音楽や演劇、古着など、多様なカルチャーが生きる街、下北沢。そこで今、じわじわと人気を広げる、新しい“カルチャーショップ”がある。
その名は「発酵デパートメント」。「世界の発酵みんな集まれ!」を合言葉に、発酵食品・食材、調味料、お酒など、500点以上の商品を扱う専門店だ。この場所に、古くから発酵文化に親しんできた世代だけではなく、20代から30代前半の若い世代が集っている。
「ストリートファッションの若者たちが醤油とか日本酒とかどんどん買っていくんですよ」と話すのは、発酵デパートメントのオーナー兼発酵デザイナーの小倉ヒラク氏。
「発酵」という、多くの人にとって決して馴染みのなかった文化を、どのように伝え、届けていったのか。今、人々はどのような体験や価値を求めて、発酵デパートメントに集うのか。小倉氏に、これまでのあゆみと共に聞いた。
発酵文化を知り、体感できる“オールアバウト発酵”の専門店
発酵デパートメントは、レコード店や独立系書店、カレー屋兼バーなど、下北沢らしいユニークなショップの集う商業施設「BONUS TRACK」の一画にある。
店に入ると、ずらりと並んだ発酵食品や調味料が目に飛び込んでくる。いずれも一般的なスーパーマーケットではお目にかからないものばかりだ。
店内には、レストランスペースや書籍コーナーも併設されている。発酵にまつわるイベントやワークショップも定期開催するなど、発酵食品を買うだけでなく、その文化を体感し、学ぶことができる場所となっている。
日中の昼間も客足は途切れず、賑わっている発酵デパートメント。今の状態になるまでには、いくつもの苦難があったという。
納豆キットが即日完売?「正解はわからない」と確信
2020年に発酵デパートメントを立ち上げる以前から、小倉氏は日本全国、世界各地を訪ね、さまざまな発酵食品や発酵文化を調査・収集。発見や気づきを、ユニークな手法と世界観で表現、アーカイブしてきた。
2017年に出版した書籍『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』は、発売から一週間で重版出来、2019年に渋谷ヒカリエで開催した展覧会『発酵ツーリズム展』には5万人が来場し、ミュージアムショップの売り上げは88日間で2000万円近くに上った。
発酵デパートメントも、そうした取り組みの延長線上にあった。『発酵ツーリズム展』の人手やミュージアムショップの売り上げが注目を浴び、現在店舗を構える複合施設、下北沢BONUS TRUCKから出店を誘われたのだ。
小倉氏「正直、お店を作るつもりは1ミリもなくて、そんなリスク負えないですと話してました。ただ、5坪の小さなスペースと聞いたので『まぁやってみるか』と思ったんです。
そしたら、その後に『メインテナントでもいいかな』って言われて。そのとき僕、忙しくて、ノリで『わかりました』と言ってしまったんですよね。7倍くらい広いんですよ、その場所。家賃も半端ないだろうし、困ったなと。そういうスタートだったんです」
“半端ない家賃”のために、小売メインではなく、飲食のサービスも提供することで、何とか粗利を確保しようと考えた。
そのうえ、前述の展覧会を通して、発酵のコアなファンが全国にいることは小倉氏もわかっていた。商品として扱える自身のコレクションは山ほどある。「全国のコアな人たちが来てくれるだろう」と予想していた。
が、その目論見は大きく外れることになる。
2020年4月にオープンした3日後、新型コロナウィルス感染症の拡大に伴い、緊急事態宣言が発令された。オープン直後、最も賑わうはずのタイミングで、小倉氏曰く「敷地はみごとに無人!」。客足はほとんどなく、「1ヶ月くらい暇で、『終わった』と思った」という。
しかし、ゴールデンウィークを過ぎた頃から、様子が変わり始める。ぽつぽつと人がやってくるようになったのだ。訪れた人たちは皆、好奇心溢れる表情で、発酵食材や調味料を眺めていた。
小倉氏「なんで来てくれたんですか?と聞いたら、みんな自炊のレパートリーを広げたいって言うんです。自粛期間も長くなってきて、自分のレシピではない新しい何かを求めていたのでしょう。
