社会的な営みのなかで、挨拶や敬語などの最低限の礼儀はおさえていても、一歩踏み込んだ礼節や作法は厳密だから苦手と感じる人は少なくないのではないか。武家社会での贈答の際の礼法である「折形」の研究を通じて、贈る行為の一つひとつの意味がもつ豊かさを紐解いてきたのが〈折形デザイン研究所〉の主宰であり、グラフィックデザイナーの山口信博さんだ。山口さんと「折形」の出会いにはじまり、「折形」から贈る行為の一端を覗いてみると、礼法的な正誤を越えて、奥深い文化が見えてきた。
(この記事は2022年12月14日(水)に発売された『XD MAGAZINE VOL.06』より転載しています)
山口信博(やまぐち・のぶひろ)
1948年、千葉県生まれ。コスモPRを経て1979年山口デザイン事務所設立。現在、有限会社山口デザイン事務所代表。折形デザイン研究所主宰。代表的な仕事に住まいの図書館出版局の『住まい学大系』全100冊のデザイン、SD選書のリニューアルデザインなどがある。俳句結社『澤』同人、俳号は方眼子。2018毎日デザイン賞受賞。
折形デザイン研究所
グラフィックデザイナー山口信博を中心とし平成十三年(2001)に設立。著書に『折る、贈る。』(ラトルズ、2003年)、『半紙で折る折形歳時記』(平凡社、2004年)、『新・包結図説』(ラトルズ、2009年)、『和のこころを伝える贈りものの包み方』 (誠文堂新光社、2010年)、『つつみのことわり』(私家版、2013年)。
ふと手に取った古書からはじまった
在野的な研究の道
そもそも折形とは、古来より伝わる紙を折り、贈り物を包み、贈る際の礼法である。室町時代にかたちが確立されたといわれている。天皇を上位とするヒエラルキーがあり、つづいて公家、さらに武家、そして民衆、という階級社会があった。階級間で影響を及ぼし合いながら、時代とともに各階級の故実(儀式のやり方)は変遷してきた。
今も、私たちの社会にその影響が残っている。人に金銭や物を贈る際の紙の包み方や、祝いの場における箸の包み方などは、その好例だ。「折り紙」も「熨斗」も、そのルーツは武家の折形にあった……と、仔細な歴史を辿るだけで本一冊書けてしまうくらい濃い文化的背景をもつのだが、山口さんが折形を知ったのは、そうした歴史的な文脈とは全く異なる。
山口さん「仕事柄、デザイン資料の収集は日常的に行います。今から20数年以上前に、日本的な仕事の依頼が来たときに何かの参考になりそうだなと、古本屋でたまたま手に取った本が『包之記(つつみのき)』でした。調べてみると、江戸中期の幕臣で、武家故実の研究家であった伊勢貞丈(いせさだたけ)が、『結之記(むすびのき)』と合わせ、『包結図説(ほうけつずせつ)』として出版したものとわかりました。要は、折形についての決定版といえる本。文字は変体仮名で読めなかったんですが、折形の展開図と完成図が対になっていることも興味深く、どうやら折形という文化には奥深そうなものがあるなあと思いはじめました」
興味本位で自分なりにリサーチを進めていた山口さんは、ある日折形の研究者がいることを知る。1970年代から折形の普及活動に取り組み、親しみのある折り紙と、礼法としての折形を明確に分類した、故・山根章弘氏だ。それから月に一度、山根氏が主宰する教室に通い、折形の歴史的な背景を学んでいったという。しかし、ここでも山口さんはデザイナーならではの観点で折形に迫っていく。
山口さん「伝統の世界ではこうと決められるものに対しても、デザイナーとしての問題解決癖といいますか、もう少しうまく整理できないかなとは思っていたんですね。そんなことを考えながら学んでいたら、先生が病に伏せられて、教室が開けなくなってしまった。そこで当時の参加者と、極めて個人的な集まりとして、自主的に勉強会をやろうと。それで一応、〈折形デザイン研究所〉という名前をつけて活動をはじめました」
つくり手と使い手をつなぐことが自分の役割
あくまでも内向きの勉強会としてはじまった〈折形デザイン研究所〉だったが、活動内容を発表する機会が訪れる。山口さんの知り合いで、ギャラリーのキュレーションを担当していた人から「何かやってみないか」と声がかかったそうだ。
山口さん「その人はお正月の間、場所が空いてるから何をやってもいいよと。それなら折形の展覧会をしようと思いました。というのも、以前から山根先生にこんなものがつくれないだろうかとお見せしていたものが少し溜まっていたんですね。先生はとても柔軟な方だったので、自分が伝えたことをそっくりそのまま伝承することは止めてほしいが、弟子たちが自発的に考えたものをかたちにして、発信してくれるのは嬉しいとお話しされていました」
そうして2002年の1月に〈折形デザイン研究所〉の初めての展覧会「礼のかたち」が、新宿にあった「OZONE リビングデザインギャラリー」で開催された。結果的に、この展覧会で山口さんの折形への活動をよりアクティブにする2つの偶然が重なった。
