旅行代理店の店舗に訪れたことがあるだろうか? 無数のツアー情報が並び、入店してすぐにカウンターが並ぶ光景は、筆者にとってハードルが高く、なかなか馴染みがなかった。
一般的な旅行代理店の店舗は、明確な目的や行き先が決まっている顧客が、予約や決済をする場として機能している。しかし、インターネット予約が当たり前となった今では、ベッドに寝転びながら、スマートフォン片手に予約ができてしまう。
消費者庁の発表によると、国内旅行と海外旅行ともに旅行の予約は「オンライン(パソコン)」が最も多く利用されている。若いほどスマートフォンでの予約割合も高い。「店舗に行かずに予約できる」「都合の良い時間に予約できる」といった理由が挙げられていた。
このような状況だからこそ、店舗の存在意義を改めて見つめ直す動きが増えている。
2018年11月、エイチ・アイ・エスが池袋パルコに新しくオープンしたのは、まさに新しい店舗のカタチを模索するものとなっていた――。
リラックスした空間の中で、旅の想像や妄想を
同社が新しくオープンした店舗の名前は「H.I.S. The ROOM of journey」。そのコンセプトは、“旅のはじまりは、ここから”。名前にもあるように、自分の部屋でくつろぐかのように、リラックスしながら旅の想像や妄想ができる空間設計にしたという。
コーヒー専門店さながらのカフェカウンターも用意されており、コーヒーなどのドリンクやインスタ映えするオリジナルスイーツを食べながら旅行計画を練ることができる。
約480m²という異例の広さをもつ店内は家の中をイメージしており、「エントランス」「キッチン」「スタディワークス」「クローゼット」「ベッドルーム」「リビング」「キッズスペース」などのスペースにわかれている。
そのうちのエントランス、クローゼット、ベッドルーム、リビングルームの4つは接客スペース。これまでと違うのは、スペースごとに来店した顧客のニーズに合わせた設計がされていることだ。
たとえば、リビングはパーテーションで仕切られた接客スペースとなっており、プライベート性を重視した空間となっている。事前の予約を行うこともでき、なかなか店舗に足を運ぶ時間がとれないビジネスマンにも優しい。
ベッドルームでは、向かい側にあるキッズスペースの様子を確認しながら旅の相談ができるため、子ども連れの顧客に好評という。キッズスペースを背中にして座った場合でも、鏡ごしに様子が確認できるという細かい配慮もなされている。
「スタディワークス」のエリアでは、スタッフが選んだ約200冊ある旅関連の本や旅行パンフレットを席で自由に読むことができるため、まさに“旅のはじまりは、ここから”を体現するスペースとなっている。
取材時も、学生が友人と旅行雑誌やパンフレットをたくさん広げて、楽しそうに計画を練っている様子が見られた。従来の店舗より、高齢者の来店が多いのも特徴という。
なぜ“旅のはじまり”を作る店舗を設けたのか
H.I.S. The ROOM of journeyは顧客それぞれのニーズに応じた空間を設計し、“旅のはじまり”が生まれることを目指している。従来のように、旅行の行き先が決まっている顧客の予約や決済ができる場としてだけの店舗ではない。
同社経営企画本部 広報室の三浦達樹氏によると、このような店舗を設けたのは2つの理由があるという。1つ目に、日本人にとってまだまだ海外旅行が身近な存在でないことだ。
観光庁の推計では、2018年における日本人の海外旅行者数は前年比6%増の1,895万人となった。格安航空会社(LCC)の就航増などもあり、6年ぶりに過去最高となったが、三浦氏は「世界的に見ても少ない。韓国は人口が日本の半分以下にもかかわらず、海外旅行者数は2,000万人を超えている」と語る。国内では高齢化が進む中、海外旅行のマーケットを拡大させるためには、若者が多く集まる場所でその魅力を伝える必要があると考えた。
2つ目は、インターネット予約の普及だ。冒頭にも挙げたようにインターネットで簡単に旅行の予約が可能となったため、既存の店舗体験だけでは成長が難しくなっているという。
三浦氏によると、同社の海外旅行事業における売り上げの約52%が店舗経由となっている。一方で、成長率でみると店舗経由での売り上げは伸びているものの横ばいの状態を推移している。その中で、オンライン予約は前年比2桁成長が当たり前という。
そのため、店舗は継続して重要視されているが、その在り方は変えていく必要があった。同社はこれまでにもハワイやヨーロッパに特化した専門店の開設や、2015年9月に表参道でオープンした「H.I.S.旅と本と珈琲と」など、新しい店舗概念の実験を進めている。
三浦氏「表参道の店舗のコンセプトは、「まだ見ぬ理想の旅と、出会える場」。ブックディレクターの幅允孝氏が選んだ1,500冊以上の旅行に関する本が並ぶ店内で、コーヒーを飲みながら新しい旅と出会える空間です。この店舗では、従来はやっていなかった旅行に関連した物販を行ったり、イベントを開催したりしたことで、新たな気付きが得られました。
それは、人と人の出会いやコミュニケーションによって、コミュニティが生まれたこと。多くの本の中から理想の旅を見つけると、15カ国以上を旅したスタッフに相談ができる。イベントを通して出会った人と継続的につながり、一緒に旅行に行く。旅が終わった後も、その体験をアウトプットする場ができる。
