米国では8割が「あらゆるデバイスでのオンラインショッピングを活用している」。一方、64%以上が「リアル店舗での買い物の方を好む」。いずれも2016年に実施された同じPew Research Centerの調査結果だ。
これは決して矛盾ではない。多くの人がオンラインの便利さを享受しながらも、実店舗での買い物を楽しみたいと考えている証左だ。2018年、『Everlane』や『Casper』といったD2Cブランドがポップアップではない実店舗の展開に踏み切った。Everlaneはその理由を「人々はブランドを直接見て、体験したいと考えているためだ」と明かしている。
さらにAmazonも、書店チェーン『Amazon Books』や、評価の高い商品を取りそろえる実店舗『Amazon 4-star』を米国中心に出店、リアル店舗戦略に注力してきた。2019年、Amazonはこれら2つのチェーンを「顧客に対し、より包括的な体験と幅広い選択肢を提供するための場所」と表現した。
こうした流れを2013年に予想していた人物がいる。世界的に活躍する小売コンサルタントで、『小売再生 ―リアル店舗はメディアになる』の著者Doug Stephens(ダグ・スティーブンス)氏だ。
店舗の役割は商品を売るだけでなく、ブランドへの愛情や信頼を強力に刺激する体験をもたらすことです。
彼が5年前に書いたブログ「The Store Is Media And Media Is The Store(店舗はメディアへ、メディアは店舗へ)」の一節は、着実に現実になりつつあるようだ。では、当の本人はこの現状をどのように感じているのだろうか? 来日した同氏に、ここ数年の小売業界の変化、そして店舗における体験について話を聞いた。
蔦屋書店は“メディアとしての店舗”を体現している
スティーブンス氏が著書『小売再生』のなかで一貫して主張しているのは、「店舗はメディアになる」という点だ。オンラインでいつでもどこでも物が買えて、データ分析を駆使すれば「顧客が1カ月後にこの商品をリピート購入するか否か」も予測できる時代。商品を手に入れるためだけなら、必ずしも実店舗に行く必要はない。
しかし、スティーブンス氏はそれでも、「顧客は実店舗に足を運ぶ」と予測する。それは、「紀元前400年のローマ時代からショッピングを楽しんできた人間は『五感に訴えかけ、わたしたちを圧倒し、このうえなく楽しく心を揺さぶるような体験』を求めている」からだ。
重要なのは、商品を売ることよりもブランドのストーリーを楽しんでもらうこと。そうすれば、その場で商品を買ってくれなかったとしても、再来店やオンラインでの商品購入につながる可能性もある。そのブランドに好感をもち、SNSでポジティブな投稿をしてくれるかもしれない。
だからこそ、実店舗はただ商品を売るのではなく、ブランドのストーリーを語り、顧客を魅了する場へと変容を求められている。商品の販売が目的なのではなく、その商品やサービス、あるいはその背景にあるストーリーを知る入り口として機能する。それが彼の定義する「メディアとしての店舗」だ。
実際に「メディアとしての店舗」を体現している事例として、同氏はインタビュー前に訪れたという『二子玉川 蔦屋家電』を例に出した。
スティーブンス氏「蔦屋家電には『蔦屋家電+(プラス)』というスペースがあり、そこでは購入できない試作品も展示されています。顧客が試作品を自由に見たり触ったりできるようになっていて、その情報が試作品の提供者であるブランドにフィードバックされるようになっています。その情報にブランドが対価を払うのです。つまり、商品を売ることが最優先ではない。店舗を使って、商品やそのブランドのキャンペーンをすることでビジネスが成り立つのです。
蔦屋家電に訪れる人のその一部が蔦屋家電+で置かれた商品に触れたり、スタッフと会話をしたりして、時間をかけてそのブランドの掲げるストーリーを理解して帰っていく。それによってメディアや広告を用いて不特定多数に情報を届けるのとは、まったく異なるアプローチ・濃度で顧客と接点を持つことができるわけです」
米国では「メディアとしての店舗」が大きな成功を収める事例も生まれている。2011年、ニューヨーク・マンハッタンにて開店した『STORY』がその筆頭だ
STORYは190平米ほどの店舗で、企業が伝えたいストーリーに合わせ、4〜8週間ごとに商品や展示を総入れ替えする。ジレットやGE、Intel、アメリカン・エキスプレスなど、名だたる企業とコラボレーションしてきた実績を持つ。
例えば、2014年に実施したIntelとのコラボレーション。「Style.Tech」をテーマにしたポップアップ店舗では、最新のウェアラブルデバイスだけでなく、自動でセルフィーを撮影するミラーや、訪れた人がアプリから飲み物を注文できるコーヒーメーカーを展示。Intelのようなテック企業によって「ファッションとテクノロジーが融合した日常が訪れる」という世界観を共有しようと試みた。
STORYでは、こうした店舗で「顧客がどう行動したのか」「どの展示にリアクションしたのか」を測定する技術を導入している。ブランドにとっては、自らのストーリーを魅力的に伝えると同時に、その反応も得られる場所だ。
スティーブンス氏は著書のなかでもSTORYを高く評価し、その将来性を証明するため、ある試算をおこなった。
スティーブンス氏「著書の中で、NYの大手百貨店『Macy’s』が店舗の4分の1の面積をSTORYのモデルで運用したらどうなるかを試算しました。すると、従来の12倍、3,500万ドルも売上が向上するという結果になりました。
