「贈与」と聞いてまず思い浮かぶのは、モノを贈るという行為だ。プレゼントとかお中元とか。けれども、その本質が「受け取ること」にあるとしたらどうだろう。古今東西はもちろん、この日本にも、はたまた日々の暮らしのなかにも潜んでいる贈与という営み。そこには社会や身近な人間関係を循環させていく豊かな機能があった。
(この記事は2022年12月14日(水)に発売された『XD MAGAZINE VOL.06』より転載しています)
人類学の視点から考える
目黒川を背にして静かな公園を横目に住宅街を抜けていくと、外壁「Questioning+Action=Impact」と描かれた秘密基地のような建物に出くわす。人類学者の比嘉夏子さんが共同創業者である、合同会社メッシュワークが拠点を置くシェアオフィス<Impact HUB Tokyo>だ。
ずっしりとした鉄製の扉を開けると、入り口付近には地域住民も利用できるカフェスペースが広がっている。かつては印刷工場だったそうで、天井は高く、窓からは柔らかい陽光が差し込んでいる。建物の奥には開放的なオフィススペースもあるが、入居しているスタートアップの人たちはカフェでもよく作業をしているという。比嘉さんはこのImpact HUB Tokyoの顧問も務めている。
比嘉さん「人類学者が法人の顧問って何をしてるのかと思われるかもしれませんが、いろんな人たちが出入りするシェアオフィスをひとつの“フィールド”に見立てて“参与観察”をしていくと、いろんなことに気づけるんです。ここで働いている人たちと話しながら、そこで発見したことを彼らにフィードバックし、どんなサービスに活かせるかを一緒に考えるようなことをしています」
人類学のアプローチはビジネスに応用できる――人類学者としての知見やImpact HUB Tokyoでの経験からそう確信した比嘉さんは、今年4月、知人の人類学者とともにメッシュワークを立ち上げた。参与観察とは、自ら調査対象の集団に加わり長期的に行動をともにするリサーチ手法のこと。メッシュワークはこの参与観察のアプローチを用いて、クライアント企業のUXリサーチ設計からイノベーションや人材育成の支援まで、多岐にわたる協働を行っている。
今年の3月まで石川県の大学に勤めていたこともあり、今は東京と金沢を行き来する生活を送っているという比嘉さん。仕事のクライアントは東京に集中しているが、都内に引っ越すつもりはないそうだ。
比嘉さん「たとえばCX(カスタマー・エクスペリエンス)の改善など、サービスを受ける顧客の体験の質を向上させたいと考える企業は東京に集中していると思います。だけど、企業が提供するサービスや商品を体験する人たちの生活は日本中、世界中にあるわけですよね。そういう感覚を忘れたくないという気持ちもあって、産業の中心からは離れたところに住みたいなと思っています」
独り占めしない社会は、信頼できる社会?
そんな比嘉さんが専門としているのが、オセアニア地域に位置するポリネシア島嶼社会の経済実践やそこで行われている贈与行為である。学生時代から通算で二年間、英語もほとんど通じないトンガ王国に単身で渡り、現地コミュニティのなかで生活をともにしながらフィールドワークを行った。
贈与とは、言い換えれば、“贈り贈られる営み”のこと。英語にすれば、giftである。『贈与論』で知られる社会学者のマルセル・モースは、贈与の特徴として3つの義務、「与える義務」「受け取る義務」「返礼する義務」を挙げる。「贈与は与えるだけでは成り立ちません」と比嘉さんはいう。
比嘉さん「それを誰かが受け取り、いずれ何かしらのかたちで返すことによって初めて贈与の運動が生まれるんです。また誤解されがちな点ですが、贈与は経済活動に限定できるものではありません。たとえば、寄付には宗教的な意味合いもありますよね。贈与には、経済的な側面だけでなく、宗教的だったり、法的だったりといろんな意味合いがある。モースはそれを「全体的社会的事象」と呼んでいます。贈与は包括的(ホリスティック)な営みなんです」
贈与は古今東西を問わず、人間社会において普遍的にあらわれる現象とされている。しかし、比嘉さんが調査したトンガ王国では、その度合いが圧倒的だった。
比嘉さん「冠婚葬祭の場面で、トンガの人たちは巨大な布や豚の丸焼きといった“財”を惜しみなく差し出します。財というのは、金銭にとどまらない貴重なものです。私たちの感覚からすると、プレゼントするにしても、最低限の生活費は残しておこうと思いますよね。でも彼らはもっている財を最大限に差し出すんです。『葬式貧乏』という言葉があるくらい、出し惜しみしない(笑)」
こうした贈与の感覚は、ビジネスの領域にも浸透しているようだ。たとえばトンガの村には、親族や友人たちにツケ払いで商品を渡し、そればかりか、返済を迫ることは“恥ずべき”とされているために催促できず閉店してしまう家族経営の商店がいくつもあるのだという。頼まれたら惜しみなく手放すという贈与的なやりとりが、商店と客のあいだでも生じているのだ。
比嘉さん「トンガの村では、ビジネスで成功することは妬みや批判の対象になりやすいんです。もちろん、みんな裕福になりたいとは思っています。それでも、“自分だけで溜め込まないよね”という暗黙の了解があるので、自分だけ抜けがけすることははばかられる。だからこそ、本音では生活費を貯めておきたいと思いながらも結婚式や葬式に財を惜しみなく差し出すわけです。必ずしも誰もが“喜んで”贈与しているわけではないんです」
では、トンガの人たちはなぜ贈与を続けるのだろうか。特定の理由はわからないと前置きした上で、比嘉さんは「信頼」というキーワードを挙げる。
