ふわりと軽やかなそのストールは、カシミヤ製だという。鮮やかな黄色は、布を糸で縛って染め出した、見事な“有松鳴海絞り”によるもの。400年前から名古屋市有松で続く伝統技術だ。
『suzusan(スズサン)』は2008年にドイツで生まれた、ファッションとホーム&リビングを展開するブランド。ストール同様、すべてのプロダクトに有松鳴海絞りを使うのが特徴だ。江戸時代から続く日本の伝統技術であり、伝統工芸品だが、感度の高い欧米各国のセレクトショップがこぞって取り扱う。
ディオールやヨウジヤマモトといったハイブランドとのコラボも絶えず、前出のカシミヤのストールなどは、あのマドンナも愛用しているそうだ。それだけでもグッとくるが、痛快なのは、CEOでクリエイティブディレクターの村瀬弘行氏が「ファッションはツール、手段として使っている」と公言していることだ。
suzusanは消えかけていた有松鳴海絞りという伝統技術を、ファッションを通して残す。今もこれからも愛用されるための“更新”をはかりながら、世界へ届けているのだ。
なぜsuzusanはドイツで生まれ、今に至ったのか。世界中のバイヤーやファッショニスタたちに支持される理由とは? 今シーズンの展示会会場で、村瀬氏に聞いた。

ドイツの学生寮から、suzusanが生まれた理由
「最初はまったく興味がなかったんですよ」
suzusanのアイデンティティともいえる“有松鳴海絞り”を指して、村瀬氏はそう振り返った。
名古屋市緑区にある有松地域は、旧東海道の茶屋集落として栄えた歴史を持つ。江戸時代初期の頃は多くの人が交流する場だった一方、土地が狭く農業などが難しい地域だった。そこで旅人向けの特産品として、木綿を糸で絞って染める「有松絞り」の手ぬぐいを作り始めると大人気に。
のちに尾張藩のもとで250年もの間、「日本で絞り染めを売っていいのは有松のみ」とする専売制がとられ、独自の成長を遂げる。結果として、独占的な状態で200種以上におよぶ多様な絞り技法が生まれ、最盛期には1万人もの職人が、狭い有松の地で、技術を磨きあげた。
村瀬氏の実家は、その有松にある。しかも父親も4代目となる有松鳴海絞りの型紙を彫る職人だ。
村瀬氏「有松絞りは工程ごとに分業制がとられ、各家で職人がそれぞれの仕事を施すのが特徴なんです。だから父の仕事はいつも間近で見ていたし、とても身近でしたね。ただ、それだけに……」

suzusan代表取締役CEO 兼 クリエイティブディレクター 村瀬弘行氏
有松鳴海絞りの衰退ぶりも、痛いほど身近だった。
村瀬氏が高校生の頃、2000年前後には、かつて1万人いた職人の数は、父を含めてわずか200人ほどにまで減っていた。生活様式はとっくに変わり、絞り染めの手ぬぐいや着物などを使う人は激減。洋服などに転用するにも、工賃が安かった中国などに職人の手仕事は多くとられていた。
村瀬氏「だから父に仕事を継いでくれと言われることもなかったし、継ぐ気もなかった。僕自身はアーティストになろうと、お金を貯めて2003年、21歳の頃にはロンドンのアートカレッジに進学しました」
意識が変わったのは、ドイツ・デュッセルドルフの美術学校に入り直してからだ。入居した学生寮には、東ドイツ出身のルームメイトがいた。
ある日、「ロンドンでテキスタイルの展示会があるから手伝ってほしい」と父につきあい、参加。会期を終えてサンプルを手に寮に帰り、キッチンのテーブルに置いておくと、そのルームメイトが目を見開いて聞いてきたという。
村瀬氏「『何それ? 絞り染め? めちゃくちゃおもしろいじゃん!』と」

2027春夏コレクションのアイテム。コレクションのテーマは、“COLORS IN MIND”
古代インドに起源を持ち、アジアではポピュラーな絞り染めだが、ヨーロッパにはあまりない製法技術だった。織りや刺繍、プリントなどが古くからあったが、染めの技術はヨーロッパでは発達しなかった。染めに適さない硬水が多いこと、寒冷なため天然染料の原料となる色鮮やかな植物が育ちにくいことなど、いくつか理由があげられる。
そのためドイツ育ちのルームメイトにとって、有松鳴海絞りの美しさと、200種もある文様の多様性は、十二分に魅力的に映った。しかも、彼には別のモチベーションもあった。村瀬氏とは違いビジネス専攻で、起業のタネを探していたことだ。
村瀬氏「『一緒に日本のこの有松鳴海絞りをファッションビジネスで展開させていこう!』と誘われました。そのルームメイトが一緒に起業したビジネスパートナー。固定観念のないドイツ人の彼に価値を認められて、僕もあらためて可能性を感じました。ファッションをツールとして活用すれば、有松鳴海絞りの技術を残せるかもしれないと。そこで勢いのままに、立ち上げたのがsuzusanなんですよ」
社名は2代目の鈴木三郎が起ち上げ、父が継いでいた屋号「鈴三商店」(のちにスズサン)にインスパイアされてつけた。創業メンバーは村瀬氏とルームメイト、そして父親の3人。最初に法人登記した場所は、デュッセルドルフ、2人がシェアする学生寮の一室だった。

