「LUSHには接客マニュアルがありません」――世界的な化粧品・浴室用品メーカーの日本法人であるラッシュジャパン取締役(ブランドリテール担当役員)の小林弥生氏は、XDの取材に対してこう明かす。
1980年代にイギリスでマーク・コンスタンティンとモー・コンスタンティン夫妻が自宅のキッチンから始めた、LUSHの前身となる自然派化粧品ブランド。それが2019年5月現在、48の国と地域に約930の店舗を持つ世界的な化粧品ブランドの1つに成長した。日本では80店舗以上が展開されている。
LUSHと言えば、その特色は店舗での実演接客だ。たっぷりと泡が入ったボウルで手を洗ってもらう「泡ボウル」やバスタブに見立てたシンクで入浴剤を溶かして見せる「バスアート」などを見かけたことがある人も多いだろう。 しかし、LUSHには接客マニュアルが存在しない。スタッフ全員が自分で考え、自分の言葉で接客をしているのだ。
店舗スタッフだけでも1000名は優に超えるにも関わらず、マニュアル無しで一体どのようにして顧客と長期的な信頼関係を築いているのだろうか。小林氏の話を聞く中で浮かび上がってきたのは、企業一丸となって顧客ファーストを貫く、LUSHのブレのない姿勢だった。
マニュアルで作られた言葉に思いは乗らない
小林氏「接客といっても、スタッフが販売したい商品をオススメする一方的なコミュニケーションはとりません。スタッフと顧客の関係を超えた、人と人の信頼関係を構築することをLUSHにおける接客と定義し、その関係性を作る力を『人間力』と呼んでいます」
「接客力」ではなく、「人間力」。では、スタッフの「人間力」はどのように培われていくのだろうか。小林氏はまず、効能から製造背景まで含めた、商品への深い理解を挙げた。
小林氏「LUSHには600種類以上の商品が存在しますが、その一つひとつについて自分がプロフェッショナルだと思えるくらい、商品のことを知ってもらいます。商品がどのような想いで開発され、どのような工程で製造されているのか。配合されている原材料はどこで収穫されているのか。心身にどんな働きがあるのか。商品1つにつき、学ぶべきことはたくさんあります」
座学だけではない。毎年、最新のLUSHブランドを深く理解できる世界中のラッシュスタッフとファンのためのイベント「ラッシュ・ショーケース」が、本社のあるイギリスで開催されている。世界930店舗のショップマネージャーが一堂に会する貴重なラーニングの機会だ。
新商品の発表や、「シェフ」と呼ばれる商品の作り手と一緒に行うハンドメイドの製造体験など、商品の背景にも触れる機会が多く用意されている。この場での学びを各店舗へ持ち帰り、共有することで、店舗スタッフが商品やブランドにまつわるストーリーをより自分ごと化し、店舗全体のLUSHへの理解を底上げすることになるという。
スタッフとしてではなく、人としてどうすべきかを考えさせる
興味深いのは、「『人間力』を構成するのは、商品の理解だけではない」という小林氏の言葉だ。加えて「社会問題への興味関心」も欠くことのできない要素だという。具体的にはどのようなことだろう。
小林氏「私たちの新鮮で質の高い原材料は、私たちが暮らす地球からの豊かな恵みです。環境の変化によりこの大切な恵みを安定して収穫できないということは、私たちのビジネスにも大きな影響を及ぼします。環境問題はもちろん、そこで共存する人や動物がハッピーに暮らせる社会を作っていくことは、そこでビジネスをさせてもらっている私たち企業の責任でもあり、社員一人ひとりが理解することが非常に重要なのです」
2015年から始まったというこの取り組み。なぜ、ここまで幅広い社会問題についての教育が必要なのだろうか。
小林氏「商品の開発背景について学ぶと、商品の機能的なメリット以外にも、例えばプラスチック削減や動物実験反対への取り組みなど、私たちラッシュが気にかけ、ビジネスを通じて変化を起こそうとする様々な取り組みについて商品を通じてお客様に伝えることができ、商品以外のバリューも含めて納得してファンになっていただけます。人権について学ぶと、真の意味での多様性を理解でき、人への接し方が変わります。全ては接客の基盤になる人間力の向上のため。だから私たちは社会問題についてもしっかりと学ぶのです」
