透明なパウチに褐色液体に氷と炭酸水。そこにレモンと削りたてのブラックペッパーを加えてから、赤いストローでゴクリと飲みこむ。途端、シュワッとした刺激とピリッとした辛さがのどを通過。よく知るコーラより、ずっと複雑で芳醇な香りと味が追いかけて、きた――。
2018年創業の『イヨシコーラ』は、最近よく見かけるようになった「クラフトコーラ」の先駆けだ。新宿区下落合の小さな工房と移動販売車からスタートした小さなコーラメーカー。その後、オンライン販売と共にいくつかの店舗にも卸し、渋谷には直営店も出した。ローソンでは缶入り飲料を展開。さらに今年6月には浅草六区に新店舗も構えるなど、八面六臂の活躍ぶりだ。
もっとも、創業者で生みの親でもあるコーラ小林氏は、「順風満帆に見えるかもしれませんが、決してそんなことはないし、今も自分たちのアイデンティティはクラフトマンシップにある。お客様の体験価値もそこにあると考えているんですよ」と言う。
一体、どういうことなのか? イヨシコーラの美味しさの秘密と、大切にしている体験価値について、浅草の新店舗にお邪魔して、聞いた。
コーラ小林
イヨシコーラ代表 / クラフトコーラ発祥人。1989年・東京生まれ。和漢方職人「伊東良太郎」を祖父に持つ。北海道大学農学部卒業後、一般企業に勤務しながら、大好きなコーラ作りの探求を進め、2018年7月にクラフトコーラ専門メーカー・専門店「イヨシコーラ」を立ち上げる。
和漢方職人の孫が、実験で辿り着いた味
1886年。ニューヨークに自由の女神像が完成し、東京ではのちの伊勢丹となる伊勢屋丹治呉服店が開業したこの年、「コーラ」は生まれた。
アメリカの薬剤師ジョン・S・ペンバートンが“薬”として開発。ワインのコカの葉やコーラの実から抽出した成分を混ぜたものだった。その後、炭酸水で割られ、コカ・コーラやペプシコーラといった世界中で愛される飲み物になったわけだ。
「そういう意味では、先祖返りのようでもある」と『イヨシコーラ』を創ったコーラ小林こと、コーラ小林氏は言う。
小林氏「東洋の漢方の文脈をコーラと掛け算して生まれたクラフトコーラ。それが『イヨシコーラ』ですからね」

コーラ小林 氏
『イヨシコーラ』は2018年に誕生した東京・下落合生まれのコーラ飲料だ。そして最近でこそ多く見かけるようになったが、世界ではじめて「クラフトコーラ」の名を冠した専業メーカーである。
ルーツは、幼少期から小林氏が実験好きだったことにまでさかのぼる。新宿区下落合生まれの小林氏は、幼稚園の頃から近くの公園に駆け回り、雑草をとってきては勝手に煎じて「謎のドリンク」を作っていた。
小林氏「自分の手でなにかすると化学反応でモノが変わる。新しいなにかが生まれることに、ワクワクしていたんですよ」
祖父の影響もあったようだ。漢方職人として下落合に工房を持ち、いつも何か作っていた。漢方独特の香り漂う秘密基地のような場所に、たまに入り浸っていたからだ。

イヨシコーラ浅草六区店の外観。4日後にオープンを控えるタイミングで取材を行った(写真提供|伊良コーラ株式会社)
だから、北大の理系学部を卒業後、一旦、普通に就職。営業職をしていたが、趣味で「実験」は続けた。
小林氏「それが、コーラづくりでした」
仕事を終えて帰宅したある夜。偶然、ネットでコカ・コーラの原材料が公開されているのを発見した。実験好きの火がついて、自宅のキッチンで調合しはじめた。ただ当初はまったく美味しくならず、四苦八苦したという。
ナツメグ、レモンピール、シナモン……。ネットでみたスパイスを鍋で煮込んでシロップをつくり、よく冷えた炭酸水で割っても、あのコーラの味に届かなかったからだ。
そんな頃、祖父が亡くなり、偶然のブレイクスルーにつながる。
小林氏「工房で、家族と遺品整理しながら祖父の思い出を話していたんです。そのときにふと、『あ……漢方薬の作り方を、スパイスを使うコーラでもあてはめてみたらどうだろう?』と、ひらめいたんですよ」