ひとつは、「礼のかたち」のあとに開催される展示が、美濃の手漉き和紙の職人たちによるものだったこと。それまで山口さんは折形に使用する紙を探していたが、なかなか満足のいくものが見つからなかった。そこで展示場を視察にきた職人に相談すると、自分たちができることなら協力できると言ってくれたそうだ。
山口さん「ただ一方で、用途を考えたりすることはできないので、そこはお願いします、と仰っていただいて。つまり、素材はつくれるけど、製品を開発することはできない。その後、何度も工房に通わせていただき、一緒にモノづくりをするなかで、きちんとした素材を使い、きちんとした製品をつくることが折形に携わるデザイナーとしてできることなのではないかと手応えを感じたんです」
もうひとつの偶然は、会場近くにあった文化出版局に出入りしていたスタイリストの高橋みどりさんとの出会いだ。彼女が展示を見にきてくれた際に、展覧会用に作成した冊子を2冊購入し、1冊を当時『装苑』で連載をもっていた、モデルの市川実日子さんにプレゼントしてくれた。それが縁で、市川さんが折形の取材をしてくれたという。
山口さん「すると、記事を読んだという方々からの問い合わせを多くいただき、ワークショップや講演の依頼にまで発展したのです。内輪の勉強会として発足したものですから、そんなつもりもなかったのですが、良いものをつくる一方で、使い手がいないとどうしようもないだろうと思っていた部分もありましたので。おこがましいですけど、私たちの活動が、和紙の使い手を育てることにつながるのなら、山根先生から学んだ折形という文化を伝承していけるし、美濃の職人さんたちにも良い仕事をしていただける。それで、今に至ります」
かたちがもつ意味に目を凝らすと、
日常が豊かになってゆく
20年にわたり、折形の啓蒙を続けてきた山口さんは、贈る行為における折形を「言葉ではないコミュニケーション」ととらえている。
山口さん「折形は“真・行・草”の格付けが厳密に規定されていて、包み方ひとつで、贈り主が相手に対して抱いている気持を表すことができました。格付けは共通認識としてありましたから、“真”の包み方であれば、中身は他の贈り物と同じでも、最大級に相手を尊敬していることが伝わります。現代のように言葉をたくさん連ねる必要はなかったのです。物に心が託されている」
“真行草”とは、書の、真書・行書・草書を総称した概念で、「真」が最も格が高いという様式に当てはめて使われることもある。つまり、相手との関係のなかでかたちに意味が宿っているということだ。さらに、武家ならではの意味をもつ包みの作法もあるという。
山口さん「贈り物を包む際に、刃物を入れないという大原則があります。これは武家社会で、切腹を連想させるような刃物を使った切れ目は入れてはいけないという決まりです。そのため、武家由来の折形では最初に紙を切り出す以外の過程で、刃物を使ってはいけないのです。私たちがデザイン開発した『内ろっかく』や『家ろっかく』という、折るだけででき上がる箱がありますが、そうした背景を踏まえて、折るだけで成立するものにしました。良いか悪いかじゃなくて、本来はどうだったのかをわかっていることが大事だと思いますね」
昔に戻ることが必要だ、間違えないことが大事だ、と山口さんは言いたいわけではない。むしろ、時代に合わせて変わるべきだけれど、その過程では教養や歴史を踏まえて解釈することが必要だと感じている。言葉にすれば当たり前のことかもしれない。だが、自分の生活を振り返ると、所作や礼法の“かたち”がもつ意味に着目できているかというと、心もとない。コンビニのご祝儀袋を何の違和感もなく使っている自分がその例だ。
山口さん「贈り物をするって不思議な行為だと思います。今の社会では金銭と物やサービスを等価交換することが一般的だけど、贈り物って交換を前提としていない。返ってこない可能性があるわけです。
でももっと広くとらえると、僕ら人間は自然からの贈り物を既に受けてるんだろうと思います。動植物の命をいただいて、生活を送っていますよね? でも人の命を奪ったら罪になる。だからこそ、交換を要求しない動植物には感謝をしなくてはならない。昔の人は、そういう感受性があったからこそ、収穫祭をはじめとするお祭りがあった。祈りとしてお祭りをやるわけです。それが儀礼化して、出店を回ることがお祭りになっているのかもしれないけど、本来は受けた恵みに対する感謝を表すものなのです」
折形をはじめ、日本では伝統的な贈り物に自然からできた和紙を用いるのが多いことも、自然を崇めているからこそなのかもしれない。自分の手で折った和紙で物を包む折形は、自然への感謝を自ずと内包し、贈り物という形式に凝縮する行為だとも考えられる。
山口さん「包み紙はもう一度使ってもいいのですか? と質問を受けたことがあるんです。資源の活用という観点もあるので、一概には言えないですが、それはちょっと違うと思います、と答えました。中身も包みも、1回1回に気持ちを込めるからこそ、贈り物なのですから」
取材・文/koke1 写真/田巻海
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