有松鳴海絞りを残すために変えた、2つの要素
もっとも、いくらヨーロッパで付加価値が高いと評価される伝統技術でも、ファッション市場をゼロから開拓するのは簡単ではない。そこでsuzusanが選んだ道が、自らを変えていく、いわば「更新力」だった。
たとえば、最初に“更新”したのは、業態だ。
それまで有松鳴海絞りの工房は、企業から依頼を受けて生産するOEM(相手先ブランドでの製造)が主流だった。しかし、村瀬氏はsuzusanを、自ら商品を企画、デザインして売る、ファッションブランドとして起ち上げた。
村瀬氏「OEMだと自分たちで生産量やスピードがコントロールできずに、産地が右往左往させられて、沈んでいく。その様子を間近で見てきましたからね。欧米では目新しい有松鳴海絞りの技術で、仮にファッションブランドのOEMを手掛けると良くも悪くも目立ちすぎる。一過性の流行になる可能性が高いと考えました。それでは『技術と産業を残す』ことを目的とした僕らの意思に反します」
だから、ブランドとして毎シーズン、絞り染めを使った商品を発表していくことにしたわけだ。

有松の職人たちには父が声をかけた。気心知れた職人仲間からの誘いだったこと、その息子がはじめたブランドだったことなどから、スムーズにこの挑戦に乗ってもらえた。
村瀬氏「最初の5年間は日本で一切展開しないと決めて、実際にそうしてきました。職人の方々の取引先に迷惑がかからないように意識したためです。遠く離れたドイツで『村瀬の息子がなんかやりはじめた』ことも結果としてよかったと思います」
最初の商品はスカーフを選んだ。手ぬぐいや浴衣と同様に、平面の布なので作業に慣れていることが理由のひとつだが、これも“更新”した結果だ。
村瀬氏「いくら有松鳴海絞りが手のこんだ良いものでも、使われなければ意味がありませんからね。使われるために、変えるべきところと、変えないまま残すべきところを切り分けました」

具体的には、有松鳴海絞りの特徴を3つに分解。(1)素材(木綿)、(2)技術(手作業による絞り染め)、(3)用途(和装など)と捉えた。
そのうち残したのは(2)の「技術」だけだった。
有松の職人たちの手仕事による絞り染めの工程はそのままに、素材は木綿だけでなく、カシミヤやポリエステル、アルパカなど、あらゆるものを使った。さらに、手ぬぐいや、浴衣などが主流だった用途を、それこそスカーフ、あるいはストールやシャツやカットソー、クッションやブランケットに変えた。
素材と用途を変えてでも、しっかりと普段使いしてもらえる場所に、伝統技術を再編集して提案したわけだ。
大学でアートを学んでいた経験もこの更新を後押しした。
村瀬氏「彫刻の先生に『彫刻という立体物だけで考えるのではなく、その周りに空間があることを考えてつくれ』とよく言われたんです。僕らは『風通しのいいデザイン』と言葉にしていますが、モノそのものだけでなく、それが置かれる空間や、使う人の日常まで考えてデザインしろ、ということだと捉えています。suzusanのデザインも同じで、それが人々の日常や生活の中でどう使われるかを意識しているんです」
つまり、江戸時代に有松で育まれた伝統技術ではあるが、suzusanの有松鳴海絞りのプロダクトは、マンハッタンのストリートやフランクフルトの広場、あるいはチロル山脈が見えるリビングルームで使われても違和感のないようにそれぞれカスタマイズしてデザインされている。

もちろん、各国の日常とニーズを理解して、風通しの良いデザインを実現するのはそう容易くなかった。そこは泥臭い、体当たりの飛び込み営業で地道に積み上げていった知見と信頼が活きたようだ。
起ち上げてから5年くらいは、ビジネスパートナーと2人で試作品を車に積んでヨーロッパ中のセレクトショップを回って売り込んだ。アポがとれないから、ほぼ飛び込み。そこで絞り染めに興味を抱いてくれても、ほとんどが断られる。
村瀬氏「各ショップのバイヤーからは『その発色ではフランスでは売れない』『サイズが大きいほうがいい』と断るための言い訳を言われるわけです。しかし、僕らはこれをほぼすべてかたちにして、もう一度、提案にいきました。そうやってブラッシュアップすることでデザインを磨き、日常使いにあわせていって、じわじわと取り扱い店を増やしていったんです。ほとんど、最後は根負けさせる感じでしたけどね(笑)」
それでも各ショップでローカライズされた風通しのよいアイテムたち。そこに極めて手の込んだ絞り染め技術を忍び込ませたsuzusanのプロダクトは、ブランドとして地位を確立していった。