そこから『あの店に行くと、面白い食材があるらしいぞ』と、じわじわお客さんが増えていきました。当時、スタッフは自宅待機で、僕が店頭に立っていたので、醤油や味噌の使い方とかも説明していて、それがさらに口コミになり、ご近所さんを呼ぶ…..といった循環が起きていました。
それから最初の1年間、決して発酵のリテラシーが高いわけではない近所の人たちと、向き合う日々が続きました」
顧客が増えていくにつれ、小倉氏がとある疑問を抱く機会が増えていく。それは「なぜこれが売れるの?」というもの。代表的な例として納豆づくりキットの話をしてくれた。
小倉氏「発酵デパートメントは、仲卸(製造業者や生産者と小売店の間に位置する卸売業者)を介さず、自分たちで製造元とやりとりをしているので、他の小売店が軒並み自粛していたコロナ禍には、余った商品が送られてきたんです。
その中に納豆メーカーの方が送ってくれた、納豆づくりキットのサンプルが紛れていたんですね。『ぜひ取り扱ってほしい』と言われたので、キットを試しに置いてみたんです。正直、誰が買うんだろうと思いながら(笑)」
とりあえず5個だけ、雑にどさっとレジ横に置いた。すると、予想に反して、一人、また一人と、納豆キットを手に取っていく。
気づけば、たった1日ですべて売り切れていた。
小倉氏「え?これ買うの?って。びっくりしましたね。
最初は僕、買おうとするお客さんを止めていたんです。納豆作りってセンシティブなので大変ですよって。でも、子どもが自宅待機で暇だからやってみたいとか、納豆一回作ってみたかったとかおっしゃって帰っていく。そして、納豆を作ってみて、できたら僕にまた見せに来てくれるんです」
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意外な売れ行きを示すのは納豆キットだけではなかった。メーカーから送られてくる段ボールに、スペースが余るからとおまけで入れた商品が売れたり、特殊な発酵原料である黒麹を使った甘酒が流行してテレビで取り上げられたり。「誰が買うんだろう?」と思ったものが売れていく。逆に「売れるだろう」と思ったものが、全然響かないこともあった。
小倉氏「1年間営業して、『正解』は自分たちの中にないのだなと再確認しました。僕は、基本スタンスとして、お客様を啓蒙するのは嫌いなんです。ここに来る人はそれぞれ成熟した個人であり、お客様と僕は、対等な個人同士という感覚があります。
『世界の発酵みんな集まれ!』を掲げて、発酵にまつわるものは全部置くというスタンスで営業してきたのも、僕がコレクター気質だからだけではなく、『これが本物です』と店側から提示したくないから。
みんな多様で、みんな変態的な部分がある。どんなものが好きで、何に愛着を感じ、エクスタシーを覚えるかは読めない。だから、『誰が買うんだろう?』と最低限の基準をクリアした商品は、とりあえずやってみるかで仕入れようと、1年くらい経って覚悟を決めました」
「誰が買うんだろう?と思っても置いてみる」とスタンスを明確にすると、より一層、色々なものが持ち込まれるようになる。
最近では、甘酒や寒天で菌を育てる『菌かわいい倶楽部』といったECの企画も生まれた。「誰が喜ぶんだよ」とツッコミを入れたくなる企画を、楽しみながら立ち上げる。メーカー側から「ここなら売るだろう」とユニークな提案が届くこともある。「メーカー側も、お客さん側も悪ノリし始めてる」と笑う。
買う側も作る側も「正解はわからない」という前提のもと、ありとあらゆるものを集めてくる。そのカオスな状態を、小倉氏は東北で生態学者から聞いた「良い土の話」と重ねている。
小倉氏「良い土ってなんだろうという話になったとき、生き物や微生物、植物、小動物など、多様な生き物が暮らしていることが『良い』の基準なのではという話になったんです。
特定のよい生きものだけに絞ると、脆弱な生態系になるので、土のレジリエンスがなくなってくる。だから、長いスパンで、環境変化に柔軟に対処できて、色んな食物を実らせたり、色んな生きものを宿せるのが、良い場所ではないかと。発酵デパートメントはそれに似ていると思うんですよ」
新たな発見を楽しむ。若者集うレコード屋のような場所
