子どもたちのために生まれ、社会の変化を捉え、常に変化し続ける学校。自分の学生時代を振り返りながら「ここに通いたかった」と心底、思った。
2016年に開校した「学校法人角川ドワンゴ学園 N高等学校」(以下N高)はドワンゴによる“オンラインメイン” の学校という物珍しさで話題となった。しかし、その本質は、理想とする教育のあり方を掲げ、オンライン・オフラインそれぞれの特徴を活かして、生徒たちに価値を提供している点にある。
「社会が変われば、提供する教育も変わらなくてはいけません」
校長の奥平博一氏は未来を見据えこう語る。新しい教育のあり方を体現し、理想の教育を模索し続けるN高。
N高が目指す教育体験とはなんなのか、奥平氏に話を聞いて見えてきたのは、教育への情熱と、理想の体験を実現するための工夫だった。
教育を受ける目的は「社会で生きていくために必要なことを身につける」こと
奥平氏は小中学校の教員などを経て、39歳から21年間、通信制高校の教員を務めた。高校の種別によって”レッテル” が貼られる社会が根強くあり、生徒たちの可能性が不当に狭められているのではないか。そう違和感を感じた奥平氏が生徒たちのために行動したことで、N高設立へとつながった。
奥平氏「全日制、定時制、通信制など教育課程による分類の違いによって、個人の評価よりも先に就学先の課程そのものに対する印象が前景化されやすい状況がありました。生徒がどんなに頑張って結果を出しても、通信制高校に通っていたり、その卒業生だったりするだけで、評価が低くなる。この現実を変えるために、通信制高校の生徒たちの社会的評価を底上げしたいと考えていました」
一般的な通信制高校では、紙の教材を活用し、課題提出などは郵送によるコミュニケーションが行われている。「ここをオンライン化すれば、もっと学習の可能性が広がる」と奥平氏は考えた。
奥平氏「そもそも、教育を受ける目的とは何でしょうか。私は『社会で生きていくために必要なことを身につける』ことだと思います。社会には、さまざまな仕事があり、人は仕事の対価を得て、自分の生活を成り立たせています。
義務教育を終えたあとの高校には、生徒たちの視野が広がるような教育を提供し、自分で考える力や、自分なりの価値観を育んでもらう使命がある。自分で考える力があって初めて、生徒たちは自分のやりたいこと、自分の進路を決めることができるのです。
生徒たちの希望は多様です。ひとまず卒業することが第一目標の生徒もいれば、海外の大学に進学することを希望する生徒もいます。本来、評価も指導も一律にはできないはず。目指すものが違えば、評価や指導の基準が異なるからです」
生徒一人の希望に寄り添い、評価や指導の基準を持つ。これを実験するうえで鍵になるのが「テクノロジーの活用」だと奥平氏は続ける。
奥平氏「テクノロジーの活用によって教員の仕事を効率化し、生徒に寄り添える時間を増やす。オンライン化によって生徒から得られるデータを分析し、生徒一人ひとりのことを知ろうとする。それによって教育のパーソナライズができるわけです」
それぞれの生徒に、それぞれのコミュニュケーション
N高においてオンラインで行われる教員と生徒とのやりとりは、大切な情報としてログが残されている。生徒の状況や進路希望、興味の変化はデータベース上で管理され、他の教員もアクセスできる。データがあることで教員と生徒の1対1でのサポートだけではなく、N対1のサポートが実現可能だ。
奥平氏「一般的な学校では、教員と生徒とのやりとりには属人的な部分が多く、記録も紙です。指導も教員の経験値に頼るところが大きい。紙や人ベースでは、情報が抜け落ちたり個々人の主観が入ったりするので、生徒の情報の引き継ぎがスムーズにいかない場合もある。生徒一人ひとりを良く知った上での継続的なサポートが難しくなる。N高は、教員とのやりとりが入学前から細かく記録され、指導に活かされています」
この生徒はバイトをしているから連絡は夕方に。あの生徒は顔を出すのを嫌がるからチャットで。教員から生徒への連絡は、それぞれの生徒の状況に合わせる。あの手この手で生徒を理解しようとするのは、どの学校の教員でも同じだが、N高は教員が選べる選択肢が多様だ。
