2月。毎年、この時期に各メーカーからランドセルの新作が発表され、翌年の春に新1年生となる子どもをもつ家族は、お気に入りを探して選ぶ「ラン活」がはじまる。人気モデルは早々に売り切れることも多いため、小学校入学の1年以上前から、親子あるいは祖父母を含めた新1年生家族は迷い、メーカー各社は活況となるわけだ。
そんな中、ランドセルメーカーの中でも頭一つ抜けた知名度と売り上げ、そしてブランド力を誇るのが、土屋鞄製造所だ。
自社工房で職人のワザを尽くしてつくる「工房系ランドセル」の代表的存在。もっとも、土屋鞄の凄みは、優れたものづくりの技術だけではなく、その“伝え方”にこそあるという。
一体、どういうことなのか?
土屋鞄製造所本店に併設された工房を訪ね、聞いた。ランドセルが生まれる過程を置いながら、お伝えする。
ランドセルに求められる、カラフルなニーズ
東京都足立区を縦断して走る、日暮里舎人ライナー。
日暮里から8駅目にあたる西新井大師西駅で降り、のどかな住宅街を歩く。5分も経つと柔らかなベージュの外壁と、木とレンガ使いが印象的な洒脱な建造物に出会う。そして、その中の凛とした革製品の美しさと職人たちの所作に心を奪われる。『土屋鞄製造所』の本店と、併設する工房だ。

土屋鞄製造所 西新井本店
土屋鞄製造所は1965年に足立区で創業したランドセルと革小物のメーカー。創業60年の老舗企業だが、今もランドセル業界を牽引するトップブランドでもある。
支持される理由に、まず「確かなものづくり」がある。土屋鞄ではランドセルの企画・製造・販売までの一連が内製。すべてが職人の手作りで、ランドセルの節々に、“ならでは”のクラフトマンシップを垣間見られる。
たとえばランドセルの角を、ヒダ状に美しく包みこむ「菊寄せ」はその代表。ヒダの数が決められ、咲いた花びらのような仕上げだ。分厚い革を職人技で緻密に縫いあげることで、土屋鞄のランドセルは「美しさ」と「堅牢さ」を両立させているわけだ。

ランドセル角のカーブの部分にヒダの寄っている箇所が「菊寄せ」。角の部分を美しく補強するための仕上げで、綺麗にプリーツを寄せていくのには、熟練の手仕事が要求される。
「ランドセルは子どもが生まれて、初めて6年間も使う本格的なカバンですからね」と株式会社土屋製造所・ランドセル事業企画部部長の小川裕一朗氏は言う。
小川氏「だからこそ『丈夫で質の高い、本物に触れて欲しい』。創業者で厚労省の『現代の名工』にも選ばれた土屋國男の原点です」

株式会社 土屋鞄製造 ランドセル事業推進本部 ランドセル事業企画部 部長 小川裕一朗 氏
商材としてのランドセルの特徴は、使い手(小学生)だけではなく「家族」の意見で選ばれることだ。もちろん使い手の声はもっとも重視されるが、子どもには、まだ品質や使い勝手の良しあしが判断できない。とくに昨今、「ラン活」の時期が早まっている。入学の1年以上前、保育園の年中さんが、これから6年後も愛用するモノを選ぶのは容易ではない。
結果としてランドセル選びは、親や祖父母の声が強くなる。そして職人の手による確かな品質と機能美の高さは、モノの良しあしを知る親世代にこそ響く。価格は6万円台から、中には10万円を超えるものもある。土屋鞄のランドセルが選ばれる大きな理由だ。

革への型入れの様子。土屋鞄のモノづくりは、厳選された革を使用。強度や厚さなど部位の特徴を活かしてランドセルの各パーツを作り込んでいく。キズやシワを避けながら、抜き型を書き込む。
また最近のランドセルのトレンドには「色選びの多様化」もある。男の子は黒、女の子は赤、とジェンダーで押し付けられたのは過去の話。水色、パープル、オレンジ、茶……と性別で色分けせず、各々が好きな色のランドセルを選び、背負う小学生が増えている。
土屋鞄のランドセルは、このトレンドに当然、対応。50色以上のカラフルなランドセルを用意して、選択肢を大いに増やしている。中でもユニークなのは2021年に起ち上げた「RECO(レコ)」シリーズだ。
コンセプトは「自分らしい自由な色選び」。グレー、青、グリーンなどやはり多彩なカラーを揃えているが、とくに装飾を抑えたシンプルなつくりで、高学年になっても似合う色づくりを心がけている。性別などの固定観念にとらわれず、自分らしいランドセルを使って欲しいというメッセージが、むしろ伝わる。
小川氏「カラフルなんだけれども、少し落ち着いた色味にしているのは、やはり長く愛用していただきたいとの思いから。低学年のときだけでなく、高学年になってから「この色にしてやっぱり良かった」とお子様が満足そうにされている……というお声もいただきます」
このように今のニーズにしっかりと寄り添いつつ、職人の技能による堅牢で機能美あふれる「長く使いたくなるランドセル」を提供する。このものづくりの姿勢こそが、大きな土屋鞄のブランド力といえそうだ。

