みなさんにとって、ホテルはどのような存在だろうか。
「ホテルはこれまで、『寝るための場所』または『特別な日に背伸びして出かける高級な場所』の両極端でしか認識されていなかった」——こう考え、「時間を気にせず、仲間とルーズに過ごすホテル」をテーマに、2019年2月「星野リゾート BEB5 軽井沢」は開業した。運営するのは、高級リゾートホテルなどで知られる星野リゾートだ。
接客スタッフは私服、ワインは量り売り、自由に使えるラウンジは24時間営業、3人で泊まれば1人5,000円強。これまでの星野リゾートのイメージとは大きく異なるホテルの在り方をBEBは提供している。
星野リゾートはこれまで「星のや」や「界」に代表される、洗練された宿泊体験を提供してきた。35歳以下をターゲットにした「ルーズ」なホテルBEB軽井沢は、同社にとって新しい挑戦となる。
このBEB、一体どのようなホテルなのか。そもそもなぜ今、若者向けのホテルを開業したのか、総支配人の大塚駿亮氏に話を聞いた。
仲間とルーズに過ごせる自由な「TAMARIBA」
長野県北佐久郡軽井沢町。新幹線が停まる軽井沢駅から車で20分ほどの、“軽井沢星野エリア”にBEBは存在する。
徒歩圏内に『星のや軽井沢』や温浴施設『星野温泉 トンボの湯』、商業施設『ハルニレテラス』などが並ぶ、星野リゾートの総本山だ。
BEBは35歳以下ならシーズンを問わず、1室16,000円。最大3人が泊まれるので、1人あたり5,300円ほど。若者に優しい価格設定だ。
大塚氏「 BEBが目指しているのは『居酒屋以上旅未満』の体験です。居酒屋は気兼ねなく仲間と過ごせる場ではある一方、帰り時間を気にしなくてはいけませんし、当然、注文も必要です。一方、キャンプや長期の旅に出れば、仲間と過ごす時間は増えますが、金銭的なハードルが上がります。我々は、その間のちょうどよい居心地を目指しているんです」
コの字型をした二階建ての建物には、全73室の客室が用意されている。これらの客室は、BEBの要である1Fのパブリックスペース「TAMARIBA」を囲むように並ぶ。「TAMARIBA」は宿泊者が24時間利用できるスペースで、フロント、フード&ドリンクを提供するカウンター、屋内のラウンジ、屋外のウッドデッキスペースが、シームレスにつながっている。
大塚氏「『居酒屋以上、旅未満』を実現するため、宿泊価格は抑えつつ、仲間とルーズに過ごす場としてTAMARIBAを用意しました。食事も飲み物も提供は24時間営業ですが、注文しなくても利用できます。外で買ったものを持ち込んでもOK。それぞれが思うように使っていただいて構いません」
TAMARIBAには、若者が仲間とルーズに過ごせるような工夫が随所にちりばめられている。ソファや机・椅子だけでなく、靴を脱いで足を伸ばせるソファがあり、カードゲームやボードゲームも用意されている。夏は卓球台、冬は本物の氷をつかった卓上アイスホッケーで遊べるという。
屋外のスペースでも暖かく過ごせるように、寝袋やラグも用意されている。大都市では目にすることができない星空を見上げたり、外でホットワインを飲みながら話したりと、野外で楽しむ体験もできる。
BGMは館内にあるレコードから宿泊客が自由に選べる。過去にはレコードを持参してきた宿泊客もいたそうだ。
大塚氏「お客様は、私たちが想像した以上に、自由に使ってくださっています。仲間と夜遅くまで語り合う場としてはもちろん、結婚式の際、ご家族の宿泊場所として利用いただくことも多く、家族のパーティーのように使っていただくこともあります」
部屋も接客も、星野リゾートらしさとルーズさのバランス
もちろん、ルーズさを誘う工夫はTAMARIBAだけではない。3人が泊まれる部屋『YAGURA Room』は、秘密基地のような仕上がりだ。上段はベッドスペース、下段はソファーになっていて、ワクワク感を提供している。
