ぐりとぐら。だるまちゃんとてんぐちゃん。はじめてのおつかい。
タイトルを聞いただけで、子どものころの記憶が思い起こされる。かつて自身が読んでもらった絵本を、親として子どもに読み聞かせている人も多いだろう。福音館書店は、累計100刷を超えるようなロングセラー作品の宝庫だ。2022年、創立70周年を迎えた。
児童書には「楽しむのは子ども」「購入するのは大人」という構造がある。だからこそ同社では、大人の願望の押しつけになっていないか、本当に子どもが楽しめるかどうかを大事にしている。
今、子どもたちを取り巻く環境は大きく変化している。デジタルのサービスや媒体が浸透し、また多様性を包摂するよう社会の意識が変わり、出版物の表現も見直されつつある。
子育てに関する情報があふれ、絵本選びにまで“正解”を求める親の不安を受け止めながらも、「これからも1冊1冊が子どもの心に残るようにしたい」と、代表取締役社長の佐藤潤一氏は話す。佐藤氏と、月刊絵本『こどものとも』を長く担当してきた関根里江氏、月刊誌編集部長の石倉知直氏への取材から、福音館書店の絵本がなぜ支持されているのかを探った。
“社会からの預かりもの”としての事業運営
福音館書店の原点は、1916年にさかのぼる。石川県金沢市にて、カナダ人の宣教師がキリスト教関連の書籍を扱う書店「福音館」を創設。その名称は、神の言葉を意味する福音(ふくいん)に由来する。徐々に一般書籍も扱うようになる中、日本人経営者への譲渡を経て、1952年より出版事業を開始し独立。出版社としての福音館書店が発足した。
現社長の佐藤氏は、事業を引き継いだ日本人経営者の孫にあたる。自身が参画した際には、出版事業を切り拓いた伯父の松居直(ただし)氏から「福音館は佐藤家のものではなく、神様がつくった会社。それを第一に考えて経営をしていきなさい」と言われたことが強く印象に残っているという。
佐藤氏「今では特にキリスト教系ではありませんし、社員の信条ももちろん自由です。ただ、この事業は私たちだけのものではなく、社会からの預かりものなのだといった精神は皆の心にあると思います。『こどものとも』初代編集長の松居は滋賀の出身で、近江商人の『三方よし』の考え方にも通じていました」
発足の翌年に創刊した『母の友』をきっかけに、子どもや子どもの本にかかわる人との接点を深めていった同社。1956年に月刊絵本『こどものとも』を、それを分割する形で1969年には『かがくのとも』を創刊した。
現在は、発達段階に合わせて細かくラインナップを分けている。物語の絵本として5〜6歳対象の『こどものとも』を軸に、年中、年少、0~2歳の乳児向けをそれぞれ発行。科学系の絵本として5〜6歳対象の『かがくのとも』、3~5歳対象の『ちいさなかがくのとも』などをそろえている。
いずれも廉価で手に取りやすいソフトカバーで制作され、特に支持された絵本は、のちにハードカバーとして改めて書店に並ぶ。購入方法は書店での単冊販売と、書店店頭や代理店を通じた定期購読があり、幼稚園や保育園を介しても定期購読できるため、保育や幼児教育の現場とのつながりも築いてきた。
佐藤氏によると、月刊絵本の創刊が、自社のいちばんの転機になったという。1年に12冊、異なるテーマを扱うことで、「次に何が届くのか楽しみ」「こんな作品を喜ぶのだと発見がある」と支持を集め、事業の安定をもたらした。男の子なら乗り物や昆虫、女の子ならかわいらしい主人公が出てくる本……といった大人の先入観が加わらず、子どもの興味の幅を広げている。
佐藤氏「大人はつい、子どもの年齢より少し背伸びした、具体的に学びがある本をあげたくなりますよね。でも、お兄さんお姉さんになってきたように見える子どもも、ナンセンスな言葉遊びの絵本をすごく喜んだりするんです。
そんな意外性の積み重ねで、子どもたちと親御さんにいつも期待してもらえているのではないかと思います。70年間、事業を続けてこられたのは、月刊絵本の存在が大きいです」
絵本づくりに必要な、子どもの視点と大人の視点
発見の機会とあわせ、もうひとつ月刊絵本が生み出したのが、福音館書店を支えるロングセラーの絵本群だ。毎月送り出されていく作品の中から、世代を超えて愛されるタイトルがいくつも生まれている。1960年代、70年代の作品が今なお読み継がれていることも少なくない。
佐藤氏「出版業界も大人向けの本だと移り変わりが激しいですが、子どもの本はロングセラーがベースです。ある時代の子どもたちがすごく喜んだ本は、その後もずっと支持されることが多いんです。流行り廃りのようなものが、あまりありません。
たとえば僕が好きな『しょうぼうじどうしゃ じぷた』なら、今ではこんな古めかしい消防車は走っていませんが、根強い人気があります。子どもにとって、楽しいことやわくわくすることはいつの時代も変わらない、普遍的なものなんですね」
