北海道東川町は、「写真の町」宣言やふるさと納税を「ひがしかわ株主制度」と銘打った取り組みなど、先進的な事業を数多く展開する。ここで主な話題となる「君の椅子」や「学びの椅子」といったプロジェクトでは、町の子どもたちの成長に合わせて、町内の工房や職人によってつくられた椅子がプレゼントされる。「贈る」という体験を軸に、町の魅力をどう発信し、町民の方々と対話していくのか。町長の松岡市郎さんと産業振興課長の菊地伸さんに話を聞いた。
(この記事は2022年12月14日(水)に発売された『XD MAGAZINE VOL.06』より転載しています)
雪は天からの「贈り物」
北海道で唯一、25年連続で人口が増加する自治体、東川町。25年以内に転入した移住者比率は全町民の56.6%で、今では住宅供給が逼迫(ひっぱく)している。旭川空港からは車で15分ほどではあるが、鉄道、国道、上水道がない。何がここまで人々を惹きつけているのだろうか。松岡町長に町の魅力を尋ねてみると、「自然からの贈り物」について語ってくれた。
松岡町長「初めて人工雪をつくった中谷宇吉郎が『雪は天からの手紙』と言っていますが、東川町の魅力を語る上で雪からの恵みは欠かせません。私たちは大雪山に積もった雪を生かしながら生活をしています。地下に浸透したものは汲み上げて飲料水にします。ミネラル分が豊富な雪解け水から、東川町の特産品であるお米をつくっています」
山並みと水田が広がる光景は東川町を象徴する景色のひとつとして知られるが、歴史的にも東川町と稲作のつながりは深い。水路が整備されて稲作の収穫高が伸びると、町の人口も増えていった。現在、町域全体247.06 km²の人口は約8,500人。東京都・港区がその12分の一の20.37 km²で、人口24万人であることを思えばまだまだキャパシティはあるようにも思える。「どれくらいの規模を目指しているのか?」と問うと、産業振興課長の菊地さんからは意外な答えが返ってきた。
菊地さん「東川町の人口は毎年大きく伸びてきたというわけではありません。1950年から1993年の間は、1万人強から7,000人を切るくらいまで徐々に人口が減りました。そこから微増を25年続けているというのが現状です。一気に宅地造成をしたり、環境を整えたりしたわけではありません。今の8,500人から、多くても9,000人くらいを維持することを考えています」
2007年頃から東川町は町づくりの理想像を示す言葉として過疎でも過密でもない、「適疎」という言葉を掲げている。その意味を聞くと、町長はもう一度自然との関係に立ち返った。
松岡町長「『適疎』の最も根本は農地を潰さないことです。つまり、農業を守るということ。農業というのは土に関わる文化で、私たちの生活、ひいては命に関わる問題です。それでも町を維持するためには人口が必要。だからこそ、過疎でも過密でもない『適疎』なんです。住民同士顔が見え、名前が呼べて、挨拶が交わせるような。その基盤を守り、その上で自然と文化の両方を大切にしていきたいです」
「君の椅子」プロジェクト
稲作に加えて、もうひとつ東川町を支えてきたのが木工家具産業だ。もともと農業従事者の冬の仕事としてはじまり、今では生産額や就業人口が町で一番の産業となり、町民の40%近くが木工業や関連産業に携わっているという。とはいえ、木工業もずっと堅調に伸び続けてきたわけではない。東川町は日本五大家具産地として知られる「旭川家具」の生産の3割を支えているが、婚礼家具が主力事業だった旭川家具は、人口減少に伴い消費が急激に冷え込んでいた。こうした町の変化に対し、町長は「シニアの力」を借りて対策を練ったと説明する。
松岡町長「今の町づくりの根幹となっている『写真の町』も、全国初の公立日本語学校も、アイデアはシニアの方から得たものが多いんですよ。『君の椅子』だって、シニアの方の提案からはじまりました。それは当時北海道副知事で、旭川大学の客員教授を務めていた磯田憲一さんのアイデアが出発で、なんとか木工業を支えようという考えでした。『家具の新しい需要を起こす』という視点では非常に効果があるものではないかと、町も大賛成をして2006年にはじめました」
「君の椅子」プロジェクトとは、北海道産の無垢材で旭川家具の職人がつくった世界にひとつだけの椅子を町で誕生した子ども一人ひとりに贈るプロジェクト。そこには「この町で生まれてくれてありがとう」、「君の居場所はここにあるからね」というメッセージが込められている。中学生になると卒業記念品として在学中の3年間使い込んだ木製の椅子「学びの椅子」が町から贈られる。町が子どもの誕生と成長を祝うというなんともハートフルなプロジェクトに、地場産業を支えるという側面があったとは感慨深い。子どもたちが受け取っているのは単なる物理的な椅子に限らず町の特長を受け継いだイキイキとした環境。それこそ子どもたちへの贈り物なのだろう。町長の話からそんな思いが感じられた。
松岡町長「旭川家具にはね、木が生きた年数よりも長く使おうという思想があります。何世代も引き継いでいけるような椅子を贈りたいと考えています。『この椅子は、僕のおじいちゃんが赤ちゃんのときにもらった椅子なんだ』って語れるような椅子であってほしいですね」
