「過ぎるから、過ごすへ。待ち時間を、持ち時間に。」
こんなキャッチコピーを携えた施設が羽田空港にオープンした。時代と共に人々の価値観や行動は変化し、それに伴ってモノや空間の役割も変化せざるをえない。羽田空港にオープンしたのも、時代の変化に適応しようとする施設だ。
2018年12月、羽田空港第1ターミナル5階にオープンしたのは、「”待ち時間”を、利用者が行動を選べる”持ち時間”へ」と変える複合商業施設「THE HANEDA HOUSE」だ。同施設は、オーダーメイドのスーツ専門店「KASHIYAMA the Smart Tailor」、ボクシングフィットネスの「b-monster」など、14の店舗で構成されている。これらの店舗は従来の空港にあるお店とは異なる顔ぶれだ。
「THE HANEDA HOUSE」は空港を利用するお客さまに、どのような体験を提供しているのだろうか。日本空港ビルデング株式会社 取締役副社長の宮内豊久氏に話を伺った。
空港内でも、自分らしく過ごす
羽田空港は、およそ90分前に空港に到着し、搭乗手続きを済ませ、フライトの時間まで約1時間の「待ち時間」があるそうだ。文字通り、空港利用者はレストランでの食事や買い物をし、カフェやラウンジで搭乗を待っている。
羽田空港全体で見ると、テナントの店舗数は現在約450店。大手の商業施設と比べても5倍近くあり、その規模は大規模商業施設の域を超えている。空港利用者はその膨大な店舗の中から、自分の好みに合わせてお店に入り、空港での時間を過ごしてきた。
しかし、羽田空港を取り巻く環境は変化している。国内線だけでなく国際線の発着が増え、インバウンドの高まりもあり、外国人利用者を多く迎えるようになった。また、社会的にも人々の価値観は多様化している。
1日約24万人が利用する羽田空港には、様々なニーズを持つ人が集まるようになっている。従来のテナントのニーズは変わらずあるものの、空港としてお客さまの変化に対応していく必要があった、と宮内氏は語る。
宮内「世界中の空港で体験を重視する傾向が現れ始めています。World’s Best Airports 7年連続1位のシンガポール・チャンギ国際空港にはプールやバタフライガーデン、無料の映画館などがある。国内では新千歳空港が面白い。温泉と映画館を施設内に設けています。羽田空港として、社会の変化に対応し、従来の過ごし方だけではない選択肢を提供する。お客さまが羽田空港での過ごし方をより柔軟に選べるように『THE HANEDA HOUSE』を作りました」
同施設は、航空会社のオフィスが入っていたフロアを改築している。無機質だった空間をTHE HANEDA HOUSEらしくするために、天井を抜いて配管をむき出しにして、床を剥いで新しい木材の床を貼り、壁には個性的なアートを飾っている。
宮内「人は、衣食住が充実すると、自分の個性を出したい、自分らしくありたいという欲求が生まれてきます。THE HANEDA HOUSEでは、自分らしくあるためのコンテンツを詰め込みました。『コト消費』や『個性』、『カスタマイズ』をキーワードに、空間やテナントの構成を考えていったんです」
同施設には、たしかに『コト消費』『個性』『カスタマイズ』をキーワードに選ばれた店舗が並ぶ。画一的なスーツではなく、自分らしいデザインとジャストサイズなオーダーメイドのスーツがつくれる「KASHIYAMA the Smart Tailor」。ヒールの着せ替えにより3,000通りの組み合わせができるパンプス専門店「FAMZON」。多様なモデルやカラーから自分にマッチした折りたたみ自転車を選ぶことができる「DAHON / Tern」などが並ぶ。商品販売の店舗も単純なモノの購入ではない、自分用にアレンジされた商品が手に入る。
『ここにしかない』ものは作らない
宮内「現代の人は時間の使い方がものすごく上手になっていると思うんです。スマホで予約ができるお店や、街中に系列店がある店舗を並べることで、日常の延長として自分らしい時間を過ごしてくれるだろうと考えました。
『今日はフライトより少し早めに行ってスーツを作ろう』や『いつもジムは職場近くに通ってるけど、今日は空港の店舗を利用しよう』というように、空港のプラットフォームとしての特性を活かしています」
ボクシングフィットネス「b-monster」は、恵比寿、新宿、青山など都内で6店舗、ゴルフラウンジ「GDO Golfers LINKS HANEDA」で受けられる「GOLFTEC」のレッスンは、全国で12店舗を展開している。『ここにしかない』ものは、入れないようにしたという。
