チーズケーキにはさまざまな種類がある。レアやベイクド、スフレに加え、ニューヨークやバスクなど都市名を冠したものもある。
そんな中で「トーキョーチーズケーキ」を志向するのが、「Mr. CHEESECAKE(ミスターチーズケーキ)」だ。実店舗はなく、基本的には毎週日曜・月曜日のオンライン販売のみ。発売日になると、SNSでは「ミスチ買った」「届くのが楽しみ」と、次々と“購入報告”が投稿される。
Mr. CHEESECAKEを手がけるのは、株式会社Mr. CHEESECAKE代表取締役の田村浩二氏。モダンフレンチ「TIRPSE (ティルプス)」在籍時の2018年にMr. CHEESECAKEをスタートし、シェフとしてのスキルやアイデアを生かして事業展開してきた。田村氏は、「あくまでも主役は、ともに過ごした時間やその場の空気。それを記憶に残すための手段として、Mr. CHEESECAKEがある」と語る。
Mr. CHEESECAKEは、なぜ「記憶に残る時間」を大切にするのか。「世界一じゃなく、あなたの人生最高に」というコンセプトをいかに表現しているのか。田村氏とともにブランド立ち上げから現在を振り返りながら、その体験設計や根底にある哲学を聞いた。
待っているすべての人へチーズケーキを届けるために
飾り気のない直方体のチーズケーキ。ナイフで切り分け、凍ったまま食べても、解凍してなめらかな口どけを楽しんでも良い。食べるときの温度帯によってさまざまに楽しめる。Mr. CHEESECAKEのラインナップは、定番のプレーンと、「マロン」「ピンクラズベリー」「ミルクティーベルガモット」など、季節によって提供する期間限定フレーバーのみ。新しいフレーバーが登場するたびに購入するリピーターも多く、ファンからは「ミスチ」と親しみを込めて呼ばれている。
Mr. CHEESECAKEのスタートは2018年。田村氏はフレンチレストランのシェフとして働く傍ら、「究極のチーズケーキを目指して」と、お手製のチーズケーキを自身のインスタグラムに載せた。
友人数名からチーズケーキの購入希望があり、届けたところ、そのうち一人のSNS投稿をきっかけに「食べたい」「購入希望です」とメッセージが殺到。フォロワーが急増し、注文が相次いだ。
オーダーに応えるべく、田村氏はレストラン勤務以外の時間をケーキづくりにあて、朝晩計32個のチーズケーキを一人で量産した。当時の睡眠時間は、1日3時間にも満たなかったという。
だが、どれだけ懸命につくってもオーダーは止まず、購入希望者は増えるばかり。彼のもとには「もっと製造して」とメッセージが届いた。田村氏はもどかしさを抱えながら、プロの料理人として、「食べたいと思ってくださるすべての方に、どうすればチーズケーキを届けられるか」を考えていたと振り返る。
田村氏「お客さまをお待たせしてしまっていることが申し訳なくて。でも、どんなにがんばっても一人でつくれる量は限られています。例えば2年先まで予約が埋まるお店は、それだけ人気があるということだけど、僕自身は『食べたいときに食べられる』ほうが健全だと思うんです。
チーズケーキも、購入して忘れた頃に届くのは、体験として好ましくない。誰かにケーキを贈りたいと考えたとき、すぐに手に入る状況が、あるべき姿だと考えていました」
田村氏は2018年7月に勤めていたレストランを退職。チーズケーキづくりに専念し、同年12月に専用キッチンを設け、5人のスタッフとともに再スタート。2019年7月からは複数のD2Cブランドを手がける株式会社newnと業務提携し、安定的にチーズケーキを提供する体制を整えてきた。
13年に渡り料理人として働いてきた田村氏は、お客さまに直接商品を届けることができるD2Cというビジネスモデルに大きな可能性を感じたという。
田村氏「レストランではどう頑張っても、1日に料理を提供できるお客さまの人数は3、40人ほど。場所や時間、席数といった制約があり、限界を感じていたんです。でもMr. CHEESECAKEなら製造体制さえ整えれば、食べたいと思ってくださる方の数だけ、チーズケーキを提供することができる。
