福岡県の久留米で靴を製造し続ける「ムーンスター」。身近なところでは学校の上履き、専門分野では厨房や医療機関で履かれる靴に重点を置き、専門的な靴づくりを続けてきた。前編では2019年にスタートした新ブランド「810s」について聞いたが、後編は遡って2011年に生まれたファクトリーブランドの「Shoes like pottery」を掘り下げたい。
810sを通して新たなフェーズに突入したようにみえるムーンスターだが、140周年を迎える数年前からその変化ははじまっていたようで、その一翼を担っているのがShoes like potteryだという。
この靴は国内ではごく少ない工場でしか製造できないヴァルカナイズ製法(加硫製法)をつかって焼き上げることで、しなやかで丈夫、かつ足の動きに沿った柔らかなソールを実現。その最終工程がまるで陶器(Pottery)を焼き上げるようだとして、“Shoes like pottery(陶器のような靴)”と名付けられている。さらに、それまでの工程でも熟練の手仕事にこだわって作られており、プロセスに対しての強い意識も垣間見える。
ではなぜこうした手間のかかる製法をわざわざ採用しているのだろうか。その背景を聞くため、福岡・久留米にあるムーンスターの工場を訪ねた。実際に製造工程の順を追って見ながら話を聞いていくと、靴を履く人への真摯な思いが聞けた。
ヴァルカナイズ製法をもう一度
久留米で創業したムーンスターの工場は、今なお同じ久留米市にある。ヴァルカナイズ製法という特有の設備、技術を有した工場は国内でごくわずかなため、この工場では15を超えるムーンスターの各ブランドの靴を製造しているだけではなく、OEM(他社から委託を受けて生産すること)の生産も行っている。陰の立て役者としても日本の靴づくりを支えてきた同社は、2009年にあらためてムーンスターがどうあるべきかと考えはじめた。
当時はファストファッションの隆盛への反発からか、国内の民芸や職人の手仕事への注目が高まった時期でもあり、ムーンスターの若手社員は手作業が欠かせないヴァルカナイズ製法に着目した。これが後にムーンスターという企業の可能性を大きく膨らませていくことになる。
まずはShoes like potteryの立ち上げに関わり、マーチャンダイザーとしてそのブランドとともに歩んできたライフスタイル企画部の松永氏から話を聞く。
松永氏「始まりは13年前の2010年、福岡で開催された『デザイニング展』という展示会で『焼き物みたいな靴展』と銘打った発表の場をもったことがきっかけでした。当時、この企画を考えたのは、私を含めた入社数年目の若手社員数名。この製法そのものは古くから続く量産技術のひとつなのですが、手作業で次々に仕上げていく姿が若手社員から見れば新鮮に写ったんです。
この製法で作っていることを新たな切り口でアピールしてみよう、と立ち上がったのですが、展示会用なので設備投資はできない。そのため展示会の時点では、Shoes like potteryのアイコンになっている丸い水色のゴムも、社員自ら手作業で型を作って温めて柔らかくしたゴムに押し付けて……とほぼ手作りの状態でした(笑)。これはシーリングワックス(封蝋)といって、手紙や瓶の封をする際に、書き手などの印を押すことで差出人を証明する蝋状のもので、“ムーンスターが作りました”と証明するイメージでつけています」
Shoes like potteryの靴を見せてもらうと、一見変哲もないスニーカーに見えるものの、イエローがかったソールとそこに配されたシーリングワックスから、ひと目で“なにか特別な”スニーカーではないかと期待させてくれる趣きがある。
キャンバス、つまり布で作られたスニーカーにも関わらず、履かずとも布部分がよれずにシルエットを保っていることで、見慣れたキャンバス地のスニーカーよりも上品な印象。これらはほぼ全工程を職人の緻密な手仕事によって手掛けられているからであり、工程にかけた苦労はデザインだけではなく寿命や機能性も向上させている。このような靴を手がけるまでには、単純な商品開発以上の思惑があったという。