大塚氏「お客さまの感想を聞くと、みなさんが今まで体験した心地よいパブリックスペースを思い出すようです。客船のラウンジのようだと言う方もいれば、シェアハウスに来ているようだと感じる方もいました。公民館や地区センターを思い出したとも言われます。なるべくルールをつくらず、私たちから行動を制することはしないようにしています」
工夫は、施設のしつらえだけではない。従業員の接客も、宿泊客との絶妙な距離感を生み出している。
大塚氏「通常のホテルでは、制服を着こなしたホテルマンがフロントに立ち、気配りを尽くした接客を提供しようとします。ですが、それに気後れする方もいらっしゃる。私たちは、もっと身近に感じていただけるように、スタッフは私服で接客し、髪型も崩しています。言葉使いにも気をつけており、『ごゆっくりおくつろぎくださいませ』ではなく『楽しんでください』くらいの距離感を大切にしています」
星野リゾートといえば星のやを代表とする、至れり尽くせりな体験を想像してしまう。しかし、BEBはあえてそのイメージを適度に崩し、“仲間とルーズに過ごす場”にふさわしいコミュニケーションを意識している。
旅をしない若者に提案する、旅の目的
これまで高めの価格帯でリッチな体験を提供してきた星野リゾートが、なぜ今、BEBのように、手頃な値段でルーズな体験を提供するのだろうか。それは『若者が旅行をしない』現状に対する同社としての回答だ。
大塚氏「35歳以下の世代が年々旅をしなくなっていること、若者がホテルに求めるのは『ほどほどの設備で価格が安価』であることが調査によりわかっています。星野リゾートとして、これまでそのようなニーズを持つ若者にアプローチしてきませんでした。しかし、このままでは旅行業界全体が先細りになってしまう。今、このタイミングでチャレンジする必要性がありました」
これまでの顧客層とは異なる人々と向き合うため、星野リゾートでは入念にターゲット層と向き合ってきた。グループインタビューを度々おこなうなど、若者のニーズを把握するためにしっかりと時間も割いた。この中で「仲間と過ごす時間」「ルーズ」「居酒屋以上、旅未満」といったキーワードを見出していったそうだ。
大塚氏「私も32歳で、ちょうどBEBのターゲット層です。過去の自分の旅行を振り返ってみても、自分の世代にとって居心地の良いホテルはあまりなかったように思います。友人と旅行に行ったのに、ビジネスホテルに泊まってホテルに戻った後は個人行動だったり。キャンプに行く、フェスに遊びに行くというような、気の置けない仲間と過ごす選択肢はいろいろありますが、ホテル業界はここに積極的にアプローチしてきませんでした。BEBは、素直に自分自身が楽しいと思えるホテルなんです」
グループインタビューでは、若者は「どの宿へ行くか」というより「何をするか(行動目的型)、誰と行くか(同行者優先型)」を大切にしていることもわかった。
大塚氏「これは私の実感ですが、SNSを通じてオンラインで繋がっている分、リアルに仲間と会う時間が昔に比べて貴重になっているかもしれません。SNSで気軽にメッセージをしたり、近況を知るだけでは、悩みを打ち明けたり、自分をさらけ出すようなコミュニケーションを取りづらい。せっかく時間がつくれるなら『何をするか、誰と行くか』の優先度が上がるのも頷けます。BEBは、仲間と来る場所で、何をするか自由に決められる。そんな体験を提供したいですね」
35歳以下にターゲットを絞り、星野リゾートグループとしての新しい挑戦を続ける中で、見えてきた特徴もある。彼らは、事前にどんな体験ができるのかよく調べてくるという。