そんな“良い土”に、なぜ人々が惹かれ、集まってくるのか。小倉氏は、日本全国、世界各地で、発酵文化のフィールドワークを重ねてきたときと同様、店舗にて顧客を観察し続けている。
観察の目を持ちながら、直接日々顧客と触れ合う中で、「レコード屋をめぐる感覚で訪れているのではないか」という仮説も生まれた。
小倉氏「僕自身、20代の初め頃にDJをやっていて、レコードに凝っていた時期があったので、掘り出し物を見つける楽しさがわかるんですよね。自分にぴったりのものが見つかって嬉しくて、夢中になる。そういう価値を食の領域でも実現できているのかもしれないなと。
特にここ2、3年はレコード屋とかTシャツ屋と同じように、文化の入り口としての役割が期待されるようになっている感覚があります」
ひとたび入り口に足を踏み入れると“発酵沼”は深い。当初は「醤油にも種類があるんですか?」といったリテラシーの顧客も「みんなマニアックになっていった」と話す。商品を販売するだけでなく、発酵にまつわるイベントやワークショップ、ポッドキャストなどを通して、どんどん顧客のリテラシーも高まっていく。
小倉氏「最近も、白醤油という大変珍しい醤油を、普通にお客様が買おうとしていたんです。『大丈夫ですか?』って止めるんだけど、意外と色々試行錯誤して、楽しそうに使っていたりして。それをまた報告してくれるんですよ」
大変だと言われても、自ら手を動かしてやってみようとする人たちが集まる。その姿をみて、小倉氏は、発酵デパートメントに“DIYの精神”が漂っているのを感じる。
小倉氏「発酵デパートメントは、ライフスタイルを提案していますが、提案の仕方は『こういう生活が素敵ですよね』より『ここにあるものを使って、いいと思うライフスタイルを組み立ててください』という感じ。これが本物ですと訴求するのではなく、『こんな変なのありますよ』とか『こんなものが作れます』と伝えているんです。
だから、かつて米国やヨーロッパにあったDIYショップに近い空気をまとっているのかもしれません。『Whole Earth Catalog(※)』の運営していたショップみたいに、自分たちで生活のインフラをつくっていく。そういう人のために、必要なツールや機材が置いてあるようなお店なのではないかと」
そして、そういうお店に人が集まる背景には、人々の抱く「消費者であり続けることへの疑問」があるのではと話す。
小倉氏「社会が成熟していくと、当然ですが、消費者であり続けることに対して、違和感を持つ人が増えていく。成熟度が高まれば高まるほど、そういう疑問を持つ人が、マジョリティに近くなっていくのは、基本的なことわりだと思うんです。
日本もそのフェーズに入ってきていて、ガチのプロの生産者ではないけれども、単なる消費者でもない、中間の存在が出てきている。
そういう人たちにとって、毎日の生活において欠かせない食の領域、なかでも一定の手間と時間をかける必要のある発酵は、相性の良い存在だったのではないかと捉えています」
最近の観察結果や考察をたずねてみると「若い世代の『おしゃれ』と思うものの感覚が変わってきている気がする」と共有してくれた。
小倉氏「今40歳近い、僕と同じ世代の人が若い頃は、洗練されて質の高い“ハイファイ”なものが良いとされていたと思うんです。ですが、今は逆にベタなもの、磨かれすぎていない“ローファイ”なものに惹かれる人が増えてきた印象です。
友人のサウンドプロデューサー曰く、今アメリカで一流のミュージシャンはあえてヴィンテージ機材を使うらしんです。なぜかと聞くと、最新のソフトウェアだけを使っていると、いかに速く、正確に最適解に辿り着くかの勝負になってしまう。だから、あえてローファイな機材を使って、そこにしかない手ざわり感やノイズをうまく呼び込むのだ、と。
ハイファイが極まりすぎると、逆にローファイの大事さが際立つ。これって音楽に限らず、文化全般にあてはまるのではないかと。
発酵という文化も同じです。発酵を駆使した最先端のビジネスやテクノロジーといった文脈もある。けれど、発酵デパートメントを訪れる人は、もっとローファイなものを求めている感じがします。整っていなくてもいいし、時間や手間がかかって面倒くさいけれど、手触りがあって、楽しい。若い世代ほど、そういうものを求めている印象があります」
