顧客体験を考える上で、サービスや商品を“提供する人”の存在は無視できない。
たとえば、サービス提供者の熱心な姿は顧客に影響する。逆に、顧客が優れた体験をできている状態をみて、サービス提供者に影響をもたらす。そんなシーンを目にした人もいるのではないだろうか。
これは決して顧客と直接対峙する人に限らない。サービスを提供する側にいるあらゆる人、つまり従業員全体の体験や熱意は、顧客に届く体験にも影響しているのではないか。この仮定のもと開催されたのが『ICCサミット FUKUOKA 2020』のセッション『内なる熱狂が、顧客の熱狂につながる。EX観点で考えるCX』だ。
EX(Employee Experience・従業員体験)もCXも、国内ではまだまだ概念としては広く馴染みのあるものではない。本セッションでは、両者の接続や関係性を問い、ともに考えていく場となった。
登壇者は、クラシコム青木耕平氏、ヤッホーブルーイング井手直行氏、楽天 小林正忠氏、福岡市 髙島宗一郎氏の4名。モデレーターは、ベイン・アンド・カンパニー井上真吾氏が務めた。
全員を平等にではなく、2割の熱意を重視する
セッションの冒頭では、手探りながらそれぞれの視点で「どうEXを捉えているか」が共有された。はじめにマイクを握ったのは、ヤッホーブルーイング代表の井手氏だ。
同社は、Great Place to Work® Institute Japan が実施する『働きがいのある会社』ランキングで3年連続ベストカンパニーに選出されるなど、対外的に“従業員の体験が良い”という評価を得ている。「正直、このセッションに参加するまでEXという言葉を意識したことはなかった」と言うが、成果の背景には、確かに従業員と向き合った経験がある。
井手氏「ちょうど先日発表された2019年版では、『やりたいことをやれる』『仲間がすばらしい』『誇りを持って働ける』といった点で高評価をいただきました。我々はこの評価を“EXが高い”とは捉えていなかったのですが、“社員が幸せで、モチベーションが高く働けていること”と考え、様々な観点で取り組んできています」
二人目は、約1万7,000人もの職員が働く福岡市の高島氏だ。同氏もまた「EXという概念を意識したことはなかった」と述べつつ、多様な職種を抱える自治体だからこそ、全員の体験を一様に向上させることは考えていないという。
高島氏「福岡市の職員——と一口にいっても、その職種は本当にさまざまです。窓口で市民と接するスタッフだけでなく、外部との接点があまりない事務職員、学校の先生や消防士、はたまた常に世界中を飛び回る職員もいます。もちろん各職場で、職員のモチベーションを高める取組みは行なっていますが、市長という組織全体を統括する立場としては、そういった多様な属性を持つ職員を一様に捉え体験を良くするというのはそもそも違うなと感じています。
EXの本質的な目的が、従業員全体のモチベーションを高め、結果として顧客満足度や自組織の競争優位性を向上させることであるならば、手段としての従業員全体の体験向上にこだわらず、むしろ、モチベーションが高い人に、いかに応えるかにフォーカスすべきではないでしょうか。一般的に、2:6:2の法則と言われるように、組織は『熱量が元々高い人』『中間層』『熱量が上がりにくい人』に分かれます。その上位2割を引き上げれば、少なくとも中間層くらいまでは引き上げられていくと考えているんです。これも広い意味ではEXの向上ということになるのかもしれません」
では、熱量が高い2割に応えるために、高島氏は何が必要だと考えるのか。福岡市では、職員の適性に合わせた組織や業務の最適化に取り組んでいる。
高島氏「熱量の高いキーパーソンとなる人を、いかに配置するか、どのような役割を与えるかは重要です。組織には、これまでと同じことを確実に遂行できる人も、そこに一工夫を重ねるのが得意な人も必要です。ただその両者は活躍できる場所が異なります。同様に、プレイヤーとして優秀な人がマネージャーとして活躍できるとは限りません。適性にあわせた配置や役割の最適化をおこなうことで、キーパーソンとなる職員に熱量を落とさず活躍してもらい、それが周囲に良い影響を与えることにつながると思っています」
2割に注力する姿勢には、井手氏も同意を示す。
井手氏「大きな組織でも小さな組織でも、“小さな核”からはじめることが大事ですよね。私が組織に関するイベントなどでお話をすると、質疑応答で『井手さんの話は分かるが、140人規模だからできるのではないか』と聞かれることがあるんです。確かに規模が大きくなると全員を一様に変えるのは難しい。だから、部署単位でもチーム単位でも良い。変化の小さな核が生まれれば、それを周りに広げられる。高島さんは、まさにそれをやられているんですね」
EXとCXの接点は熱。熱源はビジョンや顧客にも
続く青木氏は、「EXとCXとの関係性」を「社員の熱を顧客に伝播させること」と捉え、2つの論点を提示した。
青木氏「EXとCXの話はエネルギー伝導の話とも捉えられますよね。そう考えると『エネルギー源はどこにあるか』と『伝導の際の抵抗をどう極小化するか』という、二つの論点を考えるともっと理解が深まるのではないでしょうか」