抜き型をあて、 裁断機によって、くり抜くように裁断していく。牛1頭分の革から、約5個のランドセルが作られるという。
もっとも他の「工房系」と呼ばれるブランドも似たような立ち位置でランドセルを製造・販売している。そうした中でも土屋鞄が、頭ひとつ抜けているのは、もうひとつの大きな個性があるからだ。
顧客の 感情に寄り添う「絶妙なコミュニケーション」である。

前胴づくり。土台となるマチの部分を組み立てる。のりで仮止めした上からミシンをかけていき、ぴったりと合わさった丈夫で美しい部品が生まれる。
「駅から遠い店まで歩いた」。その思い出にも価値を
たとえば、自社のWebサイトやオウンドメディア、あるいはSNSを含めたネット媒体。土屋鞄製造所はこれらを使って職人の技、彼ら一人ひとりがランドセルづくりに秘めた思いなどを、美しい写真とともに発信し続けている。
興味深く触れるうち、自然と前出の「菊寄せ」や「イチョウの形をしたマチの構造」が堅牢さと機能美を宿す職人技によってなされるものだと理解でき、高い技術とものづくりのプライドを感じとれる。豊かなブランドストーリーをつかみとれるわけだ。
小川氏「ランドセルの仕事から滲む『品格』のようなもの。それは職人の仕事だったり、こだわりであったりしますが、モノを見せるだけで伝えるのは難しい。しっかりと、価値ある仕事がほどこされ、機能美や堅牢さを裏打ちしていることを言葉や物語でしっかり伝えた。それは現・社長で、2代目である土屋成範が、そもそも抱いていた“思い”でもあるんですよ」

「返し・型出し」という革をひっくりかえして型をつけるための作業台。創業者の土屋國男氏が図面を買いたモノが、今も使われている。
すこし歴史からさかのぼる。
60年前に創業した土屋鞄製造所はもともと百貨店などで販売するランドセルを製造する、「下請け工房」のひとつだった。当時は高度成長とベビーブーム。子どもの数と、子どもたちにお金をかける親が増えたことで、右肩上がりで売り上げは順調に伸びた。
しかし90年代に入る頃には出生率は激減して少子化が顕著になる。ランドセル市場が縮小したうえ、人件費の安い海外でつくられた低価格ランドセルにシェアをとられはじめた。百貨店などの売り上げも落ちて、土屋鞄の受注数も売り上げも激減。一時は倒産の危機にあったという。
この頃に「手伝って欲しい」と母親に頼まれ、まったくの異業種にいた土屋成範氏が家業を継ぐことに。そこで変えたのが下請け工房から「製造直販」への移行。そして、ものづくりの物語を伝える「コミュニケーションの実践」だった。
小川氏「今の社長が会社に入ったとき、取引先や他の職人から頻繁に言われたのが『あんたの父親は本当に腕がいい』と先代のしごとぶりを称える言葉だったそうです。だからこそ『腕の良い職人が作ったすばらしい製品が売れないのはおかしい』と憤りを感じた。ならば、その“良さ”すばらしさ”をしっかりと丁寧にお客様に伝える必要があると考えたのです」

前胴づくりでの「返し・型出し」を終えたパーツ。前胴が歪んでしまうとランドセル全体の出来が左右されるため重要な工程の一つ。
当時は90年代後半でインターネット黎明期。ウェブサイトやメルマガを通して、誰しも言葉や思いを直接エンドユーザーに発信するハードルがうんと低くなった頃だ。そこで、土屋鞄は楽天市場などを手始めに、ネット通販をスタート。早々にダイレクトマーケティングを手がけはじめた。D2Cの走りだ。
BtoBで下請け製造を手がけてきた会社が、toC向けに直販をはじめる。そうなると、当時は流通過程の簡素化から「割安で買える」ことを押し出すのが定石だった。しかし、土屋鞄はそちらには見向きもせず、むしろ余計な流通過程で見えづらくなっていた、職人の仕事ぶりやこだわりを伝えた。
そして「ここまで作り込まれたモノならば、数万円するのは当然だ」と少しずつ認知されていったわけだ。

