今、都市部を中心に、こだわりの食パンを販売する高級ベーカリーが増加している。
例えば、2013年に大阪で創業した高級生食パン専門店の「乃が美」は、約6年で全国150店舗を展開し、1日に6万本の食パンを売り上げる規模にまで拡大している。ほかにも、「銀座に志かわ」や「一本堂」などが有名だ。
一方で、「地方の個人経営のパン屋には逆風が吹いている」と話すのが、パンフォーユー代表取締役社長の矢野健太氏。彼によれば、人口の減少にともない、これまで重要な販路となっていた学校給食や病院への卸の需要が低下。改善の見込みはなく、経営はますます厳しくなることが予想されるという。
そんな状況にあり、同社は地方のパン屋と消費者をつなぐプラットフォームの構築を進めている。冷凍技術を用い、販売場所に縛られない形で、地方のパン屋が製造したパンを都内を中心としたオフィスに届ける「オフィスパンスク」を展開。さらに、一般消費者向けのサブスクリプションサービス「パンスク」を2020年2月から始める。
これらの事業を展開することによって、同社はどんな変化を見据えているのか? 矢野氏に話を聞き、見えてきたのは「地方のパン屋を救いたい」という切実な想いだった。
「立地」というデメリットをなくす冷凍技術
群馬県桐生市。東京から車で2時間あまり、かつて絹織物で栄えた人口約11万人の地方都市にパンフォーユーは本社を置いている。同社は「地域パン屋のプラットフォームとして、地域経済に貢献し、新しいパン経済圏をつくる」ことを事業の目的としている。
矢野氏「都内の百貨店だったら500円で売れるパンも、地方では150円で売られています。それは、地方のパン屋さんの実力が劣っているからではなく、消費者のパンに期待する価値水準が低いから。パンの歴史を紐解くと、戦後に大手パンメーカーが持ち込んだ大量生産システムによって生まれる安価なパンに合わせて、個人商店でも安価なパンを製造せざるを得なかったという経緯がある。そのため、どうしても原材料費や手間をかけられなくなってしまっていたんです。
しかし近年、都心では高級ベーカリーが続々と出店し、パンの価値が認められつつある。そこに販路を拓けば状況は大きく変わるはず。地方のパン屋さんでも、パン職人のポテンシャルを発揮してもらいながら、正当な報酬を得ることができるようになるんです」
このような課題を解決するのが、同社の冷凍技術だ。パンの風味は、オーブンから出たその瞬間から徐々に失われていく。しかし、冷凍することによって、焼きたての風味を閉じ込め、その美味しさをそのまま保存することが可能になる。
近年、テクノロジーの発達によって、冷凍パンの流通量は増加の一途をたどっている。
矢野経済研究所が2019年12月に発表した調査結果によると、市場規模は2014年度の1600億円から、2018年度には1765億円にまで拡大。ホテルやレストラン、カフェなどで提供されているおいしいパンにも、冷凍パンが使われることが増えているという。
同社の冷凍技術は、矢野氏によれば「95%の鮮度を保っている」そうだ。そのパンをレンジで温め直すと、湯気とともに、スーパーやコンビニのパンからは感じられなかった小麦の香ばしい香りがふんわりと漂ってくる。
矢野氏「僕自身、初めて冷凍パンを食べたとき、『こんなに小麦の香りがするんだ』とびっくりしました。これまで食べたパンと比較しても、冷凍パンのほうがおいしかった。
パンって呼吸をしているので、空気に触れているだけで、どんどん鮮度が失われていくんです。なので、お店で買ったパンを持ち帰って食べるよりも、できたてを凍らせたパンを再加熱した方がおいしい状態で食べられるんです。中国ではパンに蓋をして販売している店舗がほとんどになっているのですが、日本ではいまも店頭でもパンが丸出しの状態なので、そこでも鮮度が失われていっています。
冷凍でパンを販売することができれば、立地というデメリットがなくなるし、これまで焼きたてを販売するために早朝から昼までとしていた製造時間も自由に変えることができる。現在、多くのパン屋さんが直面している人材不足の解消にも効果を発揮するでしょう」
パンフォーユーが提携するのは、大手メーカーではなく、地方で頑張る町の小さなパン屋たち。冷凍パンを製造することによって、彼らの生活も徐々に変わっていったそうだ。
矢野氏「提携するパン屋さんの中には、これまで店を閉めていたけど、製造だけにして再び作り始めたパン屋さんや、昼以降は空いていた製造のキャパシティを埋めて生産性がアップしたパン屋さんがあります。冷凍パンが多くの課題を解決しているんです」
パンがオフィスに届くことで生まれる新たな出会い
パンフォーユーを創業する以前は、群馬県桐生市で地域支援を行うNPO法人で働いていた矢野氏。この仕事である冷凍パンメーカーに出会ったのをきっかけにして、冷凍パンの個人向けオーダーメード事業をスタートした。
