あらゆる空間は体験のためにある。
建築家の谷尻誠さんは、吉田愛さんとともに設計事務所「SUPPOSE DESIGN OFFICE」を率い、住宅、ホテル、オフィス、カフェ、ショップ、そして公園に至るまで、多岐にわたる空間を設計してきた。
ユニークなアイデアを形にしながら、ユーザーが自然体でいられる気負いのない空間は多方面から高く評価されている。一方で事務所内に併設する食堂〈社食堂〉をはじめ、〈絶景不動産〉〈21世紀工務店〉などのビジネスも展開する。
そうした場におけるさまざまな体験、そしてユーザーとの接点をどのように考えているのか。その考えに迫った。
出会わないものが出会う瞬間、
新しいことは無限にある。
――これまでに150軒程の住宅を設計されていますが、依頼人の個性に合わせ、いつもスタイルの異なる住宅を実現しています。依頼主それぞれに、どのように応えていくのでしょう。
谷尻氏「僕は常々、建築家は“単独犯”になりやすい職業だと思っています。先生、お願いします! みたいな感じで頼まれると、案がすべて通ってしまう危険性がある。完成してから、『思っていたのと違う』という言葉が出てくることもあります。だから僕はスタッフに、『単独犯ではなく、共犯関係を結ぼう』と促します。依頼主の言葉に耳を傾け、いっしょにストーリーを作りあげること。設計とまったく関係ないようなことから、空間にたどり着く物語を紡ぐことが重要です」
――依頼主も参加することで、いい建築になるということですね。
谷尻氏「僕らの建築においてコミュニケーションは最も大切な部分であり、一番の悩みでもあります。設計以上にプロセスを失敗するといい建物にならない。過程で愛着がしっかり芽生えると、自ずといい建物になる。僕らはプロと素人の垣根にこだわらずに作りたい。『施主力』と呼んでいますが、依頼主の思いがけない言葉や生活に刺激を受けて提案することもあります。だからプロの視点でバイアスをかけず、永遠に“スーパー素人”でいこうと心がけています」
――谷尻さん自身はどういったところから依頼主の思いを読み取りますか。
谷尻氏「住宅は過去を掘り起こす作業が大切です。依頼主の住まいにお邪魔して、たとえばどんなものを買っているか、どんな買い方をするかを知る。それで空間や生活に対する意識もわかります。一緒に食事をすると、いろいろな情報が見えてきます。レストランスタッフとのコミュニケーション、周囲の様子を見ているか。その人の大事とするものが見え、仕事の仕方も見えてくる。それをヒントにコミュニケーションを重ねるので、カウンセリングに近いですね。作家性の強い建築家は『生活感が強いと作品にならない』と言いますが、僕はそんなことはないと思う。美しい生活風景は作品にもなりえます」
――住宅以外でも最近は長野県に新しいホテル〈松本本箱〉を手掛けています。
谷尻氏「〈松本本箱〉は、もとある温泉旅館の歴史をリノベーションで塗り替えたくなかった。僕らが携わる前に長い時間があり、新たに作れない時間が存在しています。だから僕らは、歴史にいまの時間をプラスして化学反応を起こすことにしました。たとえば大浴場は浴場らしく残しながらライブラリーを新たに掛け合わせています。そうすることで新しいけれど懐かしいというか、どこかで見た風景という体験をもちこめる。人は“不調和”に感動するところがあるから、先入観と新奇性の不一致を意図的に仕掛けています。そうして体験、空間、趣向を、あえてちぐはぐに合わせることを僕たちは『ナイスミスマッチ』と呼びます。出会わないものが出会う瞬間。新しいメロンを作ることはできなくても、メロンに生ハムを合わせる感動はある。それは編集に近い作業で、新しいことはまだまだ無限にあります。」
――一方で、谷尻さんは事業も色々と手掛けていますよね。最近では、次世代型空間メディア〈TECTURE〉を立ち上げました。
谷尻氏「いろいろな建築家の建物を取材し、それらの空間に使用される建材を検索できるサービスです。アイデアはあるけれど仕組みがわからないので、まずは企画書を『AR三兄弟』の川田十夢さんに見せると、参加してくれることになりました。コンテンツの制作スタッフはインスタグラムで募集しています。『映像が撮れて、編集できる人。プロじゃなくてもいいよ』と。プロ・アマを含めてものすごい応募数でしたが、インスタグラムはセンスがすぐにわかるものです。選んだ二人はたまたま建築の素人で、一人は学生、もう一人はデザイン事務所を辞めようとしている人。会うととてもいい子だったので、そのまま『2人で会社作ってくれない?』と(笑)。機材の購入費を入れて会社を立ち上げ、どんどん仕事をしてもらっています。いまは雑誌にかざすとARで検索ができる仕組みも開発しながら、当初の目標に近づけているところです」
自分の目で常識やルールを見る。
自分のなかで問いを立てることは、常に大切なことです。
――〈TECTURE〉の発想は、どうやって生まれたんですか?