ここで小林氏はもう一度、「マニュアル」という概念がLUSHでは意味を持たないことを強調する。
小林氏「いくら『この商品はこう売りなさい』と伝えても、スタッフは会社が思う通りには動けないものですし、想定外の状況に弱くなってしまうこともあります。マニュアルを作るよりも、話題の引き出しを増やしたり、お客様の本質的なニーズを聴き取るスキルを上げるという意味で、スタッフの人間力を徹底的に底上げし、それぞれの価値観に基づいて『お客様に自発的に良いものを紹介しよう』と思えるようになることが、お客様のニーズに合った商品の提案につながるのです」
スタッフとある種「友人」のような信頼関係を築くこともあり、顧客の中には、商品とは関係のないプライベートの悩みをスタッフに相談することもあるという。
接客技術ではなく、その基盤になる個々のスタッフの「人間力」を磨く。一見遠回りにも思われる施策だが、その積み重ねがLUSHと顧客の信頼関係を強固なものにしているようだ。
「透明性をもった姿勢を貫くこと」が熱狂的な顧客を生み出す
その上で小林氏は「会社としてお客様とどう向き合うかも、同じように大事です」と続ける。具体的なその方法は「透明性をもった姿勢を貫く」ことだという。
小林氏「私たちは余分なパッケージや手の込んだ広告にお金をかけることはありません。その代わり、お客様が私たちの商品を他のお客様へ伝えるアンバサダーのような存在になっていると感じます。SNSなどで発信されたファンの方の意見が、次のお客様にLUSHへの興味を持ってもらうきっかけになる。その連鎖にLUSHは支えられています。
ですので、お客様に対しては偽りなく、真摯に向き合うことを心がけています。隠し事がなければ、ファンの方が発信する情報をむやみにコントロールする必要もないからです」
LUSHのファンは世界各国に存在する。新商品の発売が国によって異なった場合には、発売された国のファンがSNSなどで情報をアップし、ティザー広告としての役割を果たすこともあるという。ネット上にはLUSHファンのコミュニティが自然と形成され、新商品の発売前にフィードバックの応募をすると、広告などを打たなくても枠がすぐに埋まるのだそうだ。
小林氏「お客様がファンになってくれる入り口は商品です。商品にはさまざまなストーリーがあり、それをスタッフやアプリを通じて知り、使っていく中でさらにお客様一人ひとりの中に商品に対する思いが積み重なっていく。こうしてお客様にとっての独自の商品価値が形成されるのだと思います」
ファンとなった顧客の反応は、まるでLUSH社員のような印象だとも小林氏は話す。熱狂的な顧客から協力を得ながら、さらに魅力的な顧客体験を生み出す連鎖が続いている。
新装開店した「LUSH 原宿店」は、潜在ニーズを見つけるための「実験室」
スタッフの「人間力」に根ざした接客や、顧客への誠実な発信だけでなく、LUSHは革新的な取り組みにも挑戦している。例えば、過去に不定期で開催した工場見学ツアーでは、LUSHの全商品が作られている神奈川県にある工場で、LUSHの原材料を使った食事や商品の開発などを体験できた。開催日によっては倍率が100倍になったこともあった。
2018年11月にオープンしたバスボム専門のコンセプトショップ「LUSH原宿店」は、「Lush Labs」という顧客を商品開発に巻き込んだ実験的プロジェクトの第一歩目。この店舗では、LUSHの代名詞的な「店舗実演」を一切しない。
「実験室」というコンセプトが示すように、従来のやり方を離れて、新しい顧客体験を模索している。
小林氏「私の持論ですが、お客様の消費行動の変化はどんどんと加速しているように感じます。スキンケア・ヘアケアマーケットをリサーチして細かく分析している間にも、お客様一人ひとりの好みはすでに変わっていく。データは過去のものにすぎません。そんなスピード感です。
そこで、『LUSH 原宿店』の内装をガラリと変え、シンクを使った店舗実演をなくしてアプリを導入しました。180度変わった店舗の雰囲気に対するお客様の反応から、新しいニーズを汲み取れるのではないかと考えたのです」
