AIが、あらゆる産業で当たり前に使われるようになって久しい。
営業企画のたたき台も、スマホアプリのプログラムも、詞や音楽でさえも――。今やプロンプトを書けば、AIがそれなりに質の高いアウトプットを出してくれるようになった。
ちょっと震える。それぞれの現場で不可欠だったスキルや知識の中に、急速に陳腐化するものが、ままあるからだ。地道な下積みや、基礎学習が、突然、いらなくなるかもしれない。
そんな時代に、私たちに必要な「学び」とは何なのか? 子どもたち、そして社会人は、どんな知識や技能を身につけるべきなのか。
リクルート・スタディサプリ教育AI研究所所長の小宮山利恵子氏と考えてみた。
学校にITが入り、AIが社会実装され、私は寿司を握る
この5年で、教育をとりまく景色は様変わりした。
2019年12月に文部科学省が打ち出した「GIGAスクール構想」は、コロナ禍で加速。2年後の2021年にはほぼ100%の自治体で整備され、全国の小中学校の授業でタブレットPCと高速ネットワークが活用されるようになった。ネットで調べた内容を深堀りし、議論を通じて理解を深める探求型授業や協働学習も当たり前になった。
社会人の「学び」の在り方に目を向ければ、人生100年時代が叫ばれ、かつオンライン教材の普及したこともあり、「リスキリング」も一般化した。
「世界はさらに先を行っている」と、スタディサプリ教育AI研究所所長で、AIとテクノロジーを通じて人の学びがどう変わるか、を研究している小宮山利恵子氏は言う。
フィンランドでは、2016年から複数の教科を横断しながら、実際の社会課題の解決を目指す「フェノメナン・ベースド・ラーニング(現象ベース学習)」を義務教育で実施。ITを駆使して、高い視座で社会とつながった学びに、早い時期から慣れている。イギリスでは教育省が生成AI導入のメリットとデメリットを加味したうえで、「AIリテラシー教育」をカリキュラムに取り込み始めている。
小宮山氏「要はこの5年で、世界中で知識を得る術は無限にひろがり、答えを探すハードルはうんと下がった。裏返すと“ただモノを知っている”ことの価値は下がったわけです」

株式会社リクルート スタディサプリ教育AI研究所 所長 小宮山利恵子氏
ならば、今、そしてこれから人が学ぶべきものは何か? 従来型の知識偏重の詰め込み型教育が時代とあわないのは誰しも知るところ。だが、具体的に何をどう学べばいいのかというと、いまいちクリアさに欠ける。
不確実性や変動性が高いVUCA(Volatility=変動性/Uncertainty=不確実性/Complexity=複雑性/Ambiguity=曖昧性)の時代と言われて長いが、学びこそ先行きが見えないVUCAの状態に思える。
こうした状況を踏まえたうえで「先ず隗(かい)より始めよ」と小宮山氏が実践する学びがあるという。
小宮山氏「寿司です。2023年から寿司職人の修行をはじめ、2024年には『銀座おのでら』の鮨アカデミーで寿司職人コース修了証も取得。たまに寿司職人の出前出張の手伝いもしているんですよ」

生成AIができない「暗黙知」と「身体知」を磨く
なぜ、小宮山氏は寿司を学ぶのか? それは「AIが最も苦手とする領域が、寿司の世界にあるからだ」という。
小宮山氏「魚の鮮度を見極め、ネタの特性をみて切り、シャリやわさびの量、握って出すタイミング、スピード、会話選び……。高級寿司店の職人仕事は変数が多すぎて、AIには難しい。常連客の体調やなんとなくの好み、気候や店の雰囲気といった数値化できない“暗黙知”が寿司にはあるからです」
AIは、膨大なデータをもとにして最適解を導くことを得意としている。しかし、五感で感じとった「身体知」や言葉にできない「暗黙知」はやはり人間に軍配があがる。
経験や感情、他者とのコミュニケーションを通してしか得られないそれらを学び、磨くことは、AI時代で付加価値の高い能力を磨くことに直結するわけだ。

暗黙知を体得するプロセスは、“学びの循環”と呼ばれる、人が力をつけるためのサイクルを知ることで、より深く理解できる。人がなにかを学ぶとき、「知る」→「わかる」→「できる」のサイクルをぐるぐると回りながらなされるとされている。
寿司でたとえるなら「知る」は、魚の種類や味の違い、調理の仕方といった寿司にまつわる知識を得ることだ。情報があふれるインターネットを探れば、今はすぐに「知る」ことはできる。
次の「わかる」は、知ったことの裏付けまで理解することだ。寿司でいえば、「なぜシャリを優しく握る必要があるのか」「どうしてこの時期のブリは脂がのっているのか」をわかったうえで、寿司づくりに臨む知見を手にするといった感じか。ただ、これもAIを使えば、すぐに噛み砕いたことばで、「わかりやすく」教えてくれそうだ。
しかし、3つめの「できる」は違う。
いくらYouTubeやAIで寿司の握り方を「知り」「わかって」も、実際に手を使って魚を切り、シャリを握り、美味しく提供する=「できる」はたやすく体得できない。回転寿司のロボットはシャリを握れても、高級店の職人の技は、そうカンタンにはコピーできないからだ。
小宮山氏「『できる』は、言語化できない修行のような経験をつんだり、コミュニケーションを重ねたりすることでしか培えません。まだ人にしかできない領域。つまり『わかる』と『できる』の間を埋める身体知や暗黙知を体得する。そんな学びは当分陳腐化せず、人がAIに勝てる領域で、それを伸ばすことにもなる」