子どもの“本の楽しみ方”は、今も昔も変わらない。佐藤氏の話に、『こどものとも』の編集に携わって25年ほどになる関根氏も同意する。
同社の絵本は、どれも「大人が子どもに読んであげる」ことが念頭にある。毎月、絵本ができあがると、関根氏らは保育園で先生から子どもたちへ読み聞かせをしてもらうという。話に夢中になる様子から、むしろ今の子どものほうが、より絵本の世界を体験したがっていると感じることすらあるそうだ。
関根氏「最初に絵本の購入を決めるのは大人ですが、実際に子どもたちが喜んでくれなければ、ロングセラーに育っていくことはありません。特に年中さんや年長さんは、骨太なストーリーを存分に味わうことができる時期。物語の構造がしっかりしていれば、頭の中で絵を動かして、本当にすっぽりと想像の世界に入り込んでいくんです」
『こどものとも』シリーズは、6歳までのわずか6年を前述のように4種類にも細分化している。年齢による理解度や興味の違いを細かく捉えて「その時期に必要な“栄養”をとってもらえたら」と関根氏。たとえば0~2歳の乳児向けなら、絵本を読む大人とのスキンシップを通して心地よくなれるよう、それを助ける五感やリズムを大事にしている。
また、長く読み継がれる絵本をつくるために、編集部が制作にかける期間も長い。作家に並走して1冊を仕上げるのに平均で2~3年、10年以上かかった作品もいくつか。関根氏の経験でもっとも長くかかったのは22年だという。
関根氏「毎月必ず新しい絵本を出していますが、まったく世界観が違うので、同じことをしている感覚があまりないですね。長くお付き合いいただいている作家の方々だけでなく、常に新しい方を探していますし、次はどんな世界にしようか、どんなお話なら驚くかなとじっくり話し合って取り組んでいます。
お付き合いのある作家の方々は、子どもたちが喜ぶ世界をよくご存じです。たとえば『ぐりとぐら』の中川李枝子さんは保育士をされていましたし、『だるまちゃんとてんぐちゃん』の加古里子さんも、生活に困難を抱える人を支えるセツルメント活動に長く携わっておられました。若い作家さんも含めて、子どもたちへの温かいまなざしがあります。ご自身と子どもの一対一の関係を思い描きながら、いちばんいいものを差し出そうとする姿勢を、いつも感じていました」
どの本も、子どもの視点を第一に制作している、と関根氏は話す。子どもたちが求めている喜びを描くことを大事に、自分の幼少期の感覚も思い出しながら、もう1回読みたい、何度も読みたいと言ってくれる世界をつくることを目指している。
そのためには、作家との信頼関係が欠かせない。作家が表現したいことに寄り添い、背景にある思いを客観的に掘り下げながら、それを子どもがどう受け止めるのかを心で感じ取る。作家自身がいいと思って表現したものを精査して、もっと膨らむ部分や不要と思われる部分について、理由や提案を添えて意見していく。
関根氏「胃が痛くなりながら……。自分がいかに子どもの感覚をつかんでいるかが問われますね。子どもの代表のような立場で、でも同時に経験を積んだ大人として何を子どもに差し出すか、深く話をする必要もあります。
だから、すごく子どもで、すごく大人でないといけないんです。それが、絵本編集者の仕事の難しくもおもしろいところですね」
「この世界は生きるに値する」と感じられたら
物語絵本の「こどものとも」シリーズに対し、「かがくのとも」シリーズは、その名の通り科学をベースにしたノンフィクションだ。動物や植物、天候、電車などの機械にいたるまで、さまざまな自然や物理化学の領域を扱っている。ほかに最初から単行本で出版する科学絵本もあり、2022年発行の『ホホジロザメ』は著者による配信イベントを実施、会場から本物のホホジロザメを紹介するなど力を入れる分野だ。
今でこそ、STEAM教育などの注目に伴い、科学系の凝った学習図書も各社が多く出している。その中で、それぞれのテーマを「子どもの身の回りにあることのひとつ」として捉える福音館書店のアプローチは少し異色でもある。
『ちいさなかがくのとも』編集部に15年ほど在籍し、現在は月刊誌の編集部長を務める石倉氏は、別の出版社で週刊誌を担当した後に福音館書店に入社。一人が3~4冊をじっくり制作し、年単位の作品もめずらしくない現場に驚くばかりだったという。
科学の本といっても、知識を教えていくというより、物語絵本と同じように「子どもの楽しみのためにある」ことが根本にある。石倉氏は、松居氏から「子どもにとって、それが無理強いでない限り、何かに出会って知っていき、自分の周りのものについて理解を深めるのは本質的に楽しいことだ」と教わったと話す。