浅草六区店の店内には、大小の瓶に入ったさまざまな漢方が並ぶ
予想は的中。くわしくは企業秘密だが、漢方の調合を加えることで、ひと味もふた味も足りなかった「コーラ感」が具現化できた。実験をはじめてから2年半が経って、ようやく完成したのだ。これを同僚に飲ませたときに聞いた一言が、起業の後押しになる。
小林氏「『めちゃくちゃ美味しい。お金を出すから売ってくれない?』と言われたんです。スイッチが入りましたよね。最初は副業からのスタートでしたが、とにかくこの美味しいコーラを、世の中に早くだしたい! と強く思った」
それが2018年。ここからが早かった。移動販売のトラックを発注し、そこに自作したシロップと強炭酸水を積んで、週末、青山で開催される青空市場「ファーマーズマーケット」に出店しはじめた。*
*創業から最初の出店までの詳細なストーリーは、公式のnoteに綴られている
https://note.com/cola_kobayashi/m/mc5c716601594
「ビジネスとしてうまくいきそうだ、とか正直そっちはあまりなくて。『早く大勢の人に味わってほしい!』『世の中に見せたい!』みたいな高揚感に押し出されていた感じでしたね。熱くなれた」
屋号と商品名は『伊良コーラ』に。祖父の名「伊東良太郎」から冠した漢方工房『伊良葯工(いよしやっこう)』から引き継いだ。クラフトコーラとしたのも、手作りの個性的なクラフトビールが一般的になっていたので、そのコーラ版と考えたからだ。

祖父の漢方工房『伊良葯工』当時の看板が飾られている
カワセミの絵をトレードマークとし、移動販売車に掲げた。カワセミは小さな体ながらも川の中まで全身で飛び込んで、大きな魚をとる。巨大ブランドが並ぶ市場に飛び込む、自分の姿をこの鳥に見立てたわけだ。
小林氏「ペプシ、コカにならんでイヨシが次にくる。そんな夢を形にしたいなと」
「工房」に「店舗」をあえて加えた
青山ファーマーズマーケットに出店すると、すぐに長蛇の列がうまれた。初日からすぐに売り切れ、毎回それが続いた。
支持された理由は、やはり「味」だ。
クローブ、カルダモンといったスパイスを約12種のスパイスを調合したオリジナルシロップはすべて天然素材を使用。スパイシーで弾むような力強さを持ちながら、和漢方の力が「滋味深さ」を感じさせる。これが効いた。
小林氏「通常、コーラは女性に選ばれない傾向が強い。糖分も多いため『体によくない』イメージを持つ方が多いからです。しかし、漢方をルーツにしている『イヨシコーラ』は老若男女に好まれる稀有なコーラになっているんです。『普段は避けているけれど、これなら子どもに飲ませたい』とおっしゃる親御さんもいたのはうれしかった」

浅草六区店の店頭にコーラ小林氏が立つ日もある。取材時にコーラの制作を実演いただいた。まずはパッケージに氷を入れる。
ヘルシーなイメージと共に、祖父の漢方を引き継いだストーリーもプラスの魅力に映った。Webニュースやテレビ、雑誌など多くのメディアが、『イヨシコーラ』の物語を報じてくれたからだ。

続いて、コーラの原液を注ぐ
その頃には、渋谷や吉祥寺に劇場を構える映画館「アップリンク」から「うちで販売したい」と声がけがあり、卸もスタートさせた。軌道に乗りはじめたため、小林氏は本業をやめ『イヨシコーラ』1本で独立した。
もっとも、小林氏が「味」や「ブランドの成り立ち」と同等、あるいはそれ以上に顧客に伝えたいことがあった。
「クラフト(手作り)へのこだわり」だ。
小林氏「メディアの露出もお客様も増えると、『どこでOEM(相手先ブランドでの生産)しているの?』と聞かれることが増えたんです。自社でこだわってつくっているのが、伝わっていなかった。くやしくて」
2年半の実験を重ねて、「とにかく味わってほしい」と起ち上げた真のクラフトコーラだった。小さなカワセミが巨大市場に挑むことこそ、自分のアティテュードだと捉える小林氏には耐えられない屈辱だった。そこで2020年に初めて実店舗を出す。選んだ場所は、下落合で祖父がやっていた元漢方工房。そもそもクラフトコーラづくりをする工房として使っていたが、そこを「工房兼店舗」としたのだ。

炭酸を加える。絶妙なバランスで調合が進む
あえてガラス張りにして、店内から工房を覗けるようにしたのは「クラフトであること」を暗に伝えるためだ。この頃からクラフトコーラを名乗る競合が少しずつ出始め、「他と一緒にされたくない」プライドも感じさせる。
小林氏「イヨシコーラの土台みたいなもの、いわば足腰となる“下半身”は自分たちで手作りしていることに尽きますからね。自分たちの存在意義も、お客様に喜ばれる価値もそこにあると思っている」
店でただ容器にコーラを注ぐのではなく、原液に炭酸水を入れ、最後に胡椒を振り入れる。最後の工程を必ず提供しているのも、同じ理由というわけだ。

