「1,000円の板チョコは、100円の板チョコより10倍美味しいのか?」創業当初そんな問いに悩まされたと語るのは、日本における「Bean to Bar」チョコレートムーブメントを牽引するMinimal創業者の山下貴嗣氏だ。
「Bean to Bar」とは、Beanはカカオ豆、Barは板チョコレートを意味し、豆から板までの全てのレイヤーでこだわりを持って管理することを表現するチョコレート業界の世界的な地殻変動だ。
同社では、世界中のカカオ農園に足を運び、品質の良いカカオ豆を選び、生産者から仕入れ、製造工程はすべて自社工房で管理している。チョコレートの品質へのこだわりは、執着といえるほど徹底されている。カカオの粒子の大きさは1/1000㎜単位で調整し、1年間で3119ものレシピをつくり、カカオ豆だけで50種以上のフレーバーを表現してきた。
そのこだわりは世界でも評されており、世界最優秀のチョコレートを決める世界大会のアメリカ・アジア太平洋予選「インターナショナル チョコレートアワード アメリカ&アジア太平洋大会2016」で最高賞の「ゴールド(金賞)*」を含む3つの賞を、日本ブランドではじめて受賞。さらに翌年には、「インターナショナル・チョコレート・アワード ワールドファイナル(世界大会)」でも最高賞の「ゴールド(金賞)*」を受賞した。
山下氏は創業当初、ここまでのこだわりを貫いていながらも、冒頭の問いに自信を持って答えることができなかった。しかし、接客を通じて、この悩みから脱することができたという。大事なことは「100円のチョコレートの味と比べる」のではなく、「顧客が1,000円を払う価値を提供できるか」だ。
山下氏が考える「1,000円を払う価値があるチョコレート」とはどのようなものか、開店前の富ヶ谷本店に伺い、じっくり話を聞いた。
引き算の文化を「チョコレート」に当てはめた
Minimalは、『伝統工芸』やそれを生み出す『職人』、きめ細やかな国民性を活かした『おもてなし』といった日本らしさからインスピレーションを得て生まれた。西洋で生まれたチョコレート文化を、日本流に解釈する。それが、新しいチョコレートの食体験をもたらした。
山下氏「西洋のチョコレートは足し算です。カカオというベースに、砂糖やミルク、バター、香料などを足してバランスを取る。一方、僕たちは、侘び寂びが代表する日本の引き算の文化にチョコレートを当てはめて、再解釈した。和食には、素材を楽しむという発想があります。良い素材をベストな状態で出すために、旬のものを用いて調理する。
つまり、素材が『主』で、調理は『従』なのです。これをチョコレートに当てはめると、主はカカオで、チョコレートは従。西洋とは逆の発想で巨大なチョコレート市場に挑み、日本の存在感を示したいと考えました」
山下氏は、自身のnoteで「カカオ豆を刺身でだす」と表現している。素材の美味しさそのものが最大の強みであり、それを最大限引き出せるシンプルなレシピでチョコレートを完成させていく。刺身のような潔さが同社のアイデンティティといえるだろう。
新しいものに起きる拒絶反応を織り込む
日本流のチョコレートとして始まったMinimalだが、その道程は順風満帆ではなかった。
山下氏「創業時、僕たちは世の中にはたくさんおいしいチョコレートがあるから、僕たちが同じようなチョコレートを作る必要はない、と。お客さまの反応は非常によかったんですよ。でも、それが失敗でした」
失敗の要因は、味にこだわったこと。新しい味を提供したいという思いが強すぎて、珍しがられはするももの、購入に至らないケースが多く発生したという。
山下氏「一口食べたお客様に『わぁ、これすごい』『食べたことない』とポジティブなリアクションをもらいました。でも、実際は買っていかない。途中で、人々がチョコレートに求める第一の美味しさは『甘さ』だと気づきました」
味へのこだわりが失敗につながった。まず、人々に味に慣れてもらう必要がある。この創業時の苦労から生まれたのが、「食の2階建て理論」だった。