SNSを通じて、これだけの方が『僕のチーズケーキを食べてみたい』と思っていただけることを、ありがたく感じていました。それなら、どれだけ多くの方に自分の信じるケーキを届けられるか、試してみたくなったんです」
つくる人が心穏やかになるよう、考え抜かれた生産工程
Mr. CHEESECAKEの特徴の一つは、温度の変化によって味わいや食感の違いを楽しめることだ。小麦粉を一切使用せず、湯煎焼きをすることで、上はしっかりとしたベイクド、下はなめらかなレアチーズと、二つの食感を一つのケーキで楽しめる。濃厚なのになめらかに溶ける食感を実現した。
田村氏は、おいしいチーズケーキをつくるためにはレシピの配合や工程を考えるだけでなく、スタッフの働く環境整備や作業効率化も重要だと語る。
田村氏「ものづくりの世界では、効率性を考えること自体が疎まれたり、属人性が高いほうが評価されたりすることもあります。『職人が手間暇かけたもの』がおいしく感じられるのも、当然のことです。それでも僕は、つくる人が心のどこかで『嫌だな』『面倒だ』と思うケーキは、どんなにレシピが優れていても、おいしくはならないと思っているんです。
だからMr. CHEESECAKEのレシピを決める際、ほかのスタッフにお願いすることを想定して、クオリティを保ちながらも健やかにつくり続けられるように、徹底的に工程を考え抜きました」
例えば、25kgの砂糖の袋を買い、3kgずつ手で分ければ、確かに材料費は安くなる。けれども現場では砂糖を分けるだけの作業が発生して、そのぶんスタッフの時間が奪われてしまう。Mr. CHEESECAKEでは1kgの砂糖を3袋使うことで、「計量」という作業工程を一つ減らすという選択肢を取る。
田村氏「僕もレストランで働いていて、『これやっといて』と作業を頼まれることはありましたが、日々、材料の状態を見ながら丁寧につくることを考えれば、計量に気を取られる余裕なんてありません。
本当はその時間で、スタッフはもっとケーキに意識を向けて、お客さまの『おいしい』のために最善を尽くすことができるはず。スタッフがどれほど心穏やかにケーキをつくることができるかどうかが、大切だと思うんです」
「おいしさ」は人それぞれ。それでもみんなの「おいしい」をあきらめない
田村氏の料理人としての視点は、他社とのコラボレーションでも遺憾なく発揮された。2020年末にセブン‐イレブンで発売された「ミスターチーズケーキ アイスクリーム」と「ワッフルコーン ミスターチーズケーキ カカオラズベリー」だ。発売当初からSNSで話題となり、売り切れ店舗も続出。2021年2月には再発売されるほどの反響だった。田村氏は、レシピ考案から価格設定までイニシアチブを取り、「妥協せず納得のいく商品をつくることができた」と振り返るが、一方で、SNS上では賛否両論だったという。
田村氏「普段からSNSをチェックしてお客さまの意見を集めていますが、これほど賛否両論に分かれたことはありませんでした。人によって『おいしい』は違います。甘いほうが好みの人もいるし、酸味が苦手な人もいる。
より幅広い層が訪れるコンビニで販売されたことで、『自分がおいしいと思うもの』が客観的にどう見られているかを知ることができましたし、今後のMr. CHEESECAKEの商品開発にも生かせると考えています」
何を「おいしい」と感じるかは、あくまで主観的なもの。田村氏自身が考える「おいしさ」が、万人に受けるとは限らないのも確かだ。それでも田村氏は、その「おいしさ」という主観的な尺度に全力で向き合いたいと語る。
田村氏「自分の中で『これがおいしい』という基準が明確にあるんです。一方で、自分がおいしいと思うものをつくることばかりに重きを置いてしまうと、誰のための味なのかわからなくなってしまいます。僕らの仕事は、つくったものをほかの誰かに楽しんでもらって初めて、価値が生まれる。ですからあくまで、食べる人のことを一番に考えて味付けしなければならないんです。
だからと言って、安易に『みんなイチゴが好きだからイチゴ味を』みたいなことはしたくないんです。やるとしても、『みんなが驚くようなイチゴ味とは?』と考えたい。想像を超えるような味をつくりたいんです。