最後の工程として胡椒を振り入れる。刺激と辛み、漢方独特の香りとスパイスの風味が口の中に広がっていく
こうしてものづくりの土台を固めつつ、『イヨシコーラ』は次々と挑戦を仕掛けてきた。
コロナ禍の2021年には、資金をクラウドファンディングで集めて、渋谷のキャットストリートに2号店も開店。前後して、高円寺の小杉湯とコラボした「イヨシコーラの湯」の名で、イヨシコーラ風の香り湯を提供。のちに東京全域、さらに全国400施設もの銭湯で実施されるようになった。2023年からはローソンで缶タイプのイヨシコーラを販売開始。好評だったことから、販売エリアをじわじわと各地に広げてきた。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで成長しているようにも見えるが、小林氏は「今は、また“下半身”を強くするタイミングですが」と自分をいましめる。
なぜか?
小林氏「実際には短期間の限定販売だったにも関わらず、コンビニ展開などをしていると『儲かっている』『うまくやっている』というように実態よりも大きく見られることが増えた。何より僕らメンバーも、メーカーではなくて、企画会社のような雰囲気が出てしまっていた。だから“引っ越し”をしたんですよ」

浅草六区店内には物販エリアも併設。瓶や缶の商品を自宅用やプレゼント用に購入することができる
世界に向かう前哨戦として、浅草六区で
『イヨシコーラ』は成長するとともに社員数を増やし、下落合の工房とは別に広めのオフィスを借りてビジネスをするようになっていた。周囲から「うまくやっている」とみられると同時に、自分たちの価値が薄れて見えているのではないか、と危機感を抱いたそうだ。
小林氏「今もメンバー自ら材料を調合し、原液をつくっている、れっきとしたメーカーです。しかし、工房とオフィスがバラバラになったことで、どこかその手触り感が社内で薄れていた。社員全員のすぐそばで調合し、音と香りがひろがる臨場感がなくなった。このままだと会社は大きくなれるかもしれないけれど、『クラフトコーラの魂みたいなもの』が、失われちゃう気がしたんですよ。
直接言われたわけではないのですが、最初の頃にイヨシコーラを好きになってくれていた方々に『なんかもう応援しなくても十分なブランドになっちゃった』と思われはじめた気がしたんです。変わっちゃったな……って」
耐えられなかった。高度なマーケティングと洗練されたブランディングのスキルで、「うまくやっている」D2Cブランドと同じ目線で見られていたとしたら悲しかった。

コーラの原液
味は複雑だったが、小林氏は変わらずシンプルでピュアな動機で動いているのだ。だから何かを失う前に動いた。今年3月、都内某所に引っ越し。そこは工房と事務所が横並びで配置して、「クラフトコーラを自分たちでつくっているのだ」と社員誰しもが自然と体感できる場にした。将来的にはファクトリーストアのように仕上げる予定もあるという。
小林氏「もういちど“下半身”から鍛え直す。ものづくりの魂を宿らせる。そんな感じです」
データを読み込むだけではなく、試行錯誤をして、仮説と検証を繰り返す。実験好きな小林氏は、そうしたフィジカルを使った体験価値をことさら重視しているのかもしれない。
今年7月オープンした新店舗「浅草六区店」は、そうした実験精神にあふれている。日本を飛び出して世界に向けて『イヨシコーラ』が飛び立つ前哨戦の場として、インバウンド客が多く、また日本らしさにあふれた浅草の地を選んだ。

作りたてのコーラが、手作りのリフトに乗って2階のVIPルームへ運ばれていく
実は元アダルトショップ。少しクセの強い雰囲気を漂わせるため、あえて当時のカンバンを流用。中に入るとアンティークのガラス瓶や薬の木箱がずらりと並び、和漢方由来のクラフト感を十分感じさせながらも、独特の高揚感を味わえるようにしてある。

アダルトショップ当時のカンバンも店舗に置かれている

2階につながる階段下に設置された薬箱
もちろん『イヨシコーラ』は作りたてを提供。2階席はVIP用のお座敷空間のようにして、週末はバー運営もやるなど多彩な挑戦を計画中だという。
小林氏「試行錯誤しながらも、挑戦ですけどね。いや、挑戦というか、実験ですね」
いかにもワクワクした顔で、言った。
取材・文/箱田高樹 写真/濱田晋 編集/鶴本浩平(BAKERU)