和食に欠かせない調味料であるしょうゆ。しかし、その出荷量は1990年代以降、徐々に減少している。
背景には“食”の多様化によって調味料の選択の幅が広がったこと、そして“中食(なかしょく)”需要に応えるために惣菜、加工食品、さらに冷凍食品の製造技術が発達した結果、生活者が自宅で料理をする頻度が下がっていることがある。
暮らしに溶け込んだモノであるほど、その価値を改めて確認するのは難しい。そんな中、キッコーマンが提供する「BOTTLE BREW(ボトルブリュー)」は、人々の暮らしに溶け込みながらも、一方で「空気のように当たり前の存在」でもあるしょうゆの価値を再認識してもらうために生まれたサービスだ。
自宅でしょうゆを発酵させることで、最も新鮮な状態のしょうゆを楽しめるだけでなく、隔月で届くしょうゆの元液をつぎ足すことで“継続的に育てる”ことができるのが魅力だ。
同サービスの提供にあたり、しょうゆの価値をどのように捉え直し、その価値を届けるためどうサービスを設計したのか。キッコーマン食品株式会社 商品開発本部 しょうゆ開発部 チームリーダーの花田洋一氏、同チームの島田典明氏に話を聞いた。
“究極の新鮮体験”がもたらす、しょうゆの新たな可能性
BOTTLE BREWの購入申し込みをすると、顧客の手元へしょうゆづくりに必要なキットが届き、自宅で発酵させながら自由なタイミングでそのしょうゆを使うことができる。
花田氏によれば、仕込んだしょうゆはおよそ1~4週間かけて発酵していき、日の浅いものはやや淡い色合いで、フレッシュな香りと優しい味わいが特徴だという。時間の経過とともに熟成が進んでくると色が濃くなり、コクの強い味わいが前面に表れてくる。
同サービスの開発には「究極の新鮮体験」を提供したいという開発チームの思いがあった。長期間の保存も可能なしょうゆの「鮮度」に可能性を見出した背景には、同社の商品『いつでも新鮮』シリーズで得た手応えがある。
花田氏「『いつでも新鮮』シリーズは、使用のたびにボトルの中にあるパックが縮んでいき、密封状態が続くことで鮮度を保ちます。この商品がお客様にも好意的に受け入れられている点から、鮮度の高いしょうゆの香りや味わいは高く評価いただけていることがわかりました。しかし『いつでも新鮮』シリーズでも、本当にできたばかりのしょうゆをお届けできているわけではありませんでした。我々つくり手だけが知る、さらに新鮮なしょうゆの魅力と価値をお届けしたいと考えていました」
花田氏は「しょうゆは広く親しまれている調味料」だとしながら、一方でそこにあることが「空気のように当たり前の存在」とも表現する。生活に必要だがとりたてて好きとも嫌いとも言われない、目立たない存在になっている、ということだ。そんなしょうゆの価値を再評価する要素として、できたてのしょうゆからしか感じることのできない“香り”に注目した。
「今できたばかり」のしょうゆには、そこでしか感じられない繊細な“香り”があるという。その香りは非常に繊細で不安定なため、しょうゆがボトル詰めされて店舗へ送られるまでの間に失われてしまい、店頭でしょうゆを手にする生活者が感じることはできない。
できたてのしょうゆの香りを生活者に感じてもらうにはどうすればよいか。そこで生まれたのが「自宅でしょうゆを発酵させる」という発想だった。
花田氏「しょうゆは複雑な工程を経てつくられる発酵食品です。しかし、魚や野菜と違って材料や環境が整えば自宅の中でつくることができます。とは言え、麹菌や乳酸菌、酵母といったところからしょうゆをつくるのはハードルが高いため、製造工程を少し入れ替えることで自宅での発酵を実現できるようにしました。
ボトルに『発酵元液』と『しょうゆ種』、『杉玉』を入れることで発酵がスタートし、日々変化する味や香りを楽しめる仕組みです。
また、2ヵ月に1回新しい発酵元液が届くため、それをつぎ足していくことでまさにしょうゆを“育てる”感覚を楽しんでいただけるようになっています」
花田氏「毎日の食事にはあまり手間をかけたくない」という志向を持つ生活者がいる一方で、BOTTLE BREWがアプローチするのは趣味や日々の楽しみとして料理をしている層だ。
多くの発酵食品がそうであるように、しょうゆもまた発酵の進み具合によって味や香りが異なる。料理をたしなむ人にとって、好みに合わせてさまざまな使い方ができる点もBOTTLE BREWの楽しみ方の一つになる。
花田氏「発酵が始まってから日の浅いしょうゆは店頭で売られているしょうゆと比べてフレッシュで、フルーティな香り。味もやわらかいため、ドレッシングに使用したり新鮮な魚と合わせたりすると素材本来の味を邪魔しません。また、発酵が進んだしょうゆはコクが出てくるため、味の濃い食材と合わせたり、臭いをマスキングしてくれる効果もあるためクセのある食材と合わせたりするのがおすすめです。