松永氏「2011年の時点では、ムーンスターのヴァルカナイズ製法はOEMで用いられることが多く、販売値は5000円を下回るような値付けが中心だったため、大量生産・大量消費で売上を立てるような状態でした。ですが、従来と同じ売り方ではなく、もっと小ロット(少ない生産量)で作り、ブランドとして価値も高められる商品を作りたかったんです。
当時はトレンド的に国内の技術や職人の手仕事といった背景への注目が高まっていたし、私たちはせっかく貴重な設備をもっている上に、技術力もある。ムーンスターのものづくりをリブランディングする意味でヴァルカナイズ製法を打ち出すことにしました」
メーカーとしては充分な評判を得ていたが、消費者に知られる“ブランド”としてはまだ伸びしろがあったため、この靴をきっかけにイメージを更新しようと思い立った。わずか4名の若手社員が思いついたアイデアは、展示会に来たお客さんからの評判もよく、順調に製品化へと進んでいく。
松永氏「ただ、こうしたブランドを新たに立ち上げて売ろうとしても量販店以外に販路を持っていなくて。キャンバス地のスニーカーを一万円前後の価格で売ろうとするには、売り方から考える必要がありました。
そうこう考える中で、福岡で当時、久留米絣を使ってアパレルの企画販売をされている『GOOD WEAVER』社と知り合い、翌年の業者向けの大規模展示会『For Stockists Exhibition』にGOOD WEAVER社のブースに並べてもらったことが大きな契機になりました。このイベントは名だたるブランドや企業のバイヤーや企画の方が来るような催しで、その場で声をかけてもらった方々を中心に販路をひらいていこう、と決めました」
ここまで紹介してきたように、この靴の魅力はビジュアルに限らない。国内では貴重なヴァルカナイズ製法であり、緻密な手作業で作られ、こうした背景を含めた価格になっている……とそのバックグラウンドを伝えるためにも、従来より丁寧に消費者とコミュニケーションをとれる方法を考えたという。この綿密なコミュニケーションは功を奏し、背景に共感した人によって広がっていく要因にもなった。
松永氏「この靴の目的は大きな売上を立てることではなく、あくまでも“ヴァルカナイズ製法”を通してムーンスターのことを知ってもらうこと。なのでお店のコンセプトや雰囲気に合っているか、この製品の魅力をしっかり理解してもらえそうかといった点に焦点を絞って、今なお厳正に販売店を限定しています。販路を絞った方が売れる、という戦略ではなく、きちんと知ってもらうためにはそうせざるを得なかった、という方が近いですね。
でもこれほど靴のルーツにこだわったからこそ、編集者・岡本仁さんやCLASKAの大熊健郎さん、さらにロサンゼルスの雑貨屋『TORTOISE GENERAL STORE』といった目利きの方々が見つけてInstagramなどで紹介してくれたのだと思います。そのおかげで国内のバイヤーには日本製のヴァルカナイズ製法のスニーカーを再発見してもらえましたし、図らずも世界中に広がるチャンスになりました。本当にいくつもの奇跡が最初の『For Stockists Exhibition』で重なったんだと思います」
ひとつのアイデアが、内から企業を牽引する
4人の社員からはじまったアイデアは、ヴァルカナイズ製法を通してムーンスターの技術力を世間に伝えるものとなった。このブランドの成功がもたらした変化はそれだけではない。ライフスタイル企画部の部長である宝蔵寺氏に、その影響を聞く。
宝蔵寺氏「Shoes like potteryは実際に有名な方々がInstagramなどで紹介してくれたことも相まって、口コミで商品を探してお店に来てくれる人もいたと聞きますし、その後、使っていく中でこの靴の良さを感じてくれて、再度同じ靴を購入してくれるような方もいるんです。履き潰すまで使ってもらえて、その後もムーンスターの靴を選んでくれるというサイクルは私たちの目指す姿でもあるので、我々の技術や背景が伝わり、お客様にも共感を得ている証なのかなとも実感しました。
なので、この商品はムーンスターの名前を広げていく上でキーになる商品なんです。従来と販売経路も商品のコンセプトも違うからこそ、どのような売り場で売れ、どのような人々によって買われていくかの手がかりを知ることができる。これはムーンスターという企業にとって重要な経験で、この靴を受け入れてもらえたことで従来の大量生産・大量販売ではない売り方も考えられる余地ができたと思いますし、一足の靴がビジネスモデルを拡張する可能性まで産んでくれたと思っています」