奥平氏「多様なコミュニケーション手段は、生徒にとってもメリットがあります。リアルな学校のホームルームで、40人の前で悩みを打ち明ける生徒はいないでしょう。放課後に個別に相談しようとしても、教員が忙しそうで、相談を諦めてしまう場合もあるかもしれません。
オンラインは『顔が見えないなら話してみるか』『チャットなら簡単に連絡できる』と、気軽なコミュニケーションを可能にしています」
学校には教員と生徒の関係だけではなく、生徒同士の交流もある。一般的な学校のように、生徒同士の友情は生まれるのだろうか。奥平氏は、大人が想像する以上に、生徒はオンラインコミュニケーションに慣れているという。
奥平氏「Slackの新しいチャンネルを作り生徒を招待すれば、生徒同士でどんどん盛り上がる。自己紹介、注意事項、Q&Aと、次々とテキストのやり取りが始まります。リアルに会えば、初対面とは思えないほど楽しそう。まるで昔からの友だちのように気軽な間柄になっています。大人が感じるようなオンラインとオフラインの壁が、生徒たちにはないようです」
一人でなんでもできなくていい。N高の教員は生徒一人ひとりに向き合うことにおいてスペシャリストであれ
N高が生徒に提供したい教育体験を実現するために、工夫をしている点の一つとして、教員の役割が挙げられる。
奥平氏「これまで教員は、なんでも一人でできないといけないというプレッシャーを抱えていました。学校説明会や入学式等のイベント運営、授業の準備、部活動の顧問、大学受験の動向や社会情勢のリサーチ、担任として受け持つクラスの生徒一人ひとりの情報の把握。
やらなければいけないこと、知っておくべきことが多くあるにも関わらず『先生なのに知らないの?』と生徒に言われることは恥ずかしいとされていたんです。でも、これだけ多様な世の中においてあらゆることを知ることができるわけがないし、教員に得意不得意があるのも当たり前なんです。しかし、それを許してこなかった業界の慣習みたいなものがあります。
N高の教員は、生徒一人ひとりに向き合うことにおいてのスペシャリストであり、彼らに必要な機会を理解し、つなげるコーディネーターであることが求められます。それを体現してもらうために分業制を取り入れているんです。
教員の業務が増えれば、その分、生徒とのコミュニケーションが削られます。それでは本末転倒です。N高には、担任や授業をする教員だけでなく、支援センターやデータ処理の専門家、広報部、入学式・卒業式などのイベントの運営や制作物の担当など、多くの専門部署があります。民間企業では当たり前の分業制を取り入れることで、教員は生徒たちに丁寧に向き合うことができるんです」
オンラインは一つの手段でしかない
オンラインが注目されるN高だが、オフラインも重視している。例年は幕張メッセで開催されている「ニコニコ超会議」では「N高文化祭」のブースを設営。「N高のすべて(だいたい)を地上に再現する」をコンセプトに、生徒たちの力で企画の立案、運営を行う。オフラインでの進路サポートも充実している。イベント形式での進路サポートや、N高専用の長期インターンシップ募集サイトもある。実際に、チームラボ、クックパッド、メルカリなどでインターンをしている生徒もいるそうだ。
地方自治体とコラボレーションする職業体験では、農業や酪農、伝統工芸、介護福祉など多様な職種から自分が興味のあるものを選択。業務内容は勿論、現地に泊まりこみ「生活」そのものを体験する。
オンラインで体験できることは、東京にいても地方にいても同じ体験ができる。だからこそ、その場にいないと味わえない体験の価値が上がる。職業を体験したり、住み慣れた場所以外で生活することが、生徒たちにとってはかけがえのない経験になる。