大塚氏「開業当初こそ『リッチな体験を提供する星野リゾートに安く泊まれる』と期待値がずれることもありましたが、最近はInstagramの投稿や、宿泊レポートが増え、BEBへの理解を深めてからいらっしゃる方がほとんどです。近隣の温泉や飲食店など星野リゾートの施設も、みなさんチェック済み。こちらから積極的にご紹介しなくても、よくご利用いただいています。逆に、情報がほしいお客様は素直に聞いてくれます。総じて、『必要なものはほしいけど、あまりベッタリとされると居心地が悪い』という特徴があるように思います。若い世代は、『至れり尽くせり』を求めていらっしゃらないかもしれませんね」
星野リゾートにおけるBEBの役割
今回の取材にあたって、筆者は実際にBEBに宿泊してきた。TAMARIBAはたしかにとても使いやすい。仲間との旅で夜まで話し込む場所としてはもちろん、例えば10人ほどの仕事仲間で合宿するのにもいいだろう。Free Wi-Fiと電源コンセント付きの大きな机もある。昼間はプロジェクトを進めて、夜はパソコンを閉じてコミュニケーションの時間にする、といった使い方も想定できる。
星野リゾートグループの中でも、手頃な値段でルーズな体験を提供するBEB。だからといって、手抜き感は一切ない。私服のスタッフの接客は丁寧だし、ホテルとしてのデザインは高く、とても気持ち良い宿泊を体験できる。
大塚氏「BEBに限らず、星野リゾートとして大切にしているのは、単に宿泊するだけではなく、滞在の中でどのように楽しんでいただけるか。つまり、宿泊プラスαの体験を提供すること。『星のや』『界』『リゾナーレ』とブランドごとに提案の内容は変わってきますが、それぞれのお客様が楽しく気持ちよく過ごせるような体験を届ける情熱は、スタッフ全員が持っています」
星野リゾートでは、それぞれのブランドが提供すべき価値を、スタッフ一人ひとりが考え、自律的に実践しているという。やるべきことをこなす「労働力」ではなく、サービスの「クリエイター」であることへの自覚が、星野リゾートとしてのサービスの根底を支えているのだろう。
BEBのスタッフの多くは、同社の他ブランドでの接客も経験している。各ブランドで提供すべき価値は変わってくるが、それを高める努力と情熱は、スタッフ一人ひとりに宿っている。
星野リゾート発祥の土地である軽井沢にオープンしたBEBには、同社の「攻める姿勢」を内外に示す狙いもあるかもしれない。「新しい挑戦、新しい施設ということで、試行錯誤している部分は大きい」と大塚氏も語る。特に、「積極的な提案」と「宿泊客の意志に任せる自由」のバランスは、常に調整しているという。
大塚氏「あまりにも『お好きにどうぞ』では、お客さまも困ってしまいます。程よく提案しながら、ルーズさも担保する。例えば、バーでワインを提供していますが、蛇口をひねって自ら買う量を決めてもらう、量り売りの形式にしています。飲む場所はTAMARIBAでも、お部屋でもいい。体験のきっかけはこちらから提案しつつ、そのあとはお客さまが自由に決められる。こういったコミュニケーションの中に、BEBらしさを見つけていきたいですね」
目的を決めず、自由に使い方を発明できる「箱」のようなスペースを提供する。顧客は自由に箱の使い方を選ぶ。インターネットという大きな箱の使い方を、小さい頃から発明してきた若い世代は、自由でルーズな体験に慣れ親しんでいるはずだ。
パッケージ旅行のようにタイムテーブルが決められた『旅行』は居心地が悪いが、見知らぬ土地を気ままに漂う『旅』まで振り切られても困ってしまう。このグラデーションの中にピンを立てたBEBは、若者にとってちょうどいい体験を提供できるのではないだろうか。
その位置を調整しながらも、若者にとっての「ちょうどいい体験」の精度を上げていくのだろう。
取材・文/葛原信太郎 編集/小山和之 撮影/須古恵