「三軒茶屋」という地名は、江戸時代、このエリアに3軒の茶屋が並んでいたことに由来すると伝えられている。その歴史をトレースするかのように、駅から少し離れた石畳の道を歩くと現れるのが、ハンドドリップでお茶を淹れる日本茶専門店「東京茶寮」だ。
黒とコンクリートのグレーで構成されたシンプルかつ洗練されたデザイン。「富士山など誰もがイメージするような“日本のモチーフ“を使用せずに、日本らしさを表現したい。そこで、神社仏閣の建築から着想を得て店舗体験をデザインしました」と話すのは、東京茶寮を運営するLUCY ALTER DESIGN取締役兼デザイナーの谷本幹人氏だ。
LUCY ALTER DESIGNは、代表取締役の青栁智士氏と谷本氏によって設立されたデザイン会社。日本文化を新しいスタイルにリデザインするプロジェクト「green brewing」として、シングルオリジン煎茶の茶葉や急須などを販売する「煎茶堂東京」、お茶とその背景にあるストーリーを伝えるお茶の定期便「TOKYO TEA JOURNAL」、今回訪れた東京茶寮を展開している。どれも日本茶をこれまでにない角度から伝える事業だ。
その中でも、一般的にはコーヒーの淹れ方だと認識されているハンドドリップでお茶を淹れる東京茶寮は、口コミを中心に訪日観光客から人気を集めているという。伝統的な日本文化を、本質を残しながら体験ごとリデザインし、顧客の支持を得た同社の取り組みに迫る。
注目されない「お茶文化」をデザインで再興したい
茶葉からお茶を淹れて飲んだ、最後の記憶はいつだろうか。急須を使ってお茶を飲む機会は、もはや旅館などのような非日常空間に限られるかもしれない。
農林水産省のデータによると、一世帯あたりのリーフ茶消費量は年々右肩下がりの傾向にある。一方、炭酸飲料やコーヒー、ミネラルウォーター類に並び、ペットボトル入りの緑茶は増加傾向だ。
「コーヒーにはサードウェーブが訪れているのに、日本茶が局所的にしか注目されないのはなぜだろう」と考えた谷本氏。同じIT企業で役員をしていた青栁氏と意気投合し、デザインを切り口に「お茶」という体験をアップデートするため、起業するに至った。
谷本氏「日本文化に関する本を読み込むと、歴史の大事なシーンには大体、お茶が出てくるんです。日本の文化には禅的な思想や茶道が深く関係し、特に美意識や精神性はお茶の文化に基づいているのでは、と思うようになりました。しかし、現代ではそれが失われつつある。日本人の根っこにあるお茶文化を、デザインの力で再興できないかと考え始めました」
遠く離れた赤道直下から輸入されるコーヒーに比べ、国内に産地をもつお茶。それにも関わらず、自分の飲んでいるお茶は誰が作っているのかわからない。農家の想いや産地など、お茶にまつわる情報を深く伝えることで、お茶を身近に感じる人が増えてくるのではないか。
ちょうどその頃、谷本氏は煎茶の一種「はるもえぎ」を生産している工場を訪れる機会を得た。これが事業化へと大きく動くきっかけになったそうだ。
谷本氏「試飲させてもらうと、驚きの味でした。イメージしていた味と比べ、口に入れたときの味わいが違うと心底思ったんです。ペットボトルのお茶はメーカーが変わっても味があまり変わらないのに、はるもえぎの味は本当に違った。なぜかと思って調べてみると、お茶には“シングルオリジン”と”ブレンド”があることを知りました」
谷本氏によると、私たちが飲むお茶のほとんどは、各地で作られた茶葉を集めて作る「ブレンド茶」だという。常に日本人の身近にある飲み物だったからこそ、いつでも変わらない味を、絶やすことなく提供し続ける必要があった。様々な茶葉をブレンドすることで味を一定に保ち、種類は関係なく大量に生産できる仕組みとして、広くブレンドが採用されてきた経緯がある。