細かなパーツのディテールにもこだわりながら組み立てていく。そうした一つひとつの要素がブランドの品格につながっている、と小川氏は語る。
足立区の工房に併設して実店舗を作った狙いも同様だ。直販の売り場であるとともに、「職人の仕事ぶり」を間近で見られ、ときに職人がランドセルづくりについて語る言葉も聞ける。それは今の本店にも受け継がれている、本店と工房を併設させた意義だ。来店客は職人の所作から「ランドセルが大切に丁寧につくられるさま」を感じ取れ、モノへの愛着がひとしおになる。
とはいえ、銀座や日本橋、新宿や渋谷といった繁華街ではなく、アクセスも決してよくない足立区の住宅街の店舗。一見、集客にはデメリットしかないようだが、土屋鞄はむしろそれを「メリット」と捉えたのが、すごい。
小川氏「ネットで興味を持ってもらい、モノの良さを感じ取ってもらった方ならば、繁華街になくとも必ず来てくれる、と土屋は確信していたそうです。そもそもランドセルはウインドウショッピングをしてふらっと購入するものではなく、事前に吟味して購入される方がほとんど。繁華街でなければ、店舗スペースも大きくとれてゆったり見ていただけます」
普段いかない駅から遠い立地も、先に期待を抱いてもらえたなら、「店までの行き来の時間も、ご家族にとって忘れられない思い出になる」と、捉え直した。
土屋鞄はプロダクトアウト目線だけではない、「ランドセルを購入する側の体験価値をしっかりひろいあげるコミュニケーション」設計も絶妙なのだ。
中でも、巧みなのが、DMやカタログ、そしてランドセルの箱だ。

ランドセルには150のパーツがあり、作業は300工程ある。大勢の職人が、それぞれの持ち場で効率よく手作業を進めていく。
ランドセルと出会い、過ごす時間に目を凝らして
請求すると届くカタログやDMは、先にあげた「職人の仕事」以上に、生まれたときから小学校に至るまでの我が子の成長を想起させるストーリーを伝えている。
実際に編集チームのスタッフのもとに届いたカタログにはこんなメッセージが綴られていた。
初めて、笑った日。やっと、「パパ」「ママ」と言えた日。
少しずつ、できることが増えていった、長いようで、あっという間の愛おしい日々。積み重ねてきた時間が、ひたすらに幸せを願った日々が、いつか大きくなったあなたの心をそっと、支える力になりますように。
つないでいた手を離し、大きな世界へ羽ばたいていく、小さな一歩。
歩んでいくそのさきが、彩りで満ちた未来であるように、6年間もその先も、願い続けます。
親は親目線で、子どもは自分目線で。ランドセルを通して、あらためて成長を感じるとともに、互いに貴重な時間を過ごしていることに気付かされる。

取材当日は、作業位置を普段の配置から変えてみる、実験的なトライアルが行われていた。丁寧なものづくりにこだわりながら、効率性も考えるべくこうしたコミュニケーションが現場ではなされている。
さらに注文したランドセルが、数ヶ月後に自宅に届くときも「大切な瞬間」ととらえている。
ランドセルを入れた箱を開けると、箱の内側それぞれに、こんなメッセージが大きめに書かれている。
小学校ご入学おめでとうございます
広い世界へ羽ばたいていく、小さくて大きな一歩。
歩んでいくそのさきが、心豊かな未来でありますように。「何だかランドセルが小さくなったみたい……」
そんなふうに感じる卒業式の日まで、背中からずっと、見守っています。
自宅で最初に箱を開けるのは、使い手となる子どもたちだろう。彼ら、彼女たちが読めるように、上の文言には「ふりがな」がふってあるのもぐっとくる。
あらためて、これからはじまる6年間に思いを馳せ、子どもは小さな胸をふくらまし、親は大きく胸をゆさぶられるわけだ。
小川氏「選ぶときも、使い始めるときも大切な瞬間ですが、ランドセルが届いて、開けるときも特別な時間だと思うのです。私達は作り手なので、四六時中ランドセルのことばかり考えていますが、使い手である子どもたちは違います。だからこそ、ランドセルを強く意識していただけるその時間を、豊かで喜びに満ちたものにしたいと考えています」
こうしたエモーショナルなしかけは、自然と口コミを増やす一因にもなっている。各家庭に届いたカタログやDMは、感動の言葉とともにSNSなどでも多く投稿されているからだ。

ランドセルの角を、ひだを寄せてまるで花びらのように包み込んでいく。美しさを生み出すのはもちろん、この一手間を加えることで、ミシンがけがしやすくなり、強度が増す。
加えて、カタログやDMが質感の高い紙を使い、「残しておきたくなる」「誰かに見せたくなる」つくりになっているのも口コミ後押ししていそうだ。
小川氏「ただ、あえてDMやカタログを紙でつくり続けているのは『家族でランドセルを選ぶ時間を楽しんでほしいから』でもあるんです。リビングのテーブルにおいてあったら、自然と手が伸びて、覗けて、ワクワクしてもらえます。それは、親御さんのPCやスマホで覗くWebやメールとは違う体験です」
エンドユーザーの体験をことさら意識して、絶妙なコミュニケーションができるのは、工房からスタートしながらも積極的につみあげてきた顧客とのコミュニケーションの賜物だろう。
工房と併設した本店では、職人が気軽に親御さんと会話を交わす瞬間がある。Webサイトでの問い合わせやメルマガの反応なども、どのランドセルメーカーよりも早くから積み上げて、ノウハウとしてきた。