青木氏の整理を受け、小林氏はエネルギー源としてビジョンの重要性を上げる。
小林氏「楽天の歴史をEXの観点で振り返ると、事業が楽天市場のみだったときは、今以上にEXは高かったと思います。当時はお給料高いわけでもないですし、福利厚生や労働環境も整っていたわけではありません。ですが、今よりも顧客(クライアント)との距離が近く、一つひとつの行動がビジョンの実現に近づいている感覚が強くありました。明らかに「世の中を元気にしたい」というエネルギー源が、そのまま顧客に伝わっていましたね。
加えて、代表の三木谷は、創業期からずっと全グループ社員に向けて毎週ビジョンを語り続けているので、青木さんのおっしゃる『エネルギー源はどこにあるか』が割と明確ですし、社員にとってもエネルギー伝導できている実感は働く意義にもつながっているのだと思います。結果、CXを向上させて事業を伸ばしビジョンに近づいていくことが、さらに従業員のEX向上にもつながっていくのだと思います」
小林氏の話を受け、青木氏はサイボウズ代表の青野慶久氏の著書から「人間は理想に向かって行動する」という言葉を引用した。人間は本能として、理想に向かって行動を起こすようにインプットされている。ゆえに、「ビジョンやミッションのような、目標のエネルギー」は大きいと同意を示す。
一方、顧客の熱が従業員へ伝導する例もあるのではないかと高島氏は考える。
高島氏「すべての部署ではないですが、応対した相手が喜んでくれたり、市民からの評価やアンケートの満足度が上がっていたりすると、職員の自信ややる気につながる部分はあると思います。もちろんモチベーションの向上には評価や給与も大事ですが、応対する相手からのフィードバックも大きな影響があるように感じています」
続いて、もうひとつの論点『伝導の抵抗を極小化する』についても、各々の意見が述べられた。青木氏は、「一般的に、体験を考える上では、上がるポイントを生み出すより下がるポイントを取り払うほうが、難易度が低く結果につながりやすい。EXでも同様ではないか」と考える。
その言葉を踏まえ、井手氏は「下がるポイントの優先度」の具体例を挙げた。
井手氏「我々の場合、致命的な部分や、あまりにも評価が悪い点は早急に改善を進めます。ただ、“少し悪い”くらいのものは内容によって判断していますね。例えば、給料に対するネガティブな評価。同じビール業界で捉えると、シェアの上位にいる大手企業と比べれば我々はどうしても低くなってしまいます。ただ、そこと張り合うのは今の企業体力では難しい。ですから、そこは経営情報を全てオープンにしコミュニケーションをとった上で、拙速を避けるためすぐに対応しない判断もしています」
従業員の熱量を上げる顧客との関係、配置戦略
とはいえ、従業員の熱量を上げる施策が必要ないわけではない。マイナスを取り除くのはもちろん、各々多様なアプローチから熱量を向上にも取り組んでいる。
その一例に、井手氏は主催するファンイベントを挙げた。
井手氏「我々が頻繁に開催しているファンイベントは、企画や運営を外注せず、その多くを自分たちで作り上げています。そこでは、普段はファンと直接コミュニケーションを取ることのないバックオフィスのスタッフも含めて、できる限り多くのスタッフに参加してもらっているんです。
というのも、イベントでは、我々が届けるビールを飲み、目の前でファンが喜んでくださる。ファンと直接コミュニケーションを取ることで、自分の仕事の意義を自覚し、さらによい体験を届けようと思える。そんなループを作れるからです」
高島氏は、公務員だからこそ人事配置の重要性に言及する。
高島氏「先ほどの2割を引き上げるという話にもつながるのですが、公務員の場合、給与面では大きな差がつきません。
例えば災害の中で主体的な行動をした職員や、市民のためになる施策を実行するためのリスクを取って奔走した職員。そういった、成果をあげた職員の熱量を引き上げる意味でも、人事配置は重要な意味を持つのです。公務員は、一般的に初級・中級・上級といった採用時の区分、事務職や技術職などの職種、年齢などによって、昇進の順序がある程度決まっていることが多いのですが、福岡市では、成果をあげた職員はそういった慣例にとらわれず評価するようにしています」
人員配置の重要性は、民間企業でも無視はできない。井手氏は毎年希望と向き合う機会を作っている。
井手氏「当社では毎年、異動希望調査を取って、できる限り希望に沿った人事異動をしています。全員の希望は通りませんが、『いつか必ずかなえる』と約束しています。加えて、仕事の時間の20%を好きなプロジェクトに参加できるようにしています。経験や知識がない業務に参加してもいいですし、周りはそれをしっかりと見守る。本人にとっては、諦めずに取り組んだ経験は成功体験にもなりますから」
井手氏の言葉にうなずきつつ、青木氏は特に「ルーティンワーク」が主になりやすい職種に対し業務のアサイン面でおこなっている配慮を述べる。