臨界点を突破するまで耐える店舗運営
「何に使うの?」と思えるニッチな商品と、新しい発見への興味とDIY精神を携えた人々が集まり続けてきた。その結果、今の発酵デパートメントは「臨界点を突破したと思う」と小倉氏は語る。
小倉氏「とにかく商品の種類を増やし続けると決めて、やり続けていたら、ある時から在庫回転率が妙によくなったんです。恐らく需要と供給がやっと一致した、臨界点を突破したんでしょうね。
ニッチなものを探してる人が『あの店にはニッチなものが沢山あるらしい』と認知してくれるようになった。ここに辿り着くまで、ひたすら商品の種類を増やし続けるのは辛かったですが、血の涙を流し続ける必要があったのだなと思います。まぁ、今も流しているんですけど(笑)」
臨界点を突破し、ニッチな商品も次々に売れていく。そんなお店の状態をみていて、ふと小倉氏は、お客様が商品を買った先で「どう使うか」の部分もサポートしたいと考えるようになる。
そこで始めたのが、さまざまなサブスクリプションサービスだ。ユニークな発酵食品と、それらを用いたレシピ、レクチャー動画などをまとめて、定期的に顧客に届けている。それは発酵デパートメントなりの「落とし前」でもあるという。
小倉氏「日常の中でどう使うかを提案しないと、困ってしまうだろうなって思ったんです。普通は商品を買ってもらうためにレクチャーすると思うんですけど、みんな僕が止めても買っちゃうから(笑)落とし前をつけるというか、フォローするような感覚ですよね」
顧客の「面白い!」という衝動を最大限リスペクトする。それは、その先に、多様で面白い生き方が花開くと信じているからだ。
小倉氏「店舗でお客さんの話を聞いていると、みんなとても面白くて、不思議な生き方をしているんです。マスメディアをみていると、社会が画一化しているとか、ポピュリズムに向かっているとか言われていけれど、社会は成熟に向かっているし、生き方や人生の多様性を尊重する人は増えている。お客様と触れ合っていると、そう信じられるんです」
2023年の春先には、コーポレートメッセージを刷新した。発酵デパートメントが向き合いたいのは、関わる人の人生を面白く、発酵させること。そうした願いを込めて「Ferment Your Life」を掲げた。
小倉氏「そもそも発酵というものは、酵素を触媒として変化を起こすもの。発酵と出会って生き方が変わったり、実家の地方に戻って全然違う仕事をやり始めたり。そうやって発酵というのは、人生をよりよく、面白い方に変えていく。その方向性や『どうよりよいのか』は、人によって違う。
少なくとも共通しているのは、発酵が、その人に変化をもたらす。ここに来たら、その人の人生に変化が起こるような、願わくば、それがポジティブなものになるような場にしていきたいし、そういう事業にしていこうという思いを込めました」
コーポレートメッセージを表現したコンセプトアニメ
臨界点を超え、少しずつ経営も落ち着いてきた……と思いきや、発酵デパートメントのカオスは加速している。このところ海外からの問い合わせが絶えず「グローバル化が急務」だという。
小倉氏「海外では、発酵を実践する人が自らを『ファーメンター』と呼ぶそうです。そういうファーメンターたちに、発酵デパートメントが有名になっているようで。海外の方からもめっちゃ声をかけられるんですよ。
『ヒラクさんですよね?』って言われて、どこから来たのか聞いたら『メキシコです。この前の学会の講演聞いてました!』みたいな。とても嬉しいですけど、びっくりですよね。そういう人が種麹とか菌とか買って帰るんです。
発酵ツーリズム展の誘致も多くて、最近では『フランスにお店出しませんか?』って聞かれたこともあります」
海外からもニッチなものを求める人々が集まったとき、発酵デパートメントはどう変化していくのか。「さらに混乱の度合いが高まってくると思います」と笑いつつ、小倉氏の軸はこれからも変わらない。今日も、じわじわと時間をかけて、この場所を、文化を発酵させていく。
小倉氏「とにかく長く続けることが大事だと思っています。そして、長く続けるためには急ぎすぎないこと。成長はしていいけど、膨張はしないよう。じわじわとこの場所を、文化を発酵させていきたいです」