書籍を出版した直後、同店の上層部に「詳しく話を聞きたい」と呼ばれました。Macy’sがSTORYを買収すると発表したのは、それから4、5カ月後のことです。彼らは『実店舗がブランド体験全体の入り口になる』と理解しているし、危機感も持っていたのです」
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「舞台演出」のように店舗体験を組み立てる
スティーブンス氏いわく、STORYのようなプレイヤーがいる米国でも、メディアとしての店舗の重要性を理解している小売業者はまだまだ少ないそうだ。「カフェを設置し、VRを導入すれば良い」と思っている小売業者もいる。
スティーブンス氏「彼らは既存の店舗の延長線上に、メディアとしての店舗があると考えています。しかし、本来の店舗のあり方を根本的に変える必要があるのです。
店舗での体験は舞台演出のようなもの。店舗がメディアだとしたら、『どのようなストーリーで顧客を楽しませたいか』という脚本をしっかり練らなければいけません。そして、次は『その脚本を演じるステージをどう構築するか』を考える。すると、店舗にあるべきは商品ではなく小道具に、それを使って舞台の上に立つスタッフはキャストに、顧客は観客として捉え直せるのです」
顧客が店舗を訪れてからの体験を、脚本のようにカスタマージャーニーマップに落とし込んでいく。そうすれば、どのようなブランドストーリーを設定し、どこに店を出し、どのような商品を取りそろえ、誰をスタッフとして雇い、どのようなトレーニングをするべきか、すべての意思決定が変わってくるという。
「こうした抜本的な改革を遂行できる店舗でなければ、現代の消費者を惹きつけることはできない」とスティーブンス氏は言う。だからこそ、急務となるのは意思決定に関わる経営層の意識改革だ。
スティーブンス氏「従来は、そこそこ良い感じの店舗が、そこそこ良い場所にあって、そこそこ商品の数や種類があって、人がいれば大丈夫でした。けれど、もう“そこそこ”では足りない。すべてをリエンジニアリング(再構築)する必要がある。
未だに、Apple Storeがオシャレだから支持されたと思っている人も多いかもしれません。けれど、スティーブ・ジョブズは『ただ見た目が綺麗なだけの店舗ではダメだ』と誰よりも理解し、スタッフの人選からレジの仕組み、提供するサービスに至るまで、すべてをAppleの思想に沿ってゼロから作り上げました。Apple Storeの一号店がオープンして数十年経っても、彼ら以上に『メディアとしての店舗』を理解していた事例を挙げるのが難しいくらいです」
体験を再構築するには「Webサイト」のように測る
スティーブンス氏の言う抜本的な“リエンジニアリング”を経営層も巻き込んで実践するにはどうすればいいのか。そのためには売上だけではない、体験そのものが事業に与える価値を数値で示す必要がある。スティーブンス氏は「Webサイトのような測定方法を実践すべきだ」と指摘する。
スティーブンス氏「まずは誰がお店に来ているかを知る必要があります。その人は初めて来店するのか、以前も訪れたことがあるのか。店舗にどのくらい滞在して、どのようなやりとりを交わし、次にどこに向かったのか。来店後、SNSでどのような発信をしたのか。実店舗をメディアとして捉えるなら、Webサイトのように計測すべきだと考えています。
もちろん、私自身を含め、オフラインの場で顔認証を用いてトラッキングされることに不気味さを感じる人は少なくないと思います。怖さを感じさせない範囲で測定する配慮も今後は欠かせないでしょう」
顧客体験は「便利」か「最高」の二極化へ向かう
顔認証やトラッキング技術、モバイル決済など、顧客に「便利さ」を供給するテクノロジーの発達は目覚ましい。そして、それは小売業界にとって脅威にもなり得る。例えば、米国の大手食料品チェーンが列に並ぶ時間を4分から36秒に縮めた2週間後に、Amazonは列に並ばずに会計が済む店舗「Amazon Go」を発表した。
Amazonのように、圧倒的技術力と資本を持つテック企業は、顧客が商品やブランドに興味を持ち、購入するまでの一連の流れを緻密に分析し、便利かつパーソナライズされた顧客体験を構築できてしまう。そのなかで小売業者の勝ち筋はどこにあるのだろう。
スティーブンス氏「テクノロジー企業は今後も絶えず利便性をアップデートしていくでしょう。だからこそ、小売業者は『最高の顧客体験を得たい』という欲求に応え、成長していく必要がある。便利か、最高か。消費者が求めているのは、そのどちらかしかないからです。
『特別な情報を知りたい』『最高の商品がほしい』『購入するだけでなくブランドのストーリーを味わいたい』『そして絶えず気にかけてほしい』——そうした顧客の声に応え、『最高』の顧客体験を提供できているブランドは決して多くはないはずです。そこに、小売再生のチャンスがある。
便利でも最高でもない顧客体験しか提供できていないプレイヤーにとっては、辛い時代が続くでしょう。第二次世界大戦後から1990年代、Amazonが登場するまで、小売は成功するためにがんばる必要がありませんでした。“そこそこ”の顧客体験でも消費者が満たされていたからです。けれど、それでは駄目だと少しずつ気づき始めている。今は大変な時代ですが、小売にとって、輝かしい時代の幕開けになる可能性も秘めていると思います」
取材の最後、現代を「商品やサービスを売買するという行為におけるの歴史的転換点」と表現するスティーブンス氏は、新たな顧客体験を生み出そうとするプレイヤーにこう呼びかける。
“今ある常識は、将来、必ず誰かの手で徹底的につくり直されるということだ。そして今、あなたが決めなければならないことは、その「誰か」に自ら名乗りをあげるかどうかなのだ”
取材・文/向晴香 編集/小山和之 撮影/須古恵