石倉氏「知識を与えることを第一の目標にしたら、それこそ教科書ができあがると思いますが、福音館書店の科学絵本はそれとは違います。“お話”として楽しんで本を閉じたとき、身の回りに親しみを感じられる存在がひとつ、ふたつと増えている。そんなことを目指して企画をしています」
子どもがノンフィクションの内容を“お話”として楽しめるために、年齢によって伝え方やテーマの選び方にも気を配る。たとえば3~5歳向けの『ちいさなかがくのとも』では、描かれているものに実際に出会えるかどうか、自分の目で見たり手で触れて試したりできるかどうか、などを加味しながら表現を検討している。
その背景にあるのは、子どもたちがその対象に愛着を抱けるように、という観点だ。たとえば『あのくも なあに?』では、冒頭から次のように話が展開される。
あのくも なあに? なんだろね。
カーテンぐもだよ、あのくもは。
たかい おやまの てっぺんに
ねぼすけきょじんが すんでてさ、
あさの ひかりが まぶしくて、
くもの カーテン しめたんだ。
きっと そうだよ。そうかもね。
石倉氏「1回ご覧になっただけでは、どうしてこれが科学の絵本なのかと思われるかもしれません。でも『雲は水の粒が空に浮かんでいるんだよ』と言っても、小さな子どもにはイメージが湧かない。言葉だけで伝えても、実感が伴わなければ興味を持てません。
だったら事象を理解できる年齢になるまで、ただただ雲を見上げてその形のおもしろさに心を留めて想像をふくらませられたらと、担当編集者が作家の方々と話し合いながらつくりました。雲という存在が、その子にとってより楽しい存在になればいいなと。
そんな存在が自分の中にひとつずつ増えていくと、現実の世界に愛着を持てるようになりますよね。そこから、子どもたちが『この世界は生きるに値する』といったことを感じてもらえるようにもなると私たちは思っています」
「絵本は何冊読むべき?」不安を抱く親の状況
『こどものとも』も『かがくのとも』も、子どもが普遍的に興味を抱くテーマを捉え、本づくりを重ねてきた。だが、子どもたちは変わらない一方、大人の絵本への関わり方は、時代とともに変化している。特にインターネットが普及し、子育てに関する情報があまりに膨大になった結果、絵本選びや読み聞かせの“正解”を探してしまう傾向があるという。
情報の量だけでなく、広がり方やそのスピードの変化も、親をむやみに焦らせている。かつては幼稚園や保育園からの情報や、親同士の口コミが絵本選びの主な情報源だったが、今ではSNSなどで玉石混交の評判が目に入る。そこには、必ずしも子どもの素直な反応ばかりが書かれるわけではない。
メディアで一気に話題になる本は、売るための話題づくりによって大人の間だけで盛り上がり、当事者不在になっているかもしれない。「読むのは子ども」「買うのは大人」という構造がある以上、そうした状況は「いい本を読んであげたい」と考える親の絵本選びを一層難しくしている。
関根氏「以前より『絵本が子どもの育ちによい』といったことが認知されてきて、読み聞かせをがんばろうと考える親御さんも増えています。とても熱心で、いいなと思う反面、何が正しいのかを探しながら不安に思っていらっしゃる感じもします。どんな本がいいか、何冊読めばいいかなどの質問も、多く受けるようになってきました。
教育のために絵本を読まなくてはと思うと、少し大変ですよね。それより、親御さんも子どものころに帰った気持ちで、楽しんで読んでいただけたら。たとえば『自分の好きだった本を、一対一でたっぷり読んであげて、子どもと楽しい時間を共有するのもいいですよ』とお答えしています」
佐藤氏「大人は、何でも早く結果を得たいものです。子どもの習い事にしても、ちょっとやればすぐにうまくなることを期待してしまう。でも、そもそも読み聞かせは、何らかの結果が出るものではありません。20年後、30年後にぼろぼろになった本を見て『こんな時代もあったね』と振り返る機会があればいいと思って、事業を続けてきました。
たった3分や5分ですが、読み聞かせは子どもが大人を独占できる時間でもあります。それは、これから親御さんがもっと忙しくなるかもしれない中で、より大事になるのではという気がします」
福音館書店の絵本は、いわゆる“キャラクターもの”でもなく、テレビで大々的に取り上げられるような派手さもない。子ども向けの娯楽もこれだけ増えている中、「子どもに選ばれやすいものではないと思っている」と佐藤氏は率直に打ち明けるが、外出自粛の影響などで、絵本の良さが見直されている実感もある。
佐藤氏「私たちの書籍はどれも、パッと作家に依頼して1、2カ月でつくったものではありません。プロセスや制作の意図を理解して選んでもらえるよう、親御さんや園の先生方に、もっと私たちの考えを発信していかないといけない。そして、本を読む本当のおもしろさを、改めて多くの人に伝えていきたいと思っています」