組み立てたランドセルをミシンがけするまとめの作業。分厚い革をまとめて縫う難しい工程。ここで失敗してしまうと、これまでの作業が泡と消えてしまうため、作業者にも緊張が走る。
また、毎年、全国各地で実施している「出張店舗」の存在も大きい。ランドセル全モデルを揃えて、実際にそれを背負って試し、その場で発注もできる受注会だ。
近隣に実店舗がない地域の方にとっては、直接ランドセルを見て触れて選べる貴重な場。実はここには土屋社長をふくめた役員陣や、普段はランドセルづくりをしている職人たちもその場に立ち、子どもたちや親御さんと言葉を交わす。ただ販売するのではなく、お客様の声を活かす貴重な場になっているからだ。
小川氏「お子さんのランドセル姿をみて目頭を熱くしている親御さんや、カタログでずっと眺めていたお気に入りの色のランドセルに真っ先にかけよって背負って満面の笑みを浮かべるお子さんとか……。活気ある会場に立つことで得られる 情報は本当に豊かなんです。ランドセルに関わるスタッフ全員が、お客様とじかに触れることが、製品や企画づくりには欠かせないものなんです」

最後の検品を経て、ランドセルが完成。梱包の後、楽しみに待つ新1年生の元に届く。
自分たちからは使わない言葉がある
ものづくりの質の高さ、価値をしっかりと伝える。
ランドセルと出会い、使う、その貴重な体験を言葉にして際立たせる。
素晴らしい製品であると同時に、こうしたコミュニケーションを大切にすることで、いち工房からトップブランドへと成長してきた土鞄製造所。
ただ、こうした顧客向けコミュニケーションをする際に、大切にしていることがあるという。
「品格を忘れない」ことだ。
小川氏「少しふれたように『品格あるものづくりを』というのは、創業者である土屋國男も真ん中にある姿勢なんです。菊寄せに代表される節々のていねいな仕上げや、ミシンのひと針にも神経を研ぎ澄ませてつくったランドセルには、得も言われぬ品格が宿る。それが土屋鞄のランドセルなので、それをお客様へお伝えするコミュニケーションにも『品格』が求められると思います」

2026年のコレクション。創業60年を祝して、ファッションブランド「ミナ ペルホネン」のデザイナー・皆川 明 氏が描き下ろしたコラボレーションモデルを始め、ランドセルの色に合わせてステッチのピッチや色を変えたり、ヴィンテージの風味ある金具を採用したりと随所にこだわりが感じられる。
では、品格あるコミュニケーションとは何か? 確かに、言葉や価値観を押し付けることは、品格に背きそうだ。だから、先にあげた性別などで色を分けずカラフルに展開している「RECO(レコ)」レコシリーズも、実は土屋鞄から「ジェンダーレス」と謳うことはない。「自分らしさ」や「自由ないろ選び」と伝えているだけだ。押し付けず、伝えている。
また「工房系ランドセル」とか「ランドセルのトップメーカー」といった表現も、お客様に対して使うことは基本的にないという。我々のようなメディアが評しても、自ら言うのは無粋と考えているからだ。
小川氏「そもそもお客様にとっては、あまり関係のないことです」
かつて年間200万人あった日本の出生数は、直近2024年には「70万人割れ」すると言われている。少子高齢化は止まらず、ランドセル市場は縮小する一方なのは間違いない。
だからこそ、土屋鞄は挑戦を止めない。
2000年頃からスタートさせた、ランドセル以外の大人向け革製品ブランドはすでに多くのファンをつかんでいる。もともと土屋鞄のランドセルに触れてから大人向けカバンを愛用するようになった顧客や、ランドセルの職人技に魅力を感じて購入する顧客なども多い。
長年使っていたランドセルをミニチュアランドセルやパスケースやペンケースにリメイクするサービス。あるいは長年使った土屋鞄の革製品を修理したりリユースするサービスも好評だ。土屋鞄のものづくりの確かさとプライドをさらに浸透させる契機になりそうだ。
欧米や東南アジアなどでは、ファッションアイテムとしてランドセルが注目を集めるケースも。大人向けランドセルが人気を博しつつある。
市場をとりまく環境が変わっても、揺るぎないものづくりの品質と顧客視点のコミュニケーションは、人々の心を掴み続けるだろう。
美しく、堅牢なのは、土屋鞄の変わらぬ強みだ。
取材・文/箱田 高樹 写真/タケシタトモヒロ 編集/鶴本浩平(BAKERU)