青木氏「特にカスタマーサービスに携わるメンバーの人員配置を工夫しています。例えば、最低5人必要な業務の場合、そこに10人を配置する。すると、それぞれのルーティンワークは業務時間の半分になる。その分、新規の企画や事業といった個別事案のプロジェクトにも参加してもらうんです。カスタマーサービスの業務は、往々にして新企画などに必要な受注、決済、物流といったオペレーションの根幹を担う。彼らが参加することで、プロジェクトが『思いつきだけで現場が混乱する』といった事態の回避にもつながるので、業務上もメリットがあるんですよ」
EXの向上は、CXの向上につながるのか
各々からEXへの注力点や考え方が述べられた後、終盤では改めてタイトルにも上げた「EXの向上がCXの向上につながるのか」という問いが投げかけられた。
冒頭では、口々に「考えたこともなかった」と述べられたが、登壇者同士の対話を経て、それぞれの組織における視点から語られた。
高島氏「EXの範囲をどう定義するのかにもよりますが、CX向上のための必要条件ではないと感じています。福岡市は市政に対する市民の信頼度は年々向上しており、CXは高まっていると言えますが、その背景に職員全体のEXの向上があったかと言われると、一概にそうと言い切れません。
むしろ、先ほど述べたとおり、2割の引き上げが、組織全体の熱量の底上げにつながっていると考えています。もちろんEXとCXのつながりを否定するわけではありませんが、CXの向上という最終目標を目指す上で、従業員全体のEX向上というのはあくまで手段の一つではないかと考えています」
青木氏は「EXを『仕事が楽しい』という瞬間的な喜びとして捉えなければ、違う価値につながっているのかも知れない」と、ある視点を提供した。
青木氏「以前にどなたかに伝え聞いた話なのできちんとしたエビデンスがあるのかはわからないのですが、どのような人が『自分の人生には意味があったと思う』かという調査では、意味があったと答えた人の属性に『若い頃に相当な苦労をした』傾向が見られたそうです。
つまり、今この瞬間の体験が悪かったとしても、のちのち『あのとき頑張れた自分』に意味を見出せる。『楽しい』『気持ちいい』という瞬間的な感情だけではないんです。仕事の長期的な意義や、人生における経験価値、いうならばライフエクスペリエンスのような視点もあるのではないでしょうか」
では、そう語る青木氏はどうCXとEXの接続を捉えているのか。同氏は直接的な接続には言及しないものの、“同心円状”に関係性があると捉えているという。
青木氏「僕らは、会社を中心としてお客様のコミュニティーが同心円上にあると捉えています。中心に近づくほど、その熱量は高くなるイメージですね。宝塚歌劇団をイメージしてみてください。宝塚のファンには、何回か見たことがある人から、ファンクラブに入る人、毎回出待ちをする人など多様な人がいます。その最も強いコミットメントが、自分ないしは自分の娘が劇団に入ることなんです。
ファンにとっては、コミュニティーの中心が一番幸せそうで求心力があるからです。クラシコムの社員は、9割が元お客様。つまり、コミットメントが強くなった人が、輪の中心にいる。そこでの求心力を生む鍵のひとつとして、EXがあると考えています」
一方、EXに注力してきたと自負のある井手氏は、このCXとEXの接続を明確に意識していると述べる。
井手氏「ヤッホーブルーイングは、EXとCXの連続性を信じてここまでやってきたと思います。そのきっかけは楽天なんです。我々は初期から楽天市場に出店していたんですが、当時の担当者さんがとにかくアツい人でした。今では怒られてしまいますが、夜の11時くらいにひとり職場で仕事をしていると、担当者の方から電話がかかってくるんです。
『こんな企画をやりたいんですが、一緒にやりませんか!』と。そこから話が盛り上がり『明日からやりましょう!』と電話を切ると、もう日付が変わっている(笑)。楽天の方の熱量に突き動かされて、僕たちはECに力を入れていましたね」
先ほど小林氏が語ったように当時の楽天はEXが高く、その体験が井手氏のCXにつながった。だからこそ、ファンイベントや従業員と向き合う数々の施策に取り組んできた。
最後となった小林氏は、CXやEXという個別の体験以上に“向かうべき先”が重要なのではないかと提言した。
小林氏「井手さんのお話をふまえ、改めてEXやCX以上にミッションやビジョンが重要ではないかと感じています。井手さんを突き動かした楽天社員は、EXだとかCXなんて考えていなかったと思います。自身が成し遂げたい方向へ邁進したんだと思います。つまり、そもそも、その組織の向かう先が明確でなければそこに合致する体験は生まれないでしょう。EXやCXの前段である方向性が全社員に伝えられているか。そこへのこだわりが大事ではないかと、セッションを踏まえて改めて考えさせられました」
『EX観点で考えるCX』というセッションテーマに対し、各々導き出した答えは異なる。その背景には、各登壇者も「考えたこともなかった」と語るように、EXという概念自体がまだまだ浸透していない点や、各々の環境によっては一概には語れない点もあった。
CXを考える上で、ここから更に深掘りをされていくであろうこのテーマは引き続き注視していきたい。
文/葛原信太郎 取材・編集/小山和之 写真/ICCパートナーズ提供