谷尻氏「事務所に僕の席はなく、いつも空いている席でスタッフの様子を見ているんです。ある時、スタッフがみな雑誌を開いて素材を検索していました。設計事務所はアイデアを練って、図面を書くことが仕事なのに、検索が仕事になっている。この状況はあらゆる業界で起こっているでしょう。便利だけど、それに時間を奪われる状況って、今日的です。
便利なようで情報が乱雑な社会だから、それを整理することでユーザーの時間を省略するのが僕らのミッション。それは、これからの時代の鍵になるように思います」
――今後、ユーザーにどのような体験をもたらすメディアでしょうか。
谷尻氏「僕もそうですが、建築に限らず、気になるものはキーワードで検索をしますよね。すると、目的と違うものが出てきて多くの時間を費やしてしまう。〈TECTURE〉は紹介記事にあらかじめ検索機能が付いていて、カーソルをあてると素材やメーカー名が出てくる仕組みです。サイトにも直結していますが、メーカーが出稿してくれると電話やダウンロードの機能も付随するようになります。データベースを蓄積し、さらに情報が集まる空間として成長を目指しています」
――谷尻さんはこれまでも、自身が不足と感じる要素に対して起業を続けてきました。なにが谷尻さんをそうさせるのでしょうか。
谷尻氏「小学生の頃、『それは誰がいつ何時何分何秒に決めた?』とか言いませんでした? 子どもっぽい反論ですが、大人になって考えると示唆に富む言葉だと思うんです。いま一度、自分の目で常識やルールを見る。自分のなかで問いを立てることは、常に大切なことです。みなに『できない、難しい』と言われると、まず既存のルールが成立する以前の状況を考える。『できる・できない』よりも重要なのは、『なにがあったらいいか・こうすべきだ』ということ。事務所に一般の人も訪れることのできる社食兼食堂〈社食堂〉を開設する時も、『こんな離れたところに人は来ない』『うるさくて仕事ができない』『守秘義務はどうする』と問題をたくさん提起された。しかし、それは人が決めることではなく、自分たちで考えて決めていくこと。そうやって、いつも『誰が決めたの?』に立ち返ることを習慣にしています」
――その感覚はスタッフと共有されますか。
谷尻氏「共有してはいません(笑)。でも、それでいいと思います。みなが僕みたいに言い始めたら、うまくいかない。コツコツと進める人も、常識を踏まえる人も必要。そのなかで話し合い、常識を超えていくことが大切です。ただ目の前にある常識を疑うのは大事だと、スタッフには伝えています」
――その決断をできる強さが魅力です。
谷尻氏「僕は大学に行かず、専門教育をさほど受けずに設計事務所を開きました。いまは好きなデザインの仕事をできるようになりましたが、そこに至るまでに、自分で調べ、ものを見るために旅をして身につけた経験があります。建築家になる道は必ずしも一つじゃない。僕が『経験は? 実績は?』と言うと自分を否定することになります(笑)。やはり好きな気持ちやセンスが重要で、技術や経験はあとから付いてくると思う」
大変って言葉は、
「大きく変われる」ってことなんです(笑)。
――なるほど。ところで、谷尻さんの手がけることは〈絶景不動産〉〈社食堂〉などネーミングもユニークですよね。言葉のセンスも発想に通じるのでしょうか。
谷尻氏「言葉を考えることが好きなんです。というのも、言葉から設計することも多く、思いつくとメモを取ります。人は中身を見るより先に名前を見るから。僕もコンペの審査員を務めますが、数時間で何百案を審査する時は残念ながら数秒しか見ることができないこともあります。その時にパッと目に届くビジュアルも必要ですが、タイトルで何をやろうとしているか伝えることも重要。建築も事業も、言葉が体をなすといいと思います。」
――最後になりますが、今は、新型コロナウイルスの感染拡大によって、人の過ごし方が問われています。どのようにお考えですか。
谷尻「不謹慎かもしれないですが、僕たちにとってはいい機会じゃないかと思います。
いままでの価値観がリセットされ、みなが同じスタートラインに立つなんて、きっともうない。だからこそ大変ですが、いまこそ自分の力が試される。それを楽しむしかないと思うんです。もちろん僕らもいくつものプロジェクトが止まるなど経営面の苦労もある。同時に事務所開設から20年なので、もう一度スタートする時期だとも思っています」
――今後はどのように動いていくのでしょうか。
谷尻「スタッフには会社の維持が目的になった時点で、会社を継続する意味がないと伝えています。僕は好きな建築をやっていくために会社を作った。目的が変化した時点で、会社の意味がなくなると思っています。物事は何かが悪くなると、何かが良くなるチャンスも潜んでいる。コロナ後は元に戻ると期待する人もいますが、僕は絶対に以前の状況には戻らないと思う。大変って言葉は、『大きく変われる』ってことなんですよ(笑)」
PROFILE
谷尻誠|Makoto Tanijiri
1974年広島県生まれ。穴吹デザイン専門学校卒業後、本兼建築設計事務所、HAL建築工房を経て、2000年にsuppose design officeを設立。2014年にSUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd.として法人化し、現在は広島と東京の2拠点で活動する。これまでに手掛けた住宅作品は150を超え、商業施設やオフィスの設計でも活躍するほか、インスタレーション作品も発表するなど活躍の場は広い。 また設計事務所とは別に、敷地のポテンシャルを引き出す不動産会社「絶景不動産」、新しいテクノロジーと職人技を組み合わせた施工会社 「21世紀工務店」などを設立し、運営にも携わる。現在、穴吹デザイン専門学校非常勤講師、広島女学院大学客員教授。
聞き手・構成:山田泰巨 撮影:是枝右恭 編集:BAKERU