自分の表現したいおいしさと、より多くの人にとってのおいしさを両立させることは、とても難しいことです。それでもなお、できる限りその二つをイコールに近づけて、絶妙なバランスを保つ。そのために全力で味と向き合いながら直感的に考えるのは、すごく楽しいことなんです」
主役はケーキではなく、大切な人と過ごした時間と記憶
一人ひとりの「おいしい」にとことん向き合う姿勢は、ブランドメッセージにも表れている。「世界一じゃなく、あなたの人生最高に」。この言葉は、Mr. CHEESECAKEの公式サイトやチーズケーキに封入されたメッセージカードにも書かれている。
この言葉はもともと、田村氏が自分自身に投げかけたものだったという。自身もWorld’s 50 Best Restaurants 「Discovery series アジア部門」に選出されたものの、シェフたちがランキングで評価される風潮に、違和感を抱いていたと語る。
田村氏「世界一を目指すのは、もちろん素晴らしいこと。でも、料理人にはアスリートのように明確な勝敗はありません。なぜ世界一にならないといけないのか疑問だったんです。誰がどうやって決めているかよくわからない世界一を目指すより、自分にとって、あるいは誰かにとって一番おいしいものをつくるほうが、価値あることじゃないかと。
食べた人が『人生で一番おいしかった』と思える体験を、僕らの手で生み出せたら最高だし、その体験はきっとその人の記憶に残るはず。僕の中で『記憶に残る体験』を生み出すことと、『あなたの人生最高』を目指すことは直結していて、あくまで『おいしさ』は、それを実現するための手段なんです」
Mr. CHEESECAKEが届けようとしているのは、チーズケーキだけではない。暮らしの中にチーズケーキがあることで生まれる豊かな時間や、記憶に残る体験だ。それらを実現するため、Mr. CHEESECAKEはチーズケーキだけではなく、それ以外の要素にも気を配り、「より豊かな時間や空間をつくる」ためにさまざまな工夫を凝らしている。言わば、Mr. CHEESECAKEを「レストラン」に見立てる試みだ。
田村氏「レストランは特別な空間なんです。ただ食事が出てくるだけではなく、みんながちょっとお洒落して、背伸びをするような気持ちになる場所。料理と向き合うときに心がまえするから、いっそうその体験が記憶に残る。日常に張りが生まれる、あの凜としたたたずまいをMr. CHEESECAKEとして表現できたら。僕らが挑戦しているのは、お客さまのご自宅でもレストランのような体験を提供することなんです」
田村氏は製造スタッフに、「梱包も、お客さまに対してできる接客の一つ」と伝えているという。つくり手にとって、おいしいチーズケーキをつくるのは当然のこと。梱包は「付帯作業」のように思われがちだ。けれども顧客側からすれば、パッケージは一番初めに目にし、手で触れるもの。「梱包をきれいにすることは、レストランのエントランスをきれいにするのに等しい」というのが、田村氏の考えだ。
「レストランならでは」の接客をイメージした仕掛けは、ほかにもある。同梱されているメッセージカードには、詩が綴られている。田村氏のチーズケーキに対する思い入れがうかがえる内容だ。これはかつて田村氏が働いていた南フランスのレストランで出されるパンに、「おばあちゃんが焼いてくれたパン」にまつわるストーリーを綴った紙を添えていたことから、着想を得ているという。
また、同梱されているカードにはQRコードが記載されていて、田村氏による「Mr. CHEESECAKE のこだわり」の説明を音声サービスで聞くことができる。レストランで料理が運ばれる際、ホールスタッフが丁寧に説明するのと同じスタイルだ。
田村氏は「あくまでも主役は、人と人が関わりあい、ともに過ごす時間とその場の空気。それを記憶に残すための手段として、Mr. CHEESECAKEが存在している」と語る。では、なぜ田村氏は「記憶に残る時間や体験」を重視し、それを具現化しようとしているのだろうか。