たとえば、常連さんの表情を見て、咄嗟に「今日は体調が万全じゃなさそうだから、お客さんの希望を確認しながらペースをゆるめてお出ししよう」と判断したり。あるいは、「ウニやマグロのほうが美味しそうな顔をしていたから、別のウニを出してみよう」とメニューを変えたり。そうした暗黙知も、AIより人が得意とする面だ。
そのため、小宮山氏は「寿司」以外にも、「狩猟」や「ダイビング」といった身体知を伴う学びを実践しているという。さらには「小型船舶」や「食品衛生責任者」、「小型車両系建設機械運転」の資格。今春は、東京海洋大学の大学院に入学までしたという。
小宮山氏「もともと海と食べることが好きなので、その周辺の暗黙知と身体知を磨ける領域を学んでいます。海を追求していたら、山にも関心が向き、狩猟も、と。あとは最近はAIの普及でホワイトカラーが食を失い、身体をつかった仕事が再注目されているので建設系の資格も……と」
加えて特徴的なのは、学んでいるジャンルが、小宮山氏の本職である教育研究には、直接関係なさそうな領域であることだろう。
しかし、それこそが、「いま社会人がすべき学びの形」で、「子どもたちに示す学びでもある」という。

両利きの学びを、少しずつ
「両利きの経営」をご存知だろうか。イノベーションを促すには「知の深化」と「知の探索」、この2つを“両利き”のように同時に走らせることが大事だという経営理論だ。
革新的なアイデアはゼロから生まれるものではない。携帯電話と携帯音楽プレイヤーをかけあわせてiPhoneができたように、「既存の知」と「既存の知」をかけあわせて生まれる。
だから自分が属している会社や業界で「知の深化」をしながら、まったく別の領域の知識を得ていく「知の探索」を同時にすすめることが肝要というわけだ。
小宮山氏「そのまま『両利きの学び』と置き換えられます。どうしても、目の前の仕事に役立つことを学びがちですが、そうした『知の深化』だけでは足りない。VUCAで答えがひとつじゃない時代に、新しいなにかを模索していくような着想や発想を得るためには今いる持ち場と離れた『知の探索』につながるような、まったく別分野の学びが大切ですからね」

もっとも、慣れ親しんでいない新たな領域。「知の探索」につながるような、外の世界に飛び込むのは、すこしの勇気が必要だ。腰が重くなる人は多いだろう。
コツがある。小宮山氏は「『まず一歩踏み出す』『中途半端でもいい』『中途半端な自分を認めてやる』と決めておくといい」とアドバイスする。
小宮山氏「私たち日本人は生真面目なので、途中で投げ出すことを極端にネガティブにとらえがち。学ぶための計画を立てるだけで半年が過ぎたりする(笑)。義務じゃないのだから、もっと気軽に『興味があるからちょっと試してみよう』でいいんです。はじめの一歩を踏み出すだけで十分、知の探索になる。違ったな、と思ったらまた別のなにかを学べばいい。軽やかな学び方を身に着けてほしい。時が経つと、またやってみたくなる場合もあります。」
小宮山氏自身も、多彩な学びを実践しながら、「会計学はすぐ挫折しました」と笑う。また、そうした何でも挑戦する姿を、失敗する姿もあわせて自分の子どもに見せることが、とてもいい刺激になっていると感じているそうだ。
小宮山氏「高校3年の息子は、私が毎週日曜の朝に何かの勉強をしに駅前のコーヒーショップへ行くのをよく知っている。『なんだか楽しそうだな』とか『途中でやめた勉強もあるな』『また新しい勉強をはじめればいいのか』と勝手に学んでいます。
自分の子どもに限らず、若い人に教えよう、導こうとしても嫌がられるだけ。大人が見せていくことで、勝手に学びへの好奇心がマインドセットとして刷り込まれていくんだと思います」
言いつくされているが、学ぶは「真似ぶ」が語源だ。変に成果を求めず、震えず、生真面目にならず、小宮山氏の軽やかな学びを真似てみるのもよさそうだ。
生真面目に成果を求めるのは、生成AIにまかせておけばいい。