宮内「今の人は、仕事の仕方も上手ですね。場所を選ばずに働けるようになり、どこでも仕事がしたい、仕事ができる人たちが現れています。空港にも仕事環境を求められています。人によっては、何時間も前に空港へ訪れ、働いている。
ですので、フロアのいたるところに自由に座れる机と椅子を設置し、PCやノートを広げ、仕事ができるようにしました。パブリックな空間ではありますが、机の配置や空間の仕切りを工夫することで、落ち着いて作業ができる環境を提供できています。滑走路が広く見渡せるスターバックスも、朝からPCを広げるビジネスパーソンで賑わっています」
一度に完成はさせない。顧客の声と行動からアップデートを続ける
多様化する利用者のニーズを把握するために、羽田空港では毎月アンケートを実施しており、毎回300件以上が集まるという。「THE HANEDA HOUSE」では、利用者の意見を踏まえてアップデートを計画中だ。
宮内「今回のオープンはあくまで『第一期』なんです。まだフロア内に未公開のエリアがあり、現在第二期のオープンに向けて準備中です。フロアのオープンを分けたのは、実際に利用したお客さまから『こういう店舗があるといい』という要望を聞き、反映させていくためです。
すでに『床屋があると便利』『ネイルできる場所がほしい』『ボクシングだけでなく、ヨガもやりたい』など意見をいただいています。お客さまからいただくご要望を蓄積し、反映できるものを検討している最中です。空港利用者は、私たちが考える以上に、さまざまな使い方をしてくれます。反応も、予想通りのものもあれば意外なものもあり、とても面白いですね」
お客さまのご意見はアンケートだけでなく、SNSでの反応、テナントの購買傾向、空港での過ごし方についても注目し、それらをデータ化して店舗や設備に反映しているという。様々な面から利用者の声を集め、常にアップデートしていくアプローチは、時代の変化を即座に捉えて反映するうえで欠かせない要素となっているようだ。
時間を消費するだけでなく、安らぎと幸せを提案する
羽田空港は多様なニーズを持つ利用者が、1日に約24万人集まる。彼らを迎えるスタッフの数はおよそ5万人。飲食、物販などテナントのスタッフに加え、各航空会社のグランドスタッフ、清掃保守などの施設管理のスタッフや、保安検査員などさまざまだ。全員が一丸となり、あらゆる利用者の体験価値を上げるには、揺るぎない軸が必要になる。
羽田空港では、「絶対安全」の基本方針に加え、顧客満足度の根本的な考えを示すCS(顧客満足)理念として「訪れる人に安らぎを、去り行く人に幸せを」を掲げている。これは、ドイツのローテンブルグにある、シュピタール門に刻まれた言葉だ。
「全体協議会、店舗集会、店舗ごとのミーティングが定期的に開かれ、CS理念の定着化、標準化を羽田空港全体で行っています」と宮内氏は話す。
宮内「空港を利用するあらゆるお客さまが安心して利用できるように、また空港を出発する人が幸せに目的地にたどり着くように、空港内のスタッフ全員がCS理念を念頭におき、お客さまと向き合っています。今後も空港の中は変わっていきますが、根底には必ずこの理念があります」
宮内「お客さまのニーズに応え、羽田空港での時間をアクティブに過ごしたい人にはアクティブに過ごしてもらう。しかし、精神的な落ち着き、ゆとりや遊びを持つことも大事になると思うんです」
THE HANEDA HOUSE内で目立つのはペンギンのモチーフだ。鳥なのに飛ばないペンギンを、空港なのにゆったり過ごせるTHE HANEDA HOUSEになぞらえたもの。一緒に施設内を歩いているように、いたるところにペンギンがこっそり隠れている。その他にも、レンズを通すと仕掛けがわかるフォトスポットや隠し絵など、内装にアートや遊び心があちこちに取り入れられている。「ここにはどんな仕掛けがあるだろう」と気を配りながら歩くと、その世界観にワクワクしてくるだろう。
「自分のお気に入りの場所を見つけて、自由に時間を過ごしてもらうのが私の理想です」と宮内氏は言う。
THE HANEDA HOUSEはまさに、利用者の変化を柔軟にとらえ、居心地の良さを追求した空間と言えるだろう。コンセプトである「通過する場所から滞在する場所へ」の背景には、利用者に合わせて常に変化し続ける、羽田空港のしなやかさが潜んでいた。
取材・編集/葛原信太郎 文/もりやみほ 撮影/須古恵