白玉砂利が敷き詰められた庭。その中心では一本の梅の木が天を指していた――。
2020年6月、鎌倉駅すぐの路地裏に一軒家を改装したチョーヤ梅酒の梅体験専門店『蝶矢』がオープンした。梅酒や梅シロップの手作りが体験できる同店は、2018年4月にオープンした京都店に続く2店舗目。1日50人あまりの体験予約が1カ月先まで埋まるほどの盛況を見せている。
同店の持つ価値観を紐解く上で象徴的だったのが、この梅の木だった。
チョーヤ梅酒は伝統的な梅酒の作り方を守り、梅そのものの味わいを大切にしてきた。本物の素材で本物の梅酒を作ること。創業者・金銅住太郎氏の庭で成長した梅を移植したこの木は、静かに、しかしはっきりと同社の哲学を語りかけてくれた。
今回、蝶矢の生みの親である同社・菅健太郎氏とともに、店舗体験のデザインを務めたLUCY ALTER DESIGNの青栁智士氏と谷本幹人氏を取材。梅の木が見守る中、新業態店舗がもたらす体験価値について伺った。
コミュニケーションが梅を変える
6月にオープンしたばかりの鎌倉店には、白を貴重とした内装と大きなガラス窓が作る心地のいい空間が広がる。店内に入ると、テイクアウト客のためのカウンターや、梅体験用のワークショップブースなどが目に入る。
その奥には、「7days」と呼ばれる梅シロップのディスプレイが用意されていた。漬けた梅が7日間のうちにどのように変化していくのかが、そのグラデーションによって一目瞭然だ。
デザインを担当したLUCY ALTER DESIGNの青栁氏が設計にあたって注力したのは「プロセスの体験」だったという。
青栁氏「誰もが梅酒の完成品を見たことがありますよね。けれども、そのプロセスを見ることはほとんどありません。それを可視化することで、どのようにして一粒の梅が漬けられていくかを実感してもらいたいと考えたんです。
梅を漬けた直後は、色鮮やかでかわいらしいビジュアルをしています。しかし、だんだんとシワが寄ってきて、その美しさは損なわれていく。あえてそれを全面に出すことで、プロセスを楽しんでもらえるのではないかと考えました」
蝶矢の店舗では梅酒やドリンクのテイクアウト販売なども行われているが、同店の最大の特色は、梅酒・梅シロップの手作りワークショップにある。取材に訪れたこの日、参加していたのは、友人同士の女性グループだった。
このワークショップは、梅の種類ごとにシロップの味わいをテイスティングするところから始まる。赤と黄色の色合いが鮮やかな「完熟南高」、スッキリとした味わいの「白加賀」、そして2009年に作られたばかりの新品種「NK14」など、それぞれの梅は千差万別。これまで「梅」という括りで呼んでいたものは、いったい何だったのだろうかと思わされる。
さらに、こんぺい糖、はちみつ、氷砂糖など、使用する糖類によってもシロップの味わいは異なる。梅酒であれば、ウォッカ、ブランデー、ホワイトラム、ジンなどの酒によっても変化する。参加者はこれらの梅×糖類×酒の組み合わせの中から、自分の味覚に適した品を生み出していくのだ。
とはいえ、その工程は決して複雑なものではない。梅酒や梅シロップを漬けたことがある人ならばわかるが、梅のヘタを取り、梅の実と砂糖を交互に瓶に詰める。梅酒なら、そこに酒を注ぎ込めばあとは待つだけ。ものの5分で終了する工程だ。
しかし、「従来の梅酒・梅シロップづくりにはあり得なかった要素が一つだけある」と語るのが、同店プロデューサーのチョーヤの菅健太郎氏だ。
菅氏「これまで、梅を漬ける作業は家庭の中で行われてきましたよね。しかし、蝶矢に来て、友達や恋人などと作ることで、梅を介したコミュニケーションが生まれます。また、鮮やかな梅と可愛らしい砂糖を瓶に閉じ込めた写真をSNSに投稿したり、梅酒が完成したらみなで集まり飲み比べしたりもできる。コミュニケーションを加えることによって、『梅を漬ける』という行為に新たな価値を与えられるんです」