山下氏「食の製品を販売する場合、2階建てで考えないといけません。1階はベーシックさで、2階は新規性です。多くの人にとって『おいしい』と思える、マイルドで慣れ親しんだ味を提供する1階の安定感があることにより、2階が活きてきます。創業時の僕たちは、2階ばかりに目が行っていました。
食は、第一印象で美味しくないと判断したら、それでもう終わりです。二度と食べてくれない。おいしさは、これまで慣れ親しんだ味に紐付いています。『うちのオカンのカレーが一番うまい』みたいな話と一緒。要するに、慣れ親しんだ味と、新規性のある味を比べたら、慣れ親しんだ味を美味しいと判断するんです。新しいものには拒絶反応が起きます」
食は2階建てで考え、1階の慣れ親しんだおいしさづくりが必要不可欠だ。だが、その建物のオリジナリティは2階に現れる。2階を作り上げるかを考える上で大切なのは、つくり手の思想や哲学を第一にすることだという。やはり、味へのこだわりは外せない。
山下氏「プロダクトアウトからマーケットインの時代になって久しいですが、最近はプロダクトアウトの時代に戻っているように考えています。インターネットの普及により大量の情報を獲得できるようになり、価値観が乱立するようになったからです。個人の嗜好性が多様化しすぎた今では『マーケットイン』とは、何も言っていないようなものです」
以前、スマイルズの野崎氏もXDの取材で、「リサーチで他者を知るよりも、顧客としての自分の視点を知るほうが大事」だと語っていた。マーケットのニーズを汲み取ろうとばかりしていても、心を震わせるような感動は与えられない。大切なのは、つくり手の内面から湧き上がる情熱だ。
山下氏「偏愛的なこだわりが、強烈なプロダクトを生み出すんです。一度興味を持てば、いくらでも深掘りでき、その奥行に感心し、共感を生んでいく。例えば、伝統工芸である玉川堂の鎚起銅器のやかんは、高いものだと60万円を超えます。職人が1枚の銅板を何度も叩いて立体にしていく製法には、200年に渡り受け継がれるこだわりがある。そのやかんは100年持つと言われています。それを聞けば、ちょっと買ってみたいと思うでしょう?」
ブランドのことを考えてもらう時間を増やす
こだわりを持って生み出したチョコレートを、どうやって顧客の口まで運ぶのか。そのプロセスにも、Minimal流のこだわりがある。
Minimalの店舗では「NUTTY」というベーシックな味を用意し、まずはそれを顧客に試食してもらうという。次に提案するのは多種多様な味わい。『フルーティーなもの、ハーバルなもの、フローラルなもの、どれが好きですか?』と、3つほどの選択肢を提示して、顧客に選んで食べてもらう。「自分」で選ぶ過程に、価値があるという。
山下氏「お客様が自分の思考を働かせ、自分の意志で選択をする。そうすると、食べることへのコミットメントが増して、お客様の中でのMinimalの占める割合が少し増えます。最初からこちらがおすすめの商品をお渡しするよりも、深くお客様の心に残ります」
選んでもらう行為が、顧客との関わりを強くする。ステップは増えてしまうが、あえてそのプロセスを重視するのが、Minimalだ。だが、彼らはここでさらに顧客に踏み込む。
なぜそれを選んだのか。
なぜそれが美味しいのか。
Minimalのスタッフが、顧客の代わりに言語化して伝えるようにしているのだ。この時に必ず、スタッフは自分の経験から生まれる熱意ある言葉で説明をする山下氏は『お客さまの心にプレゼントを置いてきて』と、スタッフに伝えているという。
山下氏「『あなたがおいしいと思った理由って◯◯なんです』とスタッフが言語化してあげると、お客様は自分の好みやMinimalの哲学を知ります。そうすれば、その言葉を使って、誰かにオススメできる」
「Minimalのことを考えてもらう時間を長くしたいんです」と山下氏は語る。Minimalが創業当時から開催してきたワークショップも、顧客の中でMinimalが占める割合が大きくするためのアプローチだ。