松永氏「『810s』や『In Use』、『FINE VULCANIZED』なども現在同じライフスタイル企画部という部署で担当しているのですが、Shoes like pottery以前はこうした新ブランドを考える部署さえない状態でした。Shoes like potteryの成功なくてしては、今に続く新興ブランドもあったか定かではないですし、ムーンスターのブランドを再提案していく大きなきっかけになったと思います。『ムーンスターです、こういう靴を作っています』という自己紹介を端的にできるモデルなんです」
数々の新ブランドを作るきっかけになった一足、と考えるとShoes like potteryというブランドが違う魅力を帯びてくる。単にパッケージを変えただけではなく、古くから続く技術をもう一度研究し直して作ったからこそ得られた発見も多いそう。
松永氏「端的にいえば、この靴の素材はキャンバスとゴムだけ。なので、生産の過程でもしミスをしてしまっても、ゴムは練り直すことができて無駄が少ないんです。歴史的には手間がかかる生産方法だとされてきましたが、コストも削減できるうえに廃棄も少なくなるので、今となっては現代的な価値観に一致しているのかもしれません」
宝蔵寺氏「海外製の極端に安価なヴァルカナイズ製法のスニーカーと比べて、私たちのスニーカーはつま先や靴底、かかとの部分などのゴムの配合を部分的に変えることで極力疲れにくい仕様になっています。購入する時点ではわかりづらい部分ではありますが、履けば、履き続ければわかる使い心地がある。こうして、改めて一足のスニーカーの常識から見直して改善を重ねるやり方は、ムーンスターの他のブランドで培ってきたアイデアや技術を取り入れました」
手間暇をかけて靴づくりを行うだけではなく、さらにその先の消費者の手に渡るまで、手に渡ったあとまで考えている姿勢が垣間見える取り組みがある。それが「6ヶ月製品保証」だ。これは購入してから半年以内、初期不良が原因で破損や不具合が起きた際に商品を返送し、それが初期不良が原因と判断されると、同等製品と交換してくれるプログラムだ。
宝蔵寺氏「10年前まではあまりムーンスターという名前を表に出してこなかったのですが、シンボルマークを刷新した際に、あらためてムーンスターの名前を自己紹介する意味でも『このシンボルマークがついた商品はすべてムーンスターが品質を保証します』と、はじめた取り組みです。綿密な検品を経ているので基本的には初期不良はないだろう、と確認して出荷していますが、履き始めてから起きてしまう初期不良もあって。そうした不具合をケアするためにも行っています。
このような姿勢は、創業者が“一人ひとりのお客様に最適な履物をつくる”という意味で掲げた『御誂向 御好次第(おあつらえむき おこのみしだい)』という言葉を再解釈するかたちで継承したもので、今では『使われてこそ価値がある』というメッセージに更新して大事にしています。さらに、この取り組みによってどのような不具合があるか発見する機会にもなりましたし、より“つくりのいい”靴を作るためのお客様との会話のきっかけにもなりました」
“靴づくり”というアイデンティティを追求し続ける同社の姿勢は変わらず、最近では近隣の小学校に加え、取引先といった関係者向けに広く工場見学を実施している。従来はOEM品の生産が多くを占めていたため、こうした工場見学は実施できなかったものの、自社ブランドであるShoes like potteryが生まれたことで工場見学も可能になった。
宝蔵寺氏「本来、工場を見せることは設備や技術を公にしてしまうリスクが大きいのですが、手仕事の技術力はそう簡単に真似できるものではない。さらに、ムーンスターの靴づくりは工場で働く熟練の皆さんの手仕事なくては実現しないもの。なので、一般向けにはまだ公開できていませんが、ムーンスターに携わる方々や小学生の工場見学などで見てもらって、近隣の地域の方々にも、どのような技術で、どのような姿勢で靴を作っているかをリアルに知ってもらえるように実施しています。