田村氏「食べものの味や香りは、楽しかった記憶、嬉しかった記憶と紐付くことが多い気がするんです。僕の父親は4月生まれなのですが、いつも誕生日は五目ご飯と決まっていました。だから五目ご飯を食べると、家族で食卓を囲んだ『春の記憶』をいつも思い出す。そういう体験って、人生でそうたびたび起こることではありません。
だからこそ、Mr. CHEESECAKEが誰かの大切な人との楽しい時間と記憶に紐付いて、ふとした瞬間に『いい時間を過ごせたな』『そういえばあのとき食べたチーズケーキ、おいしかったな』と思い出してもらえたら、すごく光栄なことだなと思っています」
世界に向けて表現する、チーズケーキの「わびさび」
大切な人や気の合う人とともにテーブルを囲む。そこにMr. CHEESECAKEと、お気に入りの食器やペアリングした紅茶があれば、いっそうその時間はかけがえのないものになる──。ある意味、そういった時間を持てることそのものが価値のあることなのかもしれない。
田村氏「僕自身、シェフ時代はまったく食事に気を遣っていませんでした。睡眠時間を削りながら働いて、深夜にコンビニのパスタを食べるような生活です。でも歳を重ねるにつれ、あと何回食事をするんだろうか、自分の時間を何に使おうか……と考えるようになる。意識していないと、一回一回の食事の大切さや、その時間の豊かさを忘れてしまいます。Mr. CHEESECAKEが、改めて食の時間や、誰かと一緒に過ごす時間の豊かさを思い出すきっかけになれば」
そしてMr. CHEESECAKEが目指すのは、名実ともに「トーキョーチーズケーキ」となることだ。田村氏は2016年にフランスから帰国後、休日ごとに訪ねた食材の生産地は約30に上る。全国を回る中で気づいたのは、本当にいい食材をつくっていても、正当に評価されていない生産者が多いということ。「価値がある良いものを、誰かが『価値がある』と伝えなければいけない」と、田村氏は使命感を覚えたという。
田村氏「料理人は、生産者や食材の“語り部”になれるんです。僕が料理人として、自分が良いと感じる食材を使い、つくりつづけることで、お客さまに日本中の優れた食材を知る機会を提供できる。結果として、地方や日本の魅力を引き立てることに貢献できたら」
日本にはポテンシャルがある──そう語る田村氏が目指すのは、Mr. CHEESECAKEの海外進出だ。ニューヨークチーズケーキやバスクチーズケーキに続く「トーキョーチーズケーキ」として、Mr. CHEESECAKEをグローバルに展開しようとしている。そのコアとなるのは「余白」だ。
情報があふれ、わかりやすいものが持てはやされる世の中。つくり手側が完璧にストーリーをつくりこむのではなく、食べる人が踏み込める余白を残し、一人ひとりが思いをめぐらせる──。その表れが、SNSの「#MRCHEESECAKE」「#ミスターチーズケーキ」で広がる世界なのかもしれない。そこには見事なテーブルコーディネートもあれば、大切な人やペットとの一コマ、無造作に置かれたクーラーバックもある。一人ひとりの日常のフィルターを通せば、「Mr. CHEESECAKEのある風景」は実にさまざまだ。
田村氏「僕は日本の、わびさびや機微を愛でるような精神性が好きなんです。グローバルでやっていくからには、その余白をブランドとして昇華して、Mr. CHEESECAKEで表現したい。チーズケーキにとどまらず、食器や花器など伝統工芸品も発信して、『そういう文化を愛でる時間が豊かだよね』という価値観をつくりたい。それが今、僕が日本で仕事をする意味だと考えています」
文化を発信する布石として、2022年5月には新たにオリジナルスプーンを発表。石川県に拠点を置くクリエイター集団・secca inc.と樹脂メーカー石川樹脂工業株式会社との協業により、わずか薄さ0.3mmのスプーンを開発した。まさに日本の技術の粋を集めた結晶だ。Mr. CHEESECAKEのある風景は、これからもそれぞれの暮らしの中で、多彩に広がっていくだろう。
執筆/石田哲大 編集/大矢幸世 撮影(人物)/伊藤圭