山下氏「ブランドって、プラットフォームやコミュニティだと思うんです。熱量の高いコミュニティをつくるために、熱量の高いお客様のコミュニティを用意しておく。どれだけゆっくり接客しても、お店じゃ10〜15分しか話せない。毎週、繰り返し接客できればいいですが、それは無理ですよね。だから、2〜3時間かけてワークショップをやります。そうすると、熱量の高い人同士がつながって、コミュニティができる」
ワークショップでは、顧客の本音を拾ったり、データと実際の反応をすり合わせたりもしているという。もちろん、データは取得しているが、現場での顧客の反応を大切にしている。
人の温度感や熱量を感じられる店舗の価値
ワークショップが開かれる会場である店舗も、顧客のコミュニティを形成する上で大事な役割を果たしている。山下氏は、ブランドの世界観を体験する空間として、店舗の重要度が増してくると考えているという。
山下氏「単にモノを売る場所としての店舗は、あまり意味をなさなくなりました。利便性だけ考えたらWebで買ったほうがいい。店舗の価値は、顧客が人の温度感やブランドの想いを直接に感じられるというものになる。これはWebでは代替できません」
人でなければ提供できない、温度感や熱量。それがブランドの価値に直結する。であれば、店舗で働くスタッフが本当に満足して、モチベーションの高い状態を作り上げる必要がある。Minimalでは月に1回、アルバイトスタッフを全員集めて、勉強会を開催している。創業から一度も欠かしたことはないそうだ。
山下氏「Minimalの哲学を体現している職人やスタッフがいて、その空間でお客様がMinimalを体験できる。これこそが、店舗の最大の価値です。だから、スタッフとはかなりウェットな関係を築いています。よく、近所の飲み屋でMinimalの哲学についてスタッフと議論しているので、覚えられているかもしれないですね(笑)」
商品にこだわり、店舗にこだわり、Minimalは顧客にブランドのことを考えてもらう時間を確保しようと努力してきた。だが、顧客はブランドの思い通りにはならない。知ってもらったから、考えてもらったからといって、LTVが上がるわけではないという。
山下氏「お店をやっていておもしろいなぁと思うのは、お客様の多種多様さです。あんなに熱心にワークショップに来ていた人が、ある日パタリと来なくなる。先週までカカオについてマニアックに調べていた人が、今週はペアリングのことしか考えていない。これはなかなか予想できません。多くを知ると、やりきった感が出て離脱してしまう。より知ったからといって、LTVが上がるわけではないんです。
だから、僕はカスタマージャーニーマップを『球体』のように立体的に捉えています。お客様は、あらゆる導線から入ってきて、あらゆる導線に抜けていく。ブランドを熟成させるには、お客様が自分の興味の基づき、自分の意志で興味を深掘りできる選択の自由さが必要なのです。適切な時間と熟度とコンテンツの順番があるはず。いま、僕らはそれを勉強中です」
「100円のチョコレートの10倍、Minimalのチョコレートは美味しいのか」という問いに違和感を抱くのは、これまでのチョコレートが提供する価値を前提にした質問だからだろう。既存の枠組みで物事を捉えるだけでは、想像を超える体験は提供できない。
同店のチョコレートの価値は、確かな美味しさとその背景にあるものが醸成する納得感により形成されているのだろう。思想や哲学からくるMinimalのこだわりと、だからこそ味わえる1枚のチョコレート。その共感を含めて味わう至福のひと時が、Minimalの本当の価値になる。
これからの時代は、おいしさ、便利さ、楽しさなど、ひとつの側面から価値を判断することができない時代だ。「100円のチョコレートの10倍、Minimalのチョコレートはおいしいのか」という問い対する違和感から、顧客体験の向上がスタートしていくだろう。
編集/モリジュンヤ 取材・文/葛原信太郎 撮影/須古恵