小麦やバターなどをオーダーメードして好みのパンを提供するこのサービスは、クラウドファンディングでは好評だった。しかし、実際にサービスインしてみると、多くの注文は一度きりで終わり、リピーターまで育ってくれるユーザーが少なかったという。
矢野氏「ユーザーインタビューをしてみると、オーダーメードでパンを発注できることに魅力を感じるのは男性が多くて。パンのメイン購買層となる女性は、ランダムで届いたパンの中からつど好きなもの選んで食べることに喜びを感じることがわかりました。むしろ食べ比べできるような機会を提供することが大事だったんです」
2018年、同社は個人向けオーダーメードから、新たなビジネスモデルを模索した。「とにかく一度食べてもらえるような仕組みにしなければ、冷凍パンの魅力を伝えられない」と感じたことから、オフィスで働く人々に福利厚生としてパンを届けるモデルにシフト。このサービスが、約1年で150社あまりの導入数を誇るまでに成長した。
矢野氏「導入しているのは、社内カフェテリアなどを設計したものの、コミュニケーションが生まれにくいといった課題を抱えている企業が多いですね。毎月、異なったパンが届くオフィス・パンスクを導入することによって『今月はこんなパンが届いてる』と、社員間のコミュニケーションを生み出すきっかけになっています。
それは少量多品種で製造可能な地方のパン屋さんとの協業だからできること。時には、唐辛子を入れたものや、珍しいフルーツを使ったパンも提供して、喜んでいただいています。当初はパン職人にとっては定番メニューを作る方が良いと考えていたのですが、『こんな材料使ったことない』と、チャレンジングな機会として楽しみながら作ってもらっています」
オフィス・パンスクが導入されることによって、オフィスには毎月異なるパンが届けられる。そこでは、パンの配送に留まらず、新たな「出会い」が演出されるという。
矢野氏「オフィス・パンスクでは、2つの面で出会いが起こっています。まず、本当においしいパンが持つ小麦の香りとの出会い。そして、毎月届けられるさまざまな種類のパンとの出会い。
インターネットによって情報が取得しやすくなったことで、偶発性のある出会いが減っているんですよね。ネット上にある情報に頼ってしまうと、街のパン屋に訪れる機会もなかなか生まれません。オフィス・パンスクでは、通常だと出会わないような地方のパンと出会うという偶発性を提供することを大事にしていきたいですね」
地方の小さなパン屋が適切な評価を得られる未来へ
オフィス・パンスクを中心に展開してきたパンフォーユーは、2020年2月から一般消費者に向けてもサービスを提供していく。あんぱんや食パン、カレーパン、バゲットなど、毎月異なったパンを宅配していくとともに、それを製造するパン屋が持っているストーリーを提供。パンスクをきっかけにして、消費者と地方のパン屋をつないでいくという。
矢野氏「具体的な数値目標などもありますが、とにかく最初の1年間はユーザーの方々に喜んでもらうことに注力していきます。積極的に試食イベントなどを展開することによって、冷凍パンの美味しさを知ってもらいたい。
サービス開始当初は、いろいろなパン屋さんの製品をランダムに届ける予定ですが、次の段階では、ユーザーがパン屋さんを指定できるようにしていきたい。多品種高品質のパンを提供するだけでなく、顧客との間に生まれるコミュニケーションを大切にしたいんです。
パンフォーユーが目指すのは、地方のパン屋の価値を上げ、地域経済に貢献するとともに、新しいパン経済圏をつくること。僕らがどのような事業を展開するかによって、パン屋さんのパンの価値が決まります。その責任を感じながら事業を展開したいと思っています」
また、オフィス・パンスクでも、同年2月3日にネスレ日本との協業を発表。おいしいパンとコーヒーをセットで訴求しながらユーザー企業を拡大していく方針だ。企業向け、個人向けと両方のサービスを展開していくことによって、日本にはこれまでなかった小麦の香りがあふれていくことだろう。矢野氏は、顔をほころばせながら次のように語る。
矢野氏「小麦がしっかりと香るおいしいパンを食べると、これまで食べていたものが食べられなくなってしまいます。事実、僕がそういう状態(笑)。ミネラルウォーターの普及で水道の水があまり飲まれなくなってしまったように、おいしいパンしか食べられなくなってしまうんです」
日本全国においしいパンが広がっていくとともに、地方の小さなパン屋が適切な評価を得られる未来。冷凍パンのサブスクリプションサービスによって日本の食と経済を変えるパンフォーユーの挑戦は、まだ始まったばかりだ――。
執筆/ 萩原 雄太 編集/庄司智昭 撮影/須古恵