比嘉さん「差し出しても生活できるという、社会に対しての信頼があるんだろうなと思います。私たちには、一文なしになったら誰も助けてくれず、飢え死にするんじゃないかという危機感がありますよね。だからこそ、自分たちの使うものはしっかり貯めておかなければならないと考える。でもトンガの人たちには、自分の手元にないときは誰かが助けてくれるはずという信頼がある気がします。そういう助け合いのネットワークがあるという感覚は、理由のひとつとしていえるかもしれません」
とはいえ、どんな理由で贈与をしているかは究極的にはわからないのではないか、と比嘉さんは指摘する。
比嘉さん「意思というものは、突き詰めるとわからないじゃないですか。結婚式のご祝儀にしても、義務感もあれば、お祝いしたい気持ちもある。だから、ある行為を100%贈与の気持ちでしたのかと訊かれても、誰にもわからないし、誰も答えられないと思うんです」
人の行動に唯一の理由はなく、動機はいつも複数ある。そう考えると、私たちがふだん商品経済(ビジネス)だと思っている営みのなかにも贈与は潜んでいるのかもしれない。
「受け取ること」から生まれる関係
では、私たちの日常生活の一体どこに贈与があるのだろうか。ここで、贈与の営みをより立体的にとらえるための補助線として、「ふるまい」という概念に登場いただこう。比嘉さんによれば、トンガでは何(what)を贈与するのかと同様に、どのように(how)贈与するのかが重要視されているという。
比嘉さん「たとえば、彼らは豚の丸焼きを贈るとき、とても綺麗に並べるんです。布を贈るときも一生懸命高く掲げてみたりと、ただ贈るのではなく、どうやって贈るかということにすごく気を遣っている。私はそれを『贈与のふるまい』と呼んでいます。そもそも『ふるまい』という日本語自体も面白い。『ご馳走をふるまう』というもてなしの意味から『非常識なふるまい』などと使われる態度の意味まで、幅広く使われる言葉です。ただ、どの意味合いでも共通しているのは、『誰かがいる』という意識。つまり、ふるまいは自分ひとりの行為ではなく、必ず他者が想定されているんです。それは私がトンガで見た贈与にも当てはまることでした」
プレゼントする相手のことを考えた、もしくはコミュニティ内の面目を保つための“贈りもの”。そう考えると、たしかに世の中は贈与だらけな気がしてくる。
比嘉さん「私たちも贈り物をするときにラッピングをしますよね。もらった人はすぐに剥がすし、中身が本質的に変わるわけでもない。それでもわざわざ包装するのは、その“どうやって”の部分も贈ることに含まれているからです。贈るものは違いますが、私たちもトンガの人たちと同じベクトルの行為を普段からしているんじゃないでしょうか」
とはいえ、日本のお歳暮やお中元のようなギフト文化は廃れていっている現状もある。合理性だけを考えれば、贈りものは確かに「非合理的」かもしれない。けれども、そこには別の効用があるのだと比嘉さんはいう。
比嘉さん「ものを贈るという行為は、経済的合理性の観点から見れば“無駄”ですよね。生活していくには必要がないものですから。でも、贈るという営みには、人と人をつなげたり、セーフティネットをつくったりといったプラスの面もある。だから、贈与が完全になくなることはないんじゃないかと思います」
合理性や経済性を突き詰めた結果が今の忙しない社会だとしたら、贈与というふるまいには、そこから抜け出すヒントがあるかもしれない。では贈与を取り入れたいと思ったときに、何からはじめるのがいいのだろうか。比嘉さんに尋ねると、思わぬ答えが返ってきた。「贈与を受け取る側」になる必要がある、というのだ。
比嘉さん「最近は贈与経済への関心も高まっていますし、今の社会には寄付をする人なども増えています。でも、ずっと与える側にいるのも実は不均衡なんですよ。私たちは『受け取る側』にもならなきゃいけない。たとえば、他人から何かをもらうと、負い目を感じてすぐにお返しをしがちですよね。もちろんそれも大事ですが、ちゃんと受け取っておくことも同じく重要なんです。受け取らないのは、“そこで関係が終わること”でもある。言い換えれば、受け取ることで人との関係が新しく生まれたり、強まったりするわけです」
比嘉さん自身も、トンガや日本でよく他人からモノをもらったり、助けてもらったりするという。自立とは真逆の、相互扶助的な生き方だ。
比嘉さん「そういう経験をすると、当然私も別の場面で困っている人を見かけたら、同じように助けようという気持ちが湧くわけです。だって、周りにそうしてくれる人たちがいるから。そういうときは、義務感すらない気がしますね。そういう連鎖は自然に生まれるんです」
受け取ることから生まれる関係。けれども、「受け取ること」もなかなかに難しそうだ。ギフト特集の雑誌も、商品のカタログや贈るマナーはあれど、受け取り方は教えてくれない。お返しの目処が立てやすい物理的なプレゼントならまだしも、仕事やプライベートで見えない贈与を受けそうな場面になると、なんとなく億劫で受け取るのを躊躇してしまう。「そういう場面に遭遇したら、遠慮せずに、気持ちよく受け取ればいいんです」と比嘉さんはいう。
比嘉さん「贈与という営み自体、いつ返ってくるかわからない「貸し」をつくることとも言えるかもしれません。贈与には常に“この先はどうなるかわからない”部分がある。贈ったところで、いつまで経っても返ってこないかもしれない。もらっても返す機会がないかもしれない。そういう不確かななかで引き受けていく、ということです。そうしなきゃいけないということではなく、贈与という営みがそういうものなんです。そしてそれは、私たちの生活や仕事のなかで常に行われているものなんです」
取材・文/平岩壮悟 写真/タケシタトモヒロ
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