梅自体のこだわりを届けるヒントが「東京茶寮」に
では、どのようにしてこの「蝶矢」は生み出されたのだろうか。
誰もが知っている「梅」に、誰も考えなかった角度から光を当てたのは、菅氏の梅に対する熱意だった。新卒でチョーヤ梅酒に入社し、営業や工場勤務を経た菅氏は、世間の梅酒に対する見方に違和感を覚えていたという。
菅氏「同じ『梅酒』といっても、チョーヤは原材料を梅・砂糖・酒のみに絞り、添加物は一切入れない伝統的な製法を大切にしてきました。しかし、営業としての商談では価格や利益率、CMの出稿量といった数字ばかり。梅酒の製法やそのこだわりが評価されることは、ほぼありませんでした。
その後、工場へ異動すると、その違和感はさらに強くなりました。そこで見たのは、圧倒的な魅力を持つ梅の姿。創業以来、梅の品質にこだわってきたチョーヤに届けられる果実は、香り、大きさ、色の鮮やかさなど、どれをとっても自分がイメージしていた梅とは全くの別物。そんな梅に触れる中、この魅力をもっと多くの人に伝えたいという思いが芽生え、5年ほど前から梅の魅力を伝えるための事業を考え始めたんです」
梅という果実には造詣の深い菅氏だが、それを適切に伝える方法には、それを模索する時間を要した。そんな中で出会ったのが、過去にXDでも紹介したLUCY ALTER DESIGNの手掛けるハンドドリップ日本茶専門店「東京茶寮」だった。
同店は、生活に根付くあまり、当たり前として見過ごされていた日本茶の魅力を消費者に再発見させてくれる店舗。彼らとのパートナーシップは、まさに「梅に鶯」の組み合わせだった。
菅氏「東京茶寮を訪れたとき、農家や産地、お茶にまつわるストーリーまできめ細やかにデザインされている店内に感銘を受けました。『これを梅に置き換えれば、新たな体験を生み出せる』と直感したんです。そこで、すぐにメールを送り、私自身が魅了された梅を持参して、LUCY ALTER DESIGNさんとのミーティングに臨みました」
谷本氏「そうでしたね。冷凍の完熟南高梅を持参してもらったときに、自分の中にあった梅の概念が覆されたのをはっきりと覚えています。梅から連想される酸味ではなく、フルーツらしい甘さのある香りと、黄色と赤の鮮やかさ。『これは多くの人に知っていただきたい』と自然と考えるようになりました」
逆境を覆す「1粒で1杯」のコンセプト
ミーティングに臨む前、菅氏が漠然と考えていたのは「クラフト梅酒レストラン」という構想だった。しかし、ディスカッションの中で「チョーヤの持つ価値」を深掘りしていくと、同社の持つ「梅を大切にしてきた歴史」をより押し出すべきという結論にいたる。
青栁氏「幾度もお話をするうちに、菅さんのやりたいことの本質は、既製品の梅酒を飲んでもらうことでは達成できないと感じました。“梅そのもの”の魅力こそが、チョーヤの持つ可能性であり、それを体験してもらったほうがいい。そこで、梅を漬ける体験店舗へと舵を切っていったんです」
しかし、昔から家庭で行われていた「梅を漬ける」行為に人は興味を示すのだろうか。実際、梅の市場自体ダウントレンドにあり、梅を漬けた経験のある人も30代以下では激減しているという。そんな不利な条件を覆すべく、彼らがたどり着いたのが「1粒で1杯」というコンセプトだ。
菅氏「これまで梅を漬けるには、大きな果実酒瓶を使って大量の梅を漬け、1年近く待った上で楽しむのが当たり前とされてきました。しかし、そのような“当たり前”こそが、現代の人々を梅文化から引き離しているのではないか、と。大量に梅酒を作っても、一人暮らしの若者や、夫婦の家庭で消費するのは難しい。半年〜1年経たないと上手くできたか分からないのは、失敗したときのダメージも大きい。これを、『一杯分が一カ月で完成する』ものにできたら、梅との距離は一気に縮まるのではないかと考えたんです」
きっかけとなったのは、冷凍梅との出会いだ。