奥平氏「オンラインは生徒一人ひとりにパーソナライズしたサポートが実現しやすい。学習内容はもちろん、私生活や進路のことを相談したいときに、生徒のタイミングでコミュニケーションがとれます。結果的に教員をはじめN高関係者との接点が増え、データも蓄積され、一人ひとりのことを深く知ることができるんです。生徒の視点でいうと自分のペースに合わせたインプットの場として価値があるのではないかと考えています。
一方でオフラインは、複数人で協働しながら答えのない課題に取り組み、アウトプットにつなげる場として適しているのではないでしょうか。寒さや暑さ、痛みや恐れを感じたり、人と対話することの難しさを引き受けながら、他者と関わって何かを作り上げていく。そういう体験をする場として今はまだオフラインに強みがあるのではと考えています。
どちらの手段を活用するにしても大事なことは、生徒に無理強いさせないこと。オフラインプログラムは、希望する生徒が参加できる、選択制です。中には、外に出ることやオフラインでのコミュニケーションに抵抗感を持っている生徒もいるのですが、積極的に参加する生徒も多いです。去年の文化祭には2000人が参加しました」
奥平氏「私たちは、オンラインの学校として注目していただくことが多いのですが、オンライン化は一手段でしかありません。あくまで生徒一人ひとりに向き合うためになにができるのかが大事。そこが置き去りにされてしまっては元も子もありません。
新型コロナウイルスの影響により授業を動画で撮影して配信しはじめた学校も多いと聞きます。授業の動画配信は提供したい教育を届ける手段にすぎない。配信できたからOKではなく、その動画を使ってどんな価値を提供したいのか、動画配信することで提供できる価値を見極めていくことが大切です。通学できるようになったから、配信はやめて従来通りに戻るのではなく、今回経験したオンライン化をどう有効活用できるのかが今後の鍵になってくると思います」
社会の変化に呼応し、変化し続けるのが教育
オンラインとオフラインのメリットを活かしたコミュニケーション。教員の分業制。これまで「学校」という業界に閉じていた教育体験を見直し、新しい教育を提供するN高。「目まぐるしい時代の変化に合わせて、教育もどんどん変化する必要がある」と、奥平氏は語る。
奥平氏「私たちは、枠や限界を作らず、どんどん良い教育を追求していきます。変化を恐れてはいけない。繰り返しになりますが、教育とは『社会で生きていくために必要なことを身につける』ことです。社会が変われば、提供する教育も変わらなくてはいけません」
そもそもネットが当たり前になった社会へ適応していく場としてN高が誕生したとも言えるだろう。ネットカルチャーに馴染んだ学校は、同じカルチャーに親しむ子どもたちから結果的に大きな信頼を得た。
奥平氏「私が過去に見てきた通信制高校の学校説明会には、参加する子どもが少ないんです。保護者だけが参加していたり、連れて来られただけの子どもも多く、意見や気持ちが見えない。
N高の説明会には、子どもたちが保護者を連れてきます。『この学校がいい』と、保護者を説得するために説明会に参加する子どもたちの多さに驚きました。
子どもたちが、自分で考えて、自分で学校を決める。今まで所属していた学校を辞めて、転校する。子どもたちのとても大きな決断を、保護者が認める。『自分で決めて、認めてもらう』からこそ、学校を辞める子どもたちも少ないのです」
自ら自分の生き方を選択し、行動に移す。N高の教育を受けた生徒はどのように成長していくのだろうか。「生徒一人ひとりによって成長のカタチは違うと思っているので、一概に言うのは難しいですね」と前置きした上で奥平氏は次のように語る。
「一人ひとりが、『昨日の自分と比べたときに、今日の自分はちょっと違うな、成長しているな』という経験はしてもらえていると思っています。
正直、確認する術はありません。でも、そう信じています。少なくとも私たちは、自分らしい成長を感じてもらえるように卒業まで全力でサポートしています。
そのためにもN高は、社会のあらゆる変化に対応し、子どものたちに様々な舞台を提供し続けます。それこそが理想の教育だと考えています」
執筆/葛原信太郎 編集/木村和博