他方で、時代の変化を真摯に受け止め、自らを変えていかなくてはならない側面もある。特にロングセラーが多い福音館は、人々の意識や社会のスタンダードが変わったことで、過去に発行した絵本に対し「お叱りを受けることもある」という。たとえば、ひと昔前なら幼い子どもだけで野外で遊んだり、留守番をしたりするのも普通だったが、今ではそうした行為は批判の対象になりかねない。
特に、かつては一般的だった母親ばかりが家事をしているようなジェンダーロールの偏りや、さまざまな観点での多様性をどう捉えるかは、これからの絵本づくりで強く意識しているという。毎月、社内で勉強会を設け、直近の話題や参考書籍などを通して理解を深めている。
石倉氏「少し前に園の先生から聞いた話だと、シングルでお子さんを育てる方も増えているので、お母さんと子どものペア、あるいはお父さんと子どものペアが強調される作品は読みづらい、と。そうした意見を踏まえて、『この作品は本当に両親そろって描く必要があるのか』、また『1年のラインナップを通して登場人物が父親か母親のいずれかに偏っていないか』などを考えるようになりました。
家庭の形の多様化だけでなく、いろいろな国にルーツを持つ子どもたちが園で一緒に遊ぶようにもなっています。この先、園の様子を描くときは、それも加味すると思います」
関根氏「ハンディキャップの描き方も、意識する項目のひとつです。いくつもの領域での多様性を考え、マイノリティの方々が生きにくさを感じない世の中をよくイメージして、子どもたちへの適切な表現を皆で探っています。まったく偏見がない人はいないので、話し合うことでお互いの無意識の偏見に気づき、取り除いていかないといけません。
一方で、表現ばかりを気にすると、お話がつまらなくなってしまうこともあります。作家の方々が捉えたこと、伝えたい本質が変わってしまうこともある。そうならないように、相談しながら作品の方向性を考えています」
絵本は、親子の「間」にあるもの
社会の要請を踏まえながらも、「作品を見る眼がいちばん厳しいのは、やっぱり子どもたち」と関根氏。作品を生み出すまでは苦労しても、作家とともに納得できるものをつくれたときには、子どもたちが本当に喜んでくれる。その様子を見られると、思わずガッツポーズをしたくなるという。
関根氏「『もう、いっかい!!』とせがんでくれると、本当にうれしいですね。幼児期は、人生の土台をつくる時期だと思います。想像の世界を楽しんで、発想が豊かになれば、その先の現実を乗り越えていく力になる。また、楽しい世界を共有できると、親子の関係、保護者の方や先生と子どもたちとの関係も強くなります。
『絵本によって子育てを助けられた』というお話を親御さんから聞くと、絵本には、大きな力がある。親子を深いところでつなげる力があるんだなと実感しますね。大人は現実の世界に押しつぶされそうになることも多いですが、毎日ほんの少しでも、心の余裕が生まれる時間を子どもと過ごしてもらえたらと思っています」
70周年を迎えた節目には、いくつかの記念企画を展開した。そのうちのひとつは、同社の最初の雑誌『母の友』の人気連載から選りすぐった書籍『こどもに聞かせる一日一話』だ。石倉氏は、「福音館書店の絵本は、大人が子どもに読んで聞かせるものというところがベース。その根幹が、ここにあるのでは」と話す。
石倉氏「そばにいる大人の肉声で、物語を通して子どもを包んであげる習慣を持つ。そんなコンセプトの本に反響をいただいて、とてもうれしいですね。子どもが満足したら大人がページをめくって、また満足したら次のページへと、絵本は関係性を前提に楽しめる魅力があります。
ただ、子どもはすごく敏感なので、大人の側の『教えよう』といった狙いの気配はすぐに察知されてしまいます。コストパフォーマンスが重視される今だからこそ、絵本だけは、ただ子どもの楽しみのためにあるとお伝えし続けたいです」
他の出版物と同様、絵本の市場もすでに商品があふれ、ロングセラーも昔ほど生まれにくくなっている。時代の移り変わりに伴い、適切に入れ替わらなくてはならない側面もある。その中で、「この先長く残したいもの」をどう生み、届けるかが、福音館書店の課題だと3人は話す。
周年は、あくまで通過点だ。これからも、創立から大事にしてきたことは変わらず引き継いでいく。「ただし、“福音館らしさ”にとらわれすぎないように。現場とともに、常に挑戦し続けたい」と佐藤氏も言葉をつなげる。今の子どもたちを見つめる姿勢から、この先にまた長く楽しまれる絵本が生み出されていくのだろう。
取材・執筆/高島知子 撮影/伊藤圭 編集/佐々木将史