こうしたコミュニティづくりが重要という観点から、H.I.S. The ROOM of journeyも生まれました。表参道の店舗と違うのは、子どもを連れたお母さんや大学生のグループ、ビジネスマンなど、それぞれの顧客に応じた空間を設計したことです」
オンラインでは難しい「人と人のつながり」を生む
H.I.S. The ROOM of journeyのオープンから約2か月。同社 池袋パルコ営業所 所長の高橋佑太氏によると、当初想定していた大学生などの若者だけでなく、子ども連れの母親や高齢者グループなど、今までリーチできていなかった層が店舗に訪れてくれているという。
高橋氏「リラックスして新しい旅と出会ってほしいという思いから、スタッフからカフェスペースにいる方に声をかけないようにしています。既存の店舗では声をかけていたので、最初はすごく話しかけたくなったのですが(笑)。自分がお客様の立場になったときに、旅の方向性を落とし込んでから話を聞きたいだろうなと。スタッフも納得してくれました。
その分、相談に来ていただいたときは、旅行経験が豊富で、海外の店舗でも数年経験を積んで現地のことを知り尽くしたスタッフが、それぞれのニーズに応じて、旅行プランを提案させていただきます。ここで交わされる人と人のコミュニケーションや新たな旅との出会いは、インターネットの検索やAI(人工知能)には難しい領域なのではないでしょうか。
特に、最近は「やりたいことは決まっているけれど、行き先が決まっていない」という方が多いです。そういった方に、店舗の存在は非常に有効的なのではないかと思っています」
三浦氏は、店舗で予約をするメリットとして、天災による旅行手配の変更や現地でのトラブルが起こったときなどに、ワンストップでサポートができることを挙げていた。しかし、それ以上に、筆者は「旅行体験の最大化」がより大きな価値になるのではないかと感じた。
インターネット予約により旅行の手続きは容易となったが、旅行全体を満足度の高いものにできるかどうかは、ユーザーにゆだねられる部分が大きい。もちろん、自分で全ての行程を決めることが旅行体験の満足度につながる場合もあるかもしれない。しかし、行き先や目的が決まっているときに、そのワードで検索してみても、キュレーションサービスの画一的な情報しかなく、なかなか行程を決められずに苦労をした経験のある人は多いだろう。
それに対して、現地に住んだことのあるスタッフの体験談やオススメのスポットを聞けることは、新しい発見を促したり満足度を高めるとともに、人と人とのつながりも生む。旅行という頻繁には訪れない体験のワクワクを共有したり、旅行後にスタッフへ思い出を伝えることなども、全体の満足度を高めることにつながっているのではないだろうか。
三浦氏「何度もハワイに旅行しているお客様の中には店員より詳しい方もいらっしゃいます。そのようなお客様にも新しい発見があるよう、ハワイの店舗で数年働いて現地を知り尽くしたスタッフが窓口に立つなど、インターネットでは見つからないような情報提供ができるようにすることも大切にしています。それがお客様の信頼にもつながっているのかなと」
事実、スタッフに固定の顧客がつく場合も多いという。たとえば、大学生のときに卒業旅行を手配したカップルが、その後の新婚旅行や3世代旅行まで同じスタッフにお願いをするケースもあるそうだ。高橋氏は「こうした関係性はオンラインで生まれない」と語る。
旅行プランを練る段階からブランドとの接点を
人と人のつながりは既存の店舗でも生まれていたかもしれないが、H.I.S. The ROOM of journeyが特徴的なのは、やはり「旅のはじまり」を作っている点にある。
カフェで友達と話をしながら、家でスマートフォンをいじりながら旅行プランが決まると、そのまますぐに予約ができてしまうインターネットの方が楽だろう。しかし、今回の店舗の場合は、旅行プランを練る段階からブランドとの接点が生まれている。
そのため、最初のきっかけはコーヒーを飲みながら世間話をするだけかもしれないが、旅に関連した本に触れ、たまにはスタッフに話を聞いてもらうと、いざ旅行をしようとなったときに、「エイチ・アイ・エスで予約しよう」という雰囲気が自然と醸成される。
もちろん、カフェスペースや旅関連の本はありつつ、旅行の予約や決済をするという明確な目的がなくなった分、気軽に店舗へ来てもらうための設計は必要になるだろう。今後は、表参道の店舗と同様に、コミュニティを活発化させるイベントを開催していくという。
表参道の店舗には、「一生で行ける国は、限られています。一生でみられる景色は、限られています。だから。せっかく旅に出るなら、あなたがまだ想像もしていない、世界で一番ワクワクする旅先を見つけてほしい。」というコンセプトが記載されている。
確かに旅行に行ける機会は、もう指で数えるほどしかないかもしれない。そう考えてみると、サクッと予約するのではなく、H.I.S. The ROOM of journeyでじっくり後悔しないプランを検討してみるのも良いかもしれない。そんなことを思わせてくれる店舗になっていた。
取材後、撮影しながら店舗内を見渡していると、大学生くらいの女性2人組が、旅行雑誌とスマートフォンを手に取り、笑いながら会話をしている様子が印象的だった。これまでは家やカフェが担っていた空間。そこからは“旅のはじまり”が生まれていたのかもしれない。