一方、ブレンドされる前の茶葉はシングルオリジンと呼ばれ、ブレンドと比べて作られている土地や気候によって味が変わりやすく、味に特徴が出る。そのため、一般には流通していなかった。谷本氏は茶葉の個性がわかるシングルオリジンに注目した。
谷本氏「茶葉によって異なるシングルオリジンの味に、我々がデザイン会社としてアプローチできれば、新しい体験価値として提供できるんじゃないか。この仮説が大きなきっかけとなり、事業を進めていきました」
バリスタが淹れるお茶、そこから生まれるコミュニティ
ブレンドされ均一化されたお茶に慣れている現代では、茶葉による違いを理解できる人が少ない。顧客が違いを理解し、価値を見出すためには、「店舗デザインなどお茶以外の面からもアプローチをしていく必要がある」と青栁氏は言う。
東京茶寮のメインメニューは、煎茶2種の飲み比べとお茶菓子のセットだ。8種類の茶葉の中から2種類を選び、3度お茶を淹れてくれる。一煎目は70℃、二煎目は80℃、そして最後は玄米を足し、それぞれ異なる味と香りが楽しめるようになっている。
青栁氏「まずは飲んでもらわないと始まらないので、『飲みに行きたい』と思ってもらう要素を考えました。お客様にとってサプライズ要素がないと、お茶を飲みたくなる動機を形成するのは難しい。そこで、“バリスタがハンドドリップで煎茶を淹れるってどういうこと?”という疑問をトリガーに、お客様へ足を運んでいただく動機を作りました」
店内はお茶を淹れる所作に見入ってもらえるよう、文字情報をなくしシンプルな白木のカウンターを設置。バリスタがお茶を淹れる様子に自然と目が行くようになっている。
カウンターは顧客同士が向かい合う「コの字」型に作ることで、顧客の間でも会話が生まれるような仕組みにしたそうだ。
青栁氏「お客様に対してバリスタが一人だと、あるお客様とバリスタとの会話が、自然とほかのお客様にも聞こえるようになるんですね。そこでの会話に疑問を持つと、横から質問ができる。そうやって会話に混ざることで、お客様同士も仲良くなります。
バリスタと会話する中で、自分に合ったお茶を提供してもらえたり、自分の好きな茶葉が見つけられたりすれば、お茶の体験もアップデートされていくのではないかと思っています」
お茶にまつわるデザインは、店舗や場の体験だけに留まらない。同社は「究極にシンプルにお茶を淹れる」ことをコンセプトに、“割れない、熱くない、省スペース”が特徴の「透明急須」をデザイン。銀座の店舗である煎茶堂東京やWebサイトで販売している。
透明急須には急須特有の取っ手がない。哺乳瓶に使われる素材と似た合成樹脂を用いることで、手で握っても熱が伝わらないようにした。この素材により落としても割れにくく、食洗器にもかけられるようになった。
青栁氏「もちろん急須には、使うことで情緒をかき立てる役割もあります。鉄瓶を使った急須は雰囲気があって良い。けれど、扱いにくさから日常では使わなくなってしまうことも懸念される。透明急須は日常的に使用してもらえるようデザインしています」
東京茶寮で非日常のお茶体験をした後は、日常にお茶を取り入れてもらいたい。同社はデザインで「お茶が日常から離れている」という課題の解決を図っているといえる。
Webとリアルでハイブリッドな体験価値の提供を
「非日常」が味わえる東京茶寮に対し、銀座に構えた煎茶堂東京は、透明急須や茶葉などの販売を専門とし、お茶を「日常」に取り入れるための場所だ。店舗を2つに分けた理由は、「顧客の目的によって体験の場所を分けるため」だと青栁氏は話す。
