施設を建てた。
“インスタ映え”するカフェだ。
インスタ映えする朝食の後、「非日常」に出会う
開かれた寺を象徴する場所として、2017年11月に複合施設「インフォメーションセンター」が作られた。売店もあるこの施設の目玉は、『築地本願寺カフェ Tsumugi』だ。
法要などで寺を立ち寄る人の受け皿として飲食店を設ける寺は少なからずある。しかし『築地本願寺カフェTsumugi』は、寺にまだ興味がない人でも「カフェ目当てで行きたくなる場所」として設計した。
まずは動線が秀逸だ。
東京メトロ日比谷線・築地駅の1番出口から出ると、自然とカフェのオープンテラスが目に入るようになっている。テラス席、あるいは大きな窓ガラス越しに個性的な本堂を眺めながら飲食するのはいかにも楽しそうだ。自然と築地本願寺の敷地内に誘う誘引としたわけだ。
安永氏「以前の1番出口前は塀で閉ざされ、築地本願寺には正門からしか入れませんでした。ここも門を新設して、開いたのです」
もっとも、カフェの一番の売りは朝食メニューだ。
16品もの小鉢入のおかずに、おかゆと味噌汁をあわせた18品ものセットメニュー「18品の朝ごはん」を提案。浄土真宗の本尊である阿弥陀如来の建てた48の願いの中で最も大切にし「本願」としている「第18願(いのちあるものすべてを平等に救いたい、という教え)」にちなんだメニューだ。
見た目のかわいらしさと、由来のおもしろさとあいまってこれが大人気に。「インスタ映えする」と注目が集まり女性を中心とした利用客にInstagramでの投稿も相次いだ。ハッシュタグに「#築地本願寺」とつけられる意外性も後押し。『来る』仕掛けに拍車をかけた。
見逃せないのが、『築地本願寺カフェTsumugi』が入るインフォメーションセンターの入り口付近にある多目的ホールとの接着だ。
ホールでは定期的に「布教使(浄土真宗本願寺派の法話の専門家)」という資格を保持した僧侶が、短い法話をする。『Tsumugi』を訪ねたお客さんにはタイミングがあれば「ご興味があれば法話をどうぞ」と軽く声かけする。毎回10~20人ほどが参加するという。
安永氏「お寺のカフェと知って来る方がほとんどなので『せっかくだから聞いてみよう』と思っていただく可能性は高いですからね。そして法話を聞いていただければ、布教使の言葉はやはり心に響く。日常の生活ではなかなか体験することのない、いわゆる『非日常』を味わっていただけるのではないでしょうか」
築地本願寺の本当の強さはここにある。長い歴史を経て陳腐化しない仏教の教えの存在だ。カフェやSNSの投稿でリーチした人たちも、布教使の言葉は圧倒的な力で響く。厳しい社会や世の中に、個人として接してきた「無宗教」の現代人にはなおさらだろう。寺や宗教が持つ「心の拠り所」としてのバリューをごく自然に感じ取り、潜在ニーズを大いに喚起するわけだ。
安永氏「開かれたお寺には、心を開いた個人にも来ていただける。次は『頼り』にしていただけるようになる」
3つめのステップ『頼る』のための仕組みも多彩だ。
まずインフォメーションセンターには、総合相談窓口がある。スタッフだけではなく、僧侶も常駐。「葬式についてちょっと聞きたい」「独り身なのだが、自分が死んだ場合、墓はどうすればいいのか」といった、普段どこで聞いていいのかわからない仏教まわりの相談を気軽にできる場になっている。
入会費も年会費もかからない「築地本願寺倶楽部」という組織も用意した。会員は終活の相談や、心の悩みを電話、あるいは寺で聞いてくれるサービスを無料で受けられる。さらには銀座2丁目につくった「築地本願寺GINZAサロン」で開催する仏教やヨガなどのカルチャーセンター的なセミナーにも参加できる。
地縁や血縁が薄まった個人にとって、頼る場が少ないこうした悩みの受け皿として、築地本願寺があることを明示しているわけだ。
実に多彩でたくみなビジネスモデル……と感心しそうだが、実のところ、これらはすべて「もともと寺が持っていた機能」でもある。
住職という存在は地域の人々から尊敬される知識人で、悩み相談などを請け負う心のよりどころだった。仏事の相談は当然のこと。寺子屋をつくって教育の場にもなっていた。
安永氏「どんな時も頼りになる存在。それがお寺の持つポテンシャル。それを新しいかたちで提案して新しいご縁をつくっただけなんです。実は指標としたのはアマゾン・ドット・コムです。Amazonはモノだけど、お寺には人の心や不安を満たすコトが、なんでもそろって頼りになる」
こうして新しいご縁をつかんだ築地本願寺は、1日に4000人程度だった参拝者を多い時には8000~1万人にまで倍増させた。また「開かれたお寺」の改革のなかではじめた「合同墓」などは、2017年11月からの5年弱で約2万人もの申込みがあるほどになった。
危機意識からはじまった変革は、想像以上に成果をあげ、今や全国の寺から「参考にしたい」と多くの見学者が訪れるようになった。
もっとも、安永氏と築地本願寺のまなざしは、さらにもっと先を見つめる。
安永氏「最終的にはオンラインをフル活用した寺社もありえるかもしれません。オンライン上で出来た新たなご縁をきっかけに、リアルなお寺ともご縁を持っていただき、結果として浄土真宗のみ教えがより多くの方に伝わることに繋がれば有難いですね。リアルを充実させるためのオンラインの活用としてメタバース上にも築地本願寺があるような状況をつくってもおもしろい。さらに多くの方々の心に寄り添い、豊かな人生のご支援ができますからね」
ファッションやライフスタイルは時代とともにうつろい、変わる。しかし人の心はいつの時代も変わらず、不安と悩みがうずまいているものだ。そうした心の根っこを、いかに今にふさわしいかたちで掴むか、「ご縁」をつくりだすか――。宗教にかぎらず、あらゆるコトやサービスに永続性を与えるカギに違いない。
執筆/箱田 高樹 撮影/田巻海 編集/浅利ムーラン、大沢景(BAKERU)