働く方々も最近では取材に慣れてきてくださっていますし、普段は裏方として働いている分、たまに外部の方が来ることで意識も高まったと聞いています」
ただひたむきに靴づくりに向き合うばかりではなく、関係者や近隣住民へも製造工程を見てもらうことで、その真摯な姿勢を伝えようとする姿勢は810sとも通じている。生産者と消費者は直に関わる機会があまりないからこそ、こうしたアイデアを通してコミュニケーションを取ろうとしているようだ。
世界各国の玄関に、久留米のムーンスターを
国内のクラフト熱への高まりを受け、あらためてムーンスターのもつアイデンティティに立ち返ったShoes like potteryだが、トレンドは刻々と変化するもの。販売から10年以上経過した今、制作チームは市況にどのような変化を感じているのだろう。
松永氏「最初はクラフトのスニーカーを珍しいと感じて、感度の高い人が買ってくれていたのですが、今は履きつぶして同じ靴を購入するようなリピーターの方が増えました。さらに、当初は価格も相まって特別な日の一足として選ばれることが多かったのですが、今はなにげない日常の中で履いてくれる人も多くなってきていると感じますね。ハレとケ、と明確に分けるのではなく、日常的にいいものを使いたい、日常的に使ってくたびれても味があるものを選びたい、と思う方は増えているのかもしれませんね」
時代が変化して受け入れ方は変わっても、普遍的にいいものを作り続けたいという姿勢は一貫している。ムーンスターの靴の製造元をみると「MADE IN KURUME」と示されており、JAPANでもFUKUOKAでもなく、KURUMEとしているのには地元で栄えてきた歴史を重んじる姿勢と、ここで続けていく意思が感じられる。これほど大きなブランドになった今、拠点を久留米に置き続ける理由について聞いた。
松永氏「やっぱり今もトレンドは東京が早いので、企画部だけ東京に移したほうがいいのではといわれることもあるのですが、そもそもトレンドを追いかけて靴を作っているブランドでもありませんし、なにより工場と隣接したオフィスで企画して、調整しながら靴を作りあげられる環境はムーンスターにとってかけがえのないもの。なので、拠点を移そうという話にはなりません。
『MADE IN KURUME』の表示を見て、どこの国ですか? なんて聞かれることもあるんですけど(笑)。久留米で創業して続いてきたブランドですし、久留米で続けていくのが自然だから続けている、という感じでしょうか。
鯖江が眼鏡で栄えたように、岡山の児島地区がデニムで栄えたように、ムーンスターが久留米で続けていくことで『スニーカーのまち』と有名になって地域の方々にも還元できればとも思っています。ムーンスターはマーケティングで栄えてきたブランドではなく、創業時のアイデンティティや久留米を中心とした繋がりを大事に守りながら成長を続けてきた企業なので、今後もそのDNAを大切に守りながら、作り手の情熱を届けていけるブランドにできればと。将来的には、世界各国でムーンスターの靴が履かれ、その靴が玄関に並ぶ景色が世代を超えても続いていく、そんなブランドにしていきたいですね」
取材を終えてあらためて感じるのは、手間を惜しまないことの価値だ。その製法の多くを手作りで行っていることはもちろん、販売店舗をごく少数に絞り、接客の中でも丁寧にストーリーを伝えてもらうことで、ムーンスターのファンを一人、また一人と地道につくっていく。それらの取り組みの一歩一歩も、工場での製造工程と同じように手間を惜しまないことで、一般の方にムーンスターブランドを知らしめるきっかけになったのではないだろうか。
140周年を契機として、新たな表情を見せはじめたムーンスター。しかし、どのような新しいブランドを手がけようとも、ひたむきに靴づくりを行い、使ってくれる人の気持ちを考えるといった“商い”の態度は通底している。ムーンスター創業者の掲げた「御誂向 御好次第(おあつらえむき おこのみしだい)」という思いが、150年を経ても受け継がれているのは間違いないだろう。
取材・文/梶谷勇介 写真/タケシタトモヒロ 編集/鶴本浩平(BAKERU)