「Lush Labs アプリ」は、全ての商品がパッケージなしのむき出しで陳列される「LUSH 原宿店」の要だ。店内の商品をアプリ内の「LUSH LENS」にかざすと、商品の情報、実際に商品が湯船で溶けた様子などを見ることができる。店舗実演をアプリに置き換えた、いわばデジタルパッケージだ。
小林氏「原材料の情報、お客様への効果など、全ての商品の詳細を店頭で表示するのは難しい。そこでアプリを導入し、気になる商品の情報をお客様自身が確認できるようにしました。
もちろんスタッフも詳しく知っているので、アプリを使用しているお客様の様子を見て要望を聞き、商品選びのサポートをします。アプリの導入は、スタッフがお客様により良いものを紹介するためのツールという位置づけです」
アプリをインストールしたり、商品にかざして情報収集したりと、顧客に行動を求めることについて懸念もあったそうだ。しかし実際は、ゲーム感覚でアプリを楽しんでいる様子が多く見られ、使用率は現在約80%にも上る。SNSのシェア効果などの話題により来店客数はリニューアル前の約2.5倍に増加したという。
小林氏「これまでバスボムを紹介する際は、実際に水に溶かしてお見せしていたのですが、リニューアルオープンしてから『実は水がもったいないと思ってたのよね』という声をいただくようになりました。こうしたご意見は従来の店舗ではなかなか得られませんでした。新しくなった原宿店は、これからのLUSHのあり方を考える上で欠かせない存在になると思っています」
「押しつけ」ではない姿勢が商品への愛着を作り、ブランドへのロイヤリティを醸成する
「商品に対する顧客の理解が深まるほど、商品を信じて使い続けてくれる」(小林氏)。ただし、最初から商品の理解を求めるのではない。「まずはLUSHに来て、『今日が少し良くなった』と思ってもらえる体験を提供したい」からだ。
小林氏「化粧品における動物実験の廃止や環境のための配慮は、私たちの事業が持続していくために必要なことです。そのような社会問題に対し、私たちは果たすべき責任があります。しかしその責任は、お客様に押しつけるものではないと思っているんです。
社会問題に取り組んだ結果として作られた商品の中から、お客様は自分にとって良いものを選んで使っていただければいい。商品や店舗で楽しい気持ちを経験した後で、商品を通して自然と社会問題と関わっていたことを知っていただき、より一層、商品のことを好きになってもらえたら嬉しいですね」
2019年6月1日には新宿にアジア地域最大規模の旗艦店をオープンさせる。デジタルツールを駆使することで、顧客がこれまでに見たことのない、ラッシュブランドの進化を垣間見れる“世界に一つの空間”になるという。「新宿店を始めとするリテールで五つ星のショッピング体験を実現すべく、その方法を日々模索しています。原宿店では、今後も実験的に様々な取り組みを行い、成功実績を作りながら進化し続ける場にしていきます」と小林氏は力強く話す。
変化の激しい消費者ニーズに対して、今後はどのように顧客体験を生み出していくのだろうか。小林氏はLUSHだけではなく、リテールビジネス全体を見て展望を考えるという。
小林氏「10年後にリテールビジネスがどうなっているか、新宿、渋谷の風景はどうなっているか、というのを常にイメージしています。また、その時のお客様はどのように買い物をしているのか、原材料は何が残っていて、どんな商品がお客様に使われているのかなどを検討しながら、これからのLUSHを組み立てていこうと思っています」
顧客が商品を好きになることが、LUSHを好きになることにつながり、ひいては一緒にLUSHを作り上げる仲間のようになっていく。全てが最終的な顧客との接点に通じることを意識しているからこそ、ブランドと顧客の間に長期的なつながりができるのだろう。
「ブランドは、人がつくる」ーーラッシュの共同創立者マーク・コンスタンティンが掲げるこの言葉の意味を、深く理解する機会となった。
文・取材/もりやみほ 編集/イノウマサヒロ 撮影/加藤甫
img:ラッシュジャパン提供