家具の町に必要なのは、デザインミュージアム
東川町を歩くと公共施設の至るところに木工家具が用いられている。現地を訪れて印象的だったのは伸びやかな平屋建ての東川小学校と地域交流センター。広大な敷地に地元の木材でつくられた明るくて開放的な空間が広がり、木製の学童家具や遊具がふんだんに採用されている。また、町の中心部にある東川町複合交流施設「せんとぴゅあⅠ・Ⅱ」はコミュニティカフェ、日本語学校、ライブラリー、ギャラリー、宿泊施設などが一体となった施設で、施設全体が家具の展示場のようになっている。
さらに驚くのは、せんとぴゅあⅠ・Ⅱのギャラリーに世界有数のモダンデザインのコレクション「織田コレクション」が常設展示されていることだ。人口1万人に満たない東川町だが、椅子だけで1,350脚、テーブルや照明、食器、カラトリーなどの日用品は6,600点にも及び、町民ひとりにつきひとつ以上のモダンデザインの資産をもったことになる。町長にコレクション町有化の経緯を聞けば、家具コレクションを賜ることは家具の町にとって悲願であったことが伝わってくる。
松岡町長「旭川は日本五大家具産地として、木工業のインフラが整った町で、教育機関や試験機関、研究所、工房もあります。ただ世界で戦うなかで、何が足りないかというと、デザイン力です。東川町の出身で、旭川ブランドを代表する総合家具ブランド『カンディハウス』を創業した長原實さんも旭川家具のレベルを上げるために、デザインミュージアムをつくる必要があると考えていました。
彼が椅子研究家の織田憲嗣さんを関西から北海道に招いてくれました。織田さんにお会いすると、家具やミュージアムへの想いが非常に溢れている方だということがわかり、ふるさと納税や国の補助金を使用すればなんとか織田さんのコレクションを散逸せずに済むのではと思い、2017年に『織田コレクション』の町有化が実現しました。先人の方々から『織田コレクションは東川が一番似合う』とも聞いていたので、そういうものがいつの日か東川に来たらいいなと思っていました」
デザインミュージアム構想
東川町のデザインミュージアムは2025年頃の着工を目指し、現在、隈研吾建築都市設計事務所が基本計画中だ。建築家は役場やせんとぴゅあⅠ・Ⅱ、東川小学校など公共施設が集約する道道1160号と飲食店や商店が1マイル(1.6km)軒を連ねるメインストリートがあることに着目。デザインミュージアムもこのエリアに計画し、さらに徒歩圏内のネットワークを強化する試みだ。菊地さんはこの意見や評価も新鮮なものだったと振り返った。
菊池さん「隈さんが東川町を散策して、東川町は『日本のなかで珍しいコンパクトシティだ』『ウォーカブルな町だ』という表現をされたんですよ。私にとっては当たり前の市街地、町という感覚だったんですが、外からの人の反応で町の魅力を再認識しました」
町長にデザインミュージアムの構想を聞いてみると、ひとつの建物にとどまらない、より大きなプロジェクトであることもわかった。
松岡町長「デザインミュージアムはこれからです。東川町の歴史は高々120年とか130年ですが、今まで残っているものを活かしてつくり変えることを考えています。自然豊かな町有地もありますが、植林をしている場所なので手をつけたくありません。その代わりに、大雪山が一望できるような施設も必要だと考えています。
デザインミュージアムをつくるという動きはこれまでもありましたが、その実現が難しかったのは『デザイン』が対象とするものがとんでもなく幅が広いからだと思います。『何のデザインを保存するんだ?』という話になるでしょう。このペットボトルだって、このパンフレットだって、この机だってデザインです。東川町ですべてのデザインを扱うのではなくて、織田コレクションに関連するものや、木を素材としたもの、いわゆる家具を中心にできればと思います。玩具やパッケージ、そういう他のデザインは町内の別のスペースや、旭川市などでやればいい。ここで完結するのは不可能ですから、分散してもって連携していけたらいいと思います」
少子高齢化先進国の日本で、人口が増やせるならば、資産が増やせるならば、増やせるとこで増やせるだけ増やしておいた方がいいと思いがちだったが、そうではないんだ、ということにハタと気づかされる。私たちはなんでも「More」な時代はもう終わったと薄々気づきつつも、ファストな流行と消費の循環に流されがちだ。でも、自然豊かなこの町は、歴史をもって自然と共生していくことを知っている。アイヌの人々が「神々の遊ぶ庭」と呼んだ大雪山の山々と、先人が苦労して耕した文化の象徴・水田が織りなす美しい景観を守りながら、農地を開発せずにどれだけ多くの人流を受け入れていくことができるのか。東川町にデザインミュージアムができて、さらに多くの人が町を訪れることになれば、今後課題にもなるだろう。自然と人間が共生してきたこの町の子どもたちにどんな未来を贈ることができるだろうか。
取材・文/服部真吏 写真/Sayuri Murooka (SIGNO)
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