パリの『レクレルール』やミラノの『ビッフィ』といった有名セレクトショップが、さすがの目利きで早めに扱うようになったのは追い風になった。気がつけば海外で100店舗以上の取引先が。
さらに、2012年には当時、クリスチャン・ディオールのクリエイティブ・ディレクターだったラフ・シモンズが有松鳴海絞りの技術に惚れ込んだ。そして、染める途中の絞った状態をデザインに落とし込み、オートクチュールコレクションで発表するまでになった。
村瀬氏「ディオールのドレスを、有松の80代の職人さんが絞ってつくっていましたからね。面白いですよね」
江戸の絞り染め技術とラグジュアリーブランドが交差する、suzusanが生み出した新たな伝統工芸の価値を象徴するエピソードだろう。更新力がもたらした結果だ。

有松から世界へ、世界から有松へ
感度の高いショップやブランドがsuzusanを毎シーズン扱う。すると感度の高いエンドユーザーがそれを手に取り、装い、自然と有松鳴海絞りに触れる。そして「200種に及ぶ絞り染め技術」「すべて手作業でつくりあげている伝統のすごみ」といったものづくりの奥行きとその価値に、あらためて気づく――。
suzusanはこうした好循環をつくりあげて、ファッションシーンで存在感を増し続けてきた。今年は創業18年目。「ファッションをツールとして使い、有松鳴海絞りという産業と職人を残す」、当初からの狙いも、確実に結果を残している。
そのひとつが「若い職人が増え始めた」ことだ。減るばかりだった職人の数は下げ止まり、今はsuzusanの工房にいる職人は20~30代が中心だという。
村瀬氏「suzusanを通してものづくりの面白さに気づき、門を叩く若者が増えている。しかも日本はもちろん、ドイツや韓国、サウジアラビアなどからインターンに来ている職人も多いんです」
同様に「世界中から有松を訪れる人が増えている」ことも、suzusanが生み出した大きな変化のひとつだ。ワイン好きが、世界的産地であるフランスのボルドーやアメリカのナパ・バレーを目指すように。紳士靴のマニアが、伝統的な靴づくりが息づくイギリスのノーザンプトンを訪れたいと思うように。
suzusanがある有松地域には、いま、「あの有松鳴海絞りの生産地をこの目で見てみたい」という人が、各国から集まっている。2年前からsuzusan自身が新規事業として手がけ、有松鳴海絞りの変わらぬ工程と現場を見せ、ワークショップやショッピングまでが楽しめる町歩きを実施しているほどだ。
村瀬氏「世界的にみても、今もなお400年続く手作業を続けていて、それが間近で見られる場所ってないんです。たとえばラグジュアリーブランドのバッグが好きな人でも、そのものづくりの本当の現場は、パリやミラノで見ることはできません。しかし、有松にはそれがある。流通や生産の技術が高度に磨かれた今の時代は、どこにいても欲しいモノが手に入るようになりました。ただ、そのものづくりの現場、とくにハイエンドのブランドで、それを見る機会は少ないですからね」

suzusanが新規事業として始めた町歩きの様子 写真提供|suzusan
単なる素晴らしいモノというだけではなく、ものづくりの伝統文化として有松鳴海絞りを伝える。そこで得た体験、ストーリーを持ち帰ってロンドンやミラノで、suzusanのストールやシャツを羽織ったときは、気分の“アガり方”が違うはずだ。
村瀬氏「あの子が絞ってくれたストールだ、という思い出は本当の意味で、『一生モノ』になるでしょうからね」
面白かったのは、村瀬氏が最後に教えてくれた「アメリカの西海岸。サンフランシスコあたりのテック企業の人たちがsuzusanの商品を買い、ワークショップに参加する方がとても多い」という話だ。
村瀬氏「手を使って、布を手繰り寄せて、縛って、染める。コピーアンドペーストやAIのプロンプトを書くだけではできないものづくり体験がある。そうしたフィジカルを使った一次情報の感動が本当に求められているんだと思います」
どちらが正しいかという話ではない。
ただ、スピードと効率性を追い求める一方で、スローで手間のかかる文化や考え方にも、しっかりとその価値が認められる。
そんな世の中のほうが、ずっと風通しは良さそうだ。

取材・文/箱田高樹 写真/田巻海 編集/鶴本浩平(BAKERU)