青栁氏「見て、体験してもらう行為と、実際に使ってもらう行為は別のものです。伝えたいことがシンプルであるほどお客様にも刺さりやすく、検証もしやすい。そのためブランド名も分け、店舗も体験ごとに用意しています」
店舗を2つ構えることにはコスト面の懸念もある。しかし、その意思決定は速かったと青栁氏は語る。Webで販売するよりも店舗で体験して購入する方が、顧客にはその価値が圧倒的に深くまで届くからだという。
また、2019年5月にはお茶の定期便、TOKYO TEA JOURNALを開始。2種類の茶葉と、その農家や生産にまつわるストーリーを綴った情報誌が毎月届けられる。
青栁氏「お茶についてお客様に深く理解してもらいたい。店舗だけでは伝えきれないお茶の価値を知ってもらって、飲むだけではない体験価値を提供したいんです。
さらに、情報誌を読んで興味を持った方が、実際に店舗へ訪れる流れを作り、2つの店舗とTOKYO TEA JOURNALを循環することを目指しました。Webとリアルでハイブリッドな体験価値を提供できるようにしています」
生産者の顔が見えるシングルオリジンだからこそ、伝えられるストーリーがある。TOKYO TEA JOURNALは、味だけでない付加価値をお茶に見出したサービスと言えるだろう。
気持ちに寄り添い、選択肢を広げるお茶をデザイン
茶葉の消費量は年々下がる一方だが、青栁氏は「お茶は超ロングセラー商品」と語る。
「お茶のルーツは奈良~平安時代までさかのぼると言われています。伝統あるお茶を扱う者として、生産者へのリスペクトを忘れずに事業を『続けること』を大事にしています」
さらに、「お茶だけを飲んでほしいとは全然思っていない」と、青栁氏は続ける。
青栁氏「食事やその場の雰囲気によって合う飲み物も変わります。たとえば居酒屋での最初の一杯では、ワインを頼むよりビールを飲みたいと思う方が多いですよね。同様に、お茶もペットボトルで飲んだほうがいい状況もあると思います。無理に茶葉から淹れてもらうのではなく、飲み物や飲み方の選択肢の一つとして考えてもらいたい。
日々の中で少しでもお茶を飲む機会を作ってもらえたら、そこで我々のお茶を選んでくれるような動機を作れたら、あるべき顧客体験が作れたと思っています」
今まで選択肢にさえ上がりづらかった茶葉から淹れるお茶を、もう一度選択肢の一つにしてほしい。加えて、谷本氏はお茶に対する想いも述べた。
谷本氏「お茶との情緒的なつながりがもっと生まれると良いなと。『私はこのお茶が好きだ』と自由に言えるコミュニティも作っていきたいです。
煎茶にもさまざまな種類があり、人によって好きなものが違います。それを認められるコミュニティを作ることで、よりコアなファンが集える場所も生み出したい。たとえば、TOKYO TEA JOURNALの読者と生産者に会いに行くツアーのようなイメージです」
お茶の文化がアップデートされていった先に、どのような未来を描いているのだろうか。
青栁氏「僕らがお茶を通じて実現したいことを、スタッフと一緒に作っていける状態が一番幸せです。この事業は、『ここに山がある、登ろう』といった純粋な挑戦に近い。国内外問わず今後の事業拡大も考えていますが、それ以上に今登っている時を楽しんでいます」
現在、同社は焙煎工場を併設した丸善製茶のティージェラートカフェ「Maruzen Tea Roastry」や、チョーヤ梅酒がオープンした高品質な梅とその楽しみ方を提案する梅体験専門店「蝶矢」の店舗デザインも手掛けており、自社事業にとどまらない展開を見せている。伝統ある日本茶文化の魅力を抽出し、事業過程そのものを楽しみながら現代に馴染む体験へと進化させるその姿は、これからも顧客の心を動かしていくに違いない。
文/もりや みほ 編集/庄司智昭 撮影/佐坂和也