青栁氏「元々、チョーヤには果汁用に急速冷凍された梅を保管していました。この梅を使うと、浸透圧の関係で漬ける時間を梅シロップなら1週間、梅酒でも1カ月ほどへと劇的に短縮できるんです。この梅に合わせ、瓶自体もアップデート。冷蔵庫のドアポケットにも入るサイズにし、現代の家庭でも手軽に保管できるようにしました。これで、『1粒で1杯』の梅を漬けられる。もちろん、ビジュアル的にも現代的に洗練させていますが、核となる価値はこの『1粒で1杯』によって決まりました」
「本質」を捉えることの価値
2018年、梅体験専門店「蝶矢」は京都・六角通りにオープンした。このチャレンジングな新規事業は、初日から鈴なりの客に迎えられたという。
菅氏「オープン当日、私は衝撃を受けました。店に入ってくる人々の多くは、今までの顧客層である50〜60代ではなく、20〜30代の若年女性。長年、若者の梅離れに悩んでいたのが嘘のような光景でした。
また、当初は梅体験のハードルは高いと考えており、予約制を導入していなかったんです。しかし、予想以上の反響で、体験を希望する人で行列ができてしまうほどでした。あわてて予約サイトを立ち上げましたが、予約倍率は開店からずっと右肩上がり。いまでは50倍近くなっています」
一体なぜその人気は拡大していったのか。蝶矢で漬ける梅の鮮やかな色合いは、確かにInstagramやTwitterで「映える」可愛らしさがある。だが、そんな表層的な理由だけであれば、右肩上がりの予約倍率にはつながらないだろう。
その理由の一つには、梅への徹底したこだわりがある。菅氏自身も意外だったというが、蝶矢は家庭で梅を漬けている層からも熱烈な支持を得られているそうだ。普通のスーパーなどでは手に入らない上質な梅が用意され、梅のプロフェッショナルがその特性を把握しながら、相談にも乗ってくれるからだ。
菅氏「蝶矢では、アルバイトであっても農地まで研修に行き、一つずつの梅の特性・背景・農家の思いなどを把握しています。私自身、蝶矢をオープンするために、1年間農家へ通い、梅作りのこだわりを学ばせていただきました。
傾斜40度の梅畑で足を棒にしながら、梅の収穫や木の剪定など、農家の方々がどう手をかけ梅を実らせているか、一粒の梅にかける熱意を肌で感じてきたんです。そうして学んだ梅の本質を伝えていることが、支持を集めている理由なのではないかと考えています」
蝶矢は、決して「梅酒・梅シロップづくり体験」の店ではない。彼らが掲げる梅体験という言葉の背景には、梅一粒一粒の魅力を体験してもらい、梅とともに生活を送る文化を広めていくという大きな目標がある。そんなゴールを見据えているからこそ、スタッフは全て「梅のプロ」でなければならない。その矜持が、蝶矢の最大の価値となっている。
「体験」から「文化」へ
京都店のオープンから2年後、鎌倉店はコロナ禍の最中に幕を開けた。
菅氏「リアルでの体験が敬遠される中、私たちも不安を抱えながらのスタートでしたが、予想を大きく上回る反響に驚いています。予約もかなり取りづらくなってきており、嬉しい悲鳴をあげていますね」
一方、この状況では多くの顧客が「リピートしたくてもできない」と言える。蝶矢もこの課題感を強く感じており、今後は、コロナ禍の期間限定で行ったオンライン販売を強化。家で梅体験をリピートしてもらう計画だ。
菅氏「顧客は瓶を購入しているので、2回目以降は材料を揃えるだけで梅体験を楽しめます。店舗での体験が『入門編』だとすれば、家での梅体験は、次のフェーズ。それを積み重ね、梅に長く親しんでもらえたらと考えています」
店舗で体験をすることで梅の奥深さを知り、さらに体験を継続することで梅との関係性をより深いものとする。それが拡大すれば、いつしか「文化」と呼ばれるようになる。アルコールに漬けられた梅からじっくりとエキスが漏れ出してくるように、蝶矢が与える体験はゆっくりとした時間をかけて人々の中に醸成されていくだろう。
執筆/萩原雄太 編集/小山和之 撮影/植村忠透