日々変化していくしょうゆを味わいながら『何に合わせたらおいしいか』を自由に考える楽しさを味わっていただきたいです」
顧客の声を拾い上げるための、リアルの場×サブスクという選択
BOTTLE BREWは、新鮮なしょうゆを顧客へ届けるというミッションを実現するために、サブスクリプション型サービスを選択している。
花田氏「私たちがBOTTLE BREWを通してお伝えしたいしょうゆの魅力は、鮮度から生まれる香りと、味わいの変化です。1年かけて熟成させながらしょうゆを使う、というサービスもあり得たかもしれません。しかし、それでは香りが楽しめるできたての状態は最初だけになってしまう。であれば、定期的に新しい発酵元液が届き、常に新鮮なしょうゆを育てて楽しめるサブスクリプションが適していると考えました」
新鮮なしょうゆを家庭で育てて楽しんでもらうために、サービスの入口にもこだわりがある。BOTTLE BREWの利用には、申し込み後の体験会でサービスの概要やしょうゆの製造方法についての説明を受けるか、ハウツー動画をオンライン上で視聴することが必要なのだ。手軽なオンライン申し込みだけで完結せず、利用者にとってはハードルになるとも思えるようなステップをあえて設けている。
花田氏「新鮮なしょうゆの魅力をダイレクトに届けたいという思いがあります。β版ローンチ前に社内でモニター調査を行ったのですが、『つくり方がわかりにくい』という声が複数ありました。しょうゆ会社の社員にとって難しいということは、一般のお客様にとってはさらに難しいはず。購入いただいてもしょうゆをつくれず、サービスを使わなくなるという結末を避けるには、より丁寧にスタートできるように設計する必要がありました。そのために体験会やハウツー動画を通して、サービスについて理解を深めてもらう機会を必須にしたんです」
島田氏「体験会を実施してみて感じたのは、お客様と顔を合わせてコミュニケーションができるというメリットでした。実際に2週間、3週間と発酵させたBOTTLE BREWのしょうゆと、通常の濃口しょうゆを比較していただくと『こんなに香りが違うんだ』『しょうゆって面白い!』という好意的な反応をいただける。そうした生の声を聞けたことでBOTTLE BREWのどこに興味を持ち、価値を感じるのかを知ることができました」
しょうゆの価値向上の先に描く未来は、豊かな食生活を楽しめる社会
同サービスは、顧客が実際に自宅でつくったしょうゆの変化を感じ、多彩な味わいを楽しむために、体験会後にも顧客との接点をつくろうとしている。
花田氏「ウェブサイトで発酵の進み具合によって最適なレシピを紹介したり、プロのシェフにお願いしてBOTTLE BREWを使ったオリジナルメニューを考案いただき、メールマガジンで顧客へ共有したりしています。しょうゆの様々な使い方を知っていただくことで、しょうゆの可能性に気づいてほしいんです」
サービスローンチ直後に木製雑貨店「Hacoa」プロデュースによるチョコレートブランド「DRYADES(ドリュアデス)」とコラボレーションしてつくられた「しょうゆ入りのチョコレート」などはその一例だ。しょうゆには塩味だけでなく「うまみ」が含まれるため、塩味と甘味の対比効果に加え、うまみがスイーツの味に奥行きを与えてくれるのだという。また、フルーツなどさまざまな食材を漬け込むと一緒に発酵させることができ、しょうゆが他の食材の新たな可能性を引き出している。
しょうゆの価値向上が起点となり立ち上がった同プロジェクトだが、その先に目指すのは、各家庭で豊かな食生活を実現することだ、と花田氏は語る。
花田氏「私たちが目指したいのは、各家庭がしょうゆの変化を見守り、育てたしょうゆを使って料理を楽しみ、家族のだんらんが生まれる未来です。
同じしょうゆを使っていても、他に合わせる調味料や加熱時間、食材などさまざまな条件によってその味わいも変化していきます。試行錯誤を繰り返しながらその人にとっての“おいしい食べ方・しょうゆの使い方”のこだわりを見つけていただけますし、お子様のいる家庭なら『この前と味が変わったね』『このしょうゆを使って何を食べたいかな?』といったように食育の観点からもBOTTLE BREWの貢献できる余地があります。発酵過程を見守り、まさに“育てる”感覚になることで、家族間のコミュニケーションを生み出すきっかけにつながればと思っています」
